4 エリアンに来てから三日目になってようやく義肢装具士としてのアネモネのところに初めて依頼者が来た。それまでは依頼者はいなくて暇なアネモネはずっと部屋の物の整頓をしていた。女性に無理やり連れられた男性がやってきた。シティに住んでいたころに右腕を事故でなくした男性だった。アネモネが男性から右腕のことを聞いていると突然男性は怒り出した。 「どういうことだ?お前はシティ生まれなのか」 「えぇ、そうです。俺はシティ生まれのシティ育ちの技師装具士です」 こっちから質問していたはずなのにいつのまにか男性からの尋問になっていた。アネモネの言葉に男は椅子から勢いよく立ち上がって隣に座っていた女を睨みつけた。 「お前は俺に嘘をついていたのか。どうしてシティ出身だと言わなかった」 「だってあなたはシティの人だと聞いたら来なかったでしょう。せっかく義手を作ってもらえるチャンスなのに。もうこんな機会はないかもしれないのよ」 女性は必死に男性に訴えた。妻の方は男のことを思って連れてきたようだそれを彼は分かっていないようだった。鬼のような形相で男性はただ黙りこんだままのアネモネを見下ろす。 「あたりまえだ。帰るぞ。こんな奴に任せられるか」 アネモネは奥さんの方と何度か電話で連絡を取っていた。なんで隠れるように彼女がヒソヒソ声で電話してきたのかわかったような気がする。 「気が変わったらぜひ連絡してください。いつでも暇ですから」 「気が変わるわけがないだろう。シティの奴なんかに頼めるわけがないだろ」 男性は踵を返し玄関へと向かっていった。夫の男は事故で右腕をメルローズでなくして以来片方の腕だけで生活してきたようだ。片方だけの腕でも慣れてきているのがアネモネにも見て取れた。妻の方をメルローズの出身者であったがアネモネのことを信用してくれたが、夫の方はそううまく彼のことを信用してはくれなかった。このようなことは稀ではなく、アネモネがエリアンに来てから似たようなことは何度かあった。メルローズからエリアンに来た人たちによってシティ出身のアネモネの印象はあまり良くなかった。 男性は部屋を出る前に勢いよく左腕を振り払い棚の上に飾ってあった花瓶が派手な音を立てて割れた。妻の方が慌ててやってくるがそれをアネモネは止めた。クロードが診察室から出ようとしていた男の前に立った。彼女は両腕を水平に精一杯伸ばし通せんぼうをした。 「あなたは花瓶を壊した。アネモネに謝って」 強い彼女の眼に男は尻込みした。あんなにも彼女の強い目を見たのはアネモネも初めてだった。 「こいつはお前の子供か?ら出すぎた真似すんじゃねぇぞ。エリアンで子供を傷つけたくないんだったらな」 男はクロードを簡単に横に押しやって彼は貝殻の家から出て行った。妻はアネモネに向かって何度か頭を下げて逃げるように去って行った。アネモネが床に散らばった大きな破片を拾うのを見てクロードは手伝おうとしたが、彼一人で片付け始める。アネモネは空になったトフィーの缶を床に置いた。破片を投げ込むと歪んだブリキ缶が左右に揺れた。 「アネモネはこれが好きだった」 クロードはぼそっと呟いた。いまだ彼女は喋ること珍しいことだったが、彼女はよく周りのことを観察していた。黙ったまま多くの物を観察して多く知識を吸収しているのだろう。 「そうだね。でも仕方ない。もういいよ。怪我をするから。クロードは二階の倉庫に塵取りと箒があるからそれを持ってきてくれ」 「わかった」 クロードはアネモネの言ったとおり二階の倉庫に駆け上がっていった。 大きなガラスの破片をブリキ缶に投げ込んでいく。割れてしまった一輪ざしの花瓶はお下がりのものだったが、結構気に入っていたので残念だった。床に落ちた花を拾い上げ、代わりにコップに水を注ぎそこに挿す。その黄色い花はクロードが家の近くの草原からチアキと一緒に摘んできた花だった。 シティ生まれのアネモネなのにこれでまたあまり良くない評判が流れれば、また依頼者は途絶えるだろう。引越しの物を整理するのにはよかったが、ずっとこの調子が続くと彼は考えたらうんざりした。クロードが持ってきてくれた箒で小さなガラスの破片を掃き、床に落ちていたガラスをすべて回収した。 エリアンの暮らしは思ったよりだいぶ快適だった。貝殻の家をその変わった家の造りに慣れてしまえば不便なことなどなかった。玄関から入って左の丸い部屋を診療室、右の丸い部屋をリビングルーム、中央の階段を使ってのぼれる屋上にある小さな三つの塔はクロード、アネモネの各自の部屋と備品などを置いていく倉庫に使った。 