本当のところ、姉の言葉は重たかった。ちゃんと結婚してない二人を、僕の元妻をよく知っている親戚達が受け入れてくれるかどうかは、僕にも解らなかった。もし、なんか言われたら、かつらも傷つく事になるのは、目に見えていた。性急な行動が、もしかしたら二人の関係を悪い方向に導いてしまうことも充分考えられた。一か八かの賭けではあった。「僕から離れないでね。なんか言われても我慢してね。かつらを守るから。」「大丈夫だよ!信じてるから。」そう言った方も言われた方も、不安を隠せなかった。 一周忌の前日、二人は釧路に着いた。相変わらず閑散とした駅前。1月の釧路は寒い。兄嫁が迎えに来てくれてその日は、姉宅に泊まった。姉家族や兄家族は旧知なので、問題はなかったし、揉めた事が話題となる事はなかった。母の葬儀の朝は釧路には珍しく雪も積もっていたが、この日は天気が良かった。桂は自分で選んで買ったウエストのよく締まった素敵な礼服を着た。礼服の彼女はとても素敵だった。先ず最初に、叔父に二人で挨拶しに行った。「うちのです。」「ええっ!何だって?」「妻です。」「桂と申します。」社交的な彼女は、いっぱいの笑顔で自己紹介をした。「ええ!本当に?すごい綺麗だな。若いし。」叔父は僕の妻であることより、彼女の美貌の方が気になったらしい。僕は叔父の反応に胸を撫で下ろした。叔父は、忘れたら困るからと携帯で桂の写真を何枚も撮っていた。そのうち、どやどやと入ってきた20人あまりの親戚に桂を紹介した。それぞれの反応は様々でどう思っているのか解らなかった。お経が始まると、兄が後ろに居た桂を促し、一番前の僕の隣に座らせた。その事によって、その場に居た親戚は、かつらの立場を一瞬で理解したようだ。兄は挨拶で、今日は母に近しい人達だけに声を掛けたこと、母が皆でわいわいするのが好きだったことなどを話、今日は皆で楽しく過ごして欲しいと言った。宴が始まり、突然、向かいに座っていた親戚としては少し遠いが、近所に住んでたので、いつも世話になった叔母さんが、言い出した。「良かったね。」後ろからも聞こえた。「本当!重い糖尿病だったんだってね。面倒見てくれる人出来て、よかったね。」元妻と最も仲の良かった従兄弟の奥さんがそう言った。僕は末っ子だった事と早くに家を離れたので、親戚の人達は、子供時代の印象が強い。可愛がられた方だった。それに、母の葬儀に、一人で行って、「浮気で、妻子に逃げられた。」と馬鹿さ加減を報告したので、むしろ、心配してくれていたようだった。「桂!皆にお酌して!」「一人で?いいの?解った。」皆が受け入れてくれて居る事を感じ取ったようだ。「馬鹿だから、浮気して、奥さんに逃げられたのに、こんなのを物好きに面倒見てくれる人が見つかるなんて!」と姉が言った。皆が笑った。でも、それは温かいものだった。桂が酌に行くと、むしろ、彼女に「よろしく頼むね。」と皆は言っていた。姉だけが心配そうな顔をしていたが、帰りには、皆が僕に、「本当に良かったね。二人で遊びにおいで!」と声を掛けてくれた。桂の写真を撮ったりする親戚も居た。 前夜、姉が、「言わなかった事がある。」と言って話し出した事があった。夏に姉の所へ行った時、姉に、「あの何でも当たる神様(函館の尼さんの事。姉がそう呼ぶ。)に、二人の事聞いて見て!」と頼んでいた。一ヶ月くらい経ってから、姉からメールで、【いい子だって言ってた。】とだけ伝えてきた。実は、見て貰った時、神様が机を叩きながら、「この子はいい子だ。」と強く何回も言ったそうだ。「絶対、離しちゃだめ。」とまで、言ったそうだ。その事を僕に言うと調子に乗るので、ただ「いい子」と伝えたんだそうだ。以前、姉が神様に僕の事を聞いたら、「元妻とうまくいってない。別れているかもしれない。」と言っていたそうだ。実は、その時すでに姉に内緒で別れていた。一人暮らしの最初の秋に姉は心配してやって来た。一人暮らしに必要な身の回りのものを揃えてくれた。その時、「神様は、春になったら、女の人が現れる。春を待ちなさい。」と言っていたらしいが、本当に春になって、かつらが、突然現われたのだった。よく当たる。本当は姉は桂の事が気にいっていて、もし、逃げられたり、結婚出来なかったりしたら、僕が可哀想だというのが本音だったようだ。
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