この貝殻の家の住所はエリアンの中の三番地に当たるが、エリアン自体牧草地を除いた市街地はとても小さく三十分程度で一周できてしまう距離だった。貝殻の家の前の通りを降りていけばパブや郵便局がある小さな広場がある。そのあたりに商店がいくつか軒を連ねている。店は少ないが、ほとんどの用は済ますことができる。その広場を離れると大きな牧場と石壁の小さな家がぽつぽつとある程度だ。小さいながらエリアンの中心に行けば商店街はあるし、近所の農家からよくおすそわけをもらえて食事には困っていなかった。こうも苦労もないとついのんびりと構えてしまう自分がいた。アネモネの悪い癖だった。自然豊かなエリアンで昼寝をするためにアネモネはエリアンに来たわけではない。間抜けなチャイムの音が玄関中に響いた。開けっぱなしのドアから高い女性の声が聞こえた。空いたドアから二つの頭がのぞいているのが見える。 「あのーすいません。今お時間よろしいですか」 玄関には女性と小さな男の子が立っていた。この貝殻の屋敷に来てから不思議な訪問客が多いと彼は思った。小さな男の子の母親と思わしきその女性はずいぶんと若かった。アネモネよりきっと若いだろう。髪を一つに結び化粧気がないがそのさっぱりさがアネモネにも良い印象を与える。彼女に連れられた子どもは右目に白い眼帯をつけている。丸みを帯びたおかっぱのような髪形はまるで女の子みたいだった。 「あの、マリアさんから紹介されたんですが・・・義眼は取り扱っていますか」 「ありますよ。・・・そこ、さっき花瓶を割ってしまって拾ったので気を付けてください」 アネモネはそう言って二人を診察室に招いて座らせた。 シンシアという女性から話を聞いたところ、彼女が連れてきたイリヤという少年は病気で眼球を摘出しているらしいがその後は眼帯をしたまま生活をしていたようだ。これまで義眼は使ったことはないようだった。確かに義眼は合う、合わないがあって難しい。すぐ慣れる人も、日にちがたってからも体が拒む人もいる。それも子どもは成長が早く定期的に診察して体に合ったにサイズを合わせなくてはいけない。義眼だけではなく義体すべてに言えることだった。義眼にはまず眼球にかぶせるタイプと、欠損している場合に用いる半球状のものがある。彼は後者だ。アネモネは子ども用の義眼のサンプルを使い彼に適合したサイズと瞳の色を調べる。アネモネが少年の瞼を触ると激しく喚きだした。 「いやだ。殺される」 手足をばたつかせて彼はだいぶ抵抗した。先ほど花瓶を割られたこともあり、ついついアネモネは大きく溜息をついた。そして彼のため息はさらに彼の恐怖心をあおってしまった。小動物みたいに周りを見渡し怯えるイリヤの様子をクロードが近くで黙って立っている。 「もう。殺されないっての。イリヤは誰かに眼帯のことで言われるのやなんでしょう。義眼を作れば誰かに言われるもこともなくなるわよ」 喚いていたイリヤは急に黙り込んだ。シンシアは頭を両手で掴み前を向かせた。 「シティで全盲の人も機械を使って物が見えようになるというのは本当なんですか?」 「そうですね。義体以外はあまり専門じゃないのでわかりませんが、脳にチップ埋め込んで神経と合わせれば見えるようになるというのは聞いたことありますけど」 アネモネの言葉にシンシアとイリヤの顔が途端に青ざめていく。 「シンシアの嘘つき。痛くないっていったじゃん!」 「いや、でも別に私生活に異常がなければそのままの義眼でもいいと思います。本人の自由ですし、片目でもだいぶ慣れてきているようですよね」 アネモネは慌てて言った。それにアネモネの扱うのはただの義体でそのように技術まではできない。イリヤはサイズを測り左の眼似合う色を探している間も緊張しているのかずっと震えが止まらなかった。それもさっきのアネモネの脅すような話の後だ。当然のことかもしれない。ずっと見ていたクロードは丸椅子に座ったイリヤを急に後ろから抱き締めた。彼は驚いたがその拍子に震えも止まった。アネモネもシンシアと同様に彼女の行動に一瞬呆気にとられた。 「大丈夫だよ。信じて」 クロードは彼に向って問い利かせるように優しく言った。たった数日前はチアキより幼く見えたクロードがいつのまにか年上のように見えた。 サイズを測り終えるまでの間イリヤは無表情のクロードにベルトのように抱きつかれていた。すべての診察は終わりアネモネがもういいよというと、待っていましたと言わんばかりにイリヤは椅子から弾丸の如く飛び出して部屋の中を全速力で散策し始めた。青色の窓枠を調べたり、壁のでこぼこを触ってみたりしている。変わった形の貝殻の家はエリアンの中でもそうとう有名のようだが、内側を知っている人は少ない。シンシアもまた興味深そうに部屋の中を見回していた。イリヤはクロードの側によって楽しそうにクロードに話しかけている。もちろん彼の言葉を聞いているクロードは未だ無表情のままだったが。 「仮あわせをして仕上げをしたら出来上がります。まだ少し時間が掛かります」 「そうですか・・・でも、ありがとうございます。イリヤ、よかったね。やっと眼帯取れるね」 男の子は元気よく頷いた。イリヤは嬉しそうにシンシアの腕に蔦のように絡みついた。ふとアネモネは気になっていたことが口から付いてしまった。 「あの、シンシアさんはイリヤくんの母親ですよね」 彼女は顔を赤らめて頭を振った。明るくなっていたイリヤの顔に一瞬暗い影が差す。 「ああ、違います。私、紹介が遅れましたが、エリアンの児童養護施設の職員なんです。イリヤは小さなころに親に捨てたれた孤児です。でもある意味彼の母親代わりのようなものですね」 アネモネはシンシアに義眼の代金は現物が出来上がってからでいいといった。しかしシンシアは納得いかない顔をしていた。彼女はアネモネとの長い討論の末に彼女は大きく手を叩いた。 「よかったらちょっと待っていてもらえます? 近くですから」 すぐ戻ってきますからといって彼女は家を出て行った。待っている間に彼に何かお菓子を出そうとアネモネは台所のほうに向かった。貝殻の家の中は静かで木々の囁きとイリヤの鼻歌だけが聞こえる。冷蔵庫にイチゴか、ティーカップが棚の奥にしまってあるはずである。 「君って人間じゃないよね」 アネモネは聞こえてきたイリヤの声に危うく棚からようやく見つけ出したカップを落としそうになった。まさか誰かが彼女がアンドロイドだと気づくとは思ってもいなかった。それもこんなにも早く。クロードは黙ったままでイリヤはそのまま話を続ける。 「ここの前の通り通った時に窓からクロードの顔が見えたことがあるんだ。シンシアにもそのこと言ったら何言っているのって叱られたんだ」 「私は人間じゃなくて、アンドロイドだよ。心を持った」 「アンドロイドってロボットのことだよね?それじゃあ、クロードってピノキオみたいだ」 アネモネは皿の上にへたを切ったイチゴを載せ机の上に置いた。紅茶をカップに注ぐと湯気が上がる。エリアンに来てクロードがアンドロイドだとわかった初めての人だった。会う人間は限られて、社会であまり経験がないまっさらな透明状態の瞳だから彼女が異なる存在だということに気づいたのかもしれない。シンシアのしつけのおかげがちゃんと元気よくいただきますといい彼はイチゴを食べ始めた。 アネモネはイリヤの向かいに腰かけた。アネモネは机に肘をついてこの少年に何と説明すべきなのか頭を巡らせた。シンシアのようにほとんどの大人は彼女がアンドロイドなんて信じないだろう。けれど、クロードがアンドロイドだという噂が広まるのは困る。アネモネの考えを巡らせる難しい顔に気づいたのか食べることに没頭していた彼も顔を上げる。 「イリヤ。クロードのことは秘密にしてくれるかい? 心のあるアンドロイドはシティでも珍しいんだ。エリアンの人たちにも知られたら俺達はエリアンにいられなくなってしまうんだ」 「どうして? アンドロイドってエリアンにいちゃだめなの?」 彼はフォークの先を噛みながら不思議そうな顔をしてアネモネに聞いた。 「だめじゃないけど。どこの地域にもアンドロイドを恐れたり、悪いことに使ったりする人もいるんだよ。そうしたら彼女はここで暮らせない。秘密にしてくれればクロードもここにいられる。俺達は平和に暮らせる」 イリヤは空になった皿の上にフォークを置いた。 「わかるよ。僕も親がいなくて片目がないことだけで最初のけものにされたんだ。結構口は堅いんだよ。クロード、裏に鳥の巣があったんだ。見に行こう。一緒に見に行ってもいいよね」 「いいよ。いってらっしゃい」 クロードは彼女より小さい彼に手を引っ張られて部屋から出て行った。クロードは一度振り返ったがアネモネは笑って彼女を見送った。クロードは律義にアネモネが言った仕事を手伝うという約束を守ってくれているが、アネモネは乗り気ではなかった。もっと外に出て同い年の子供と遊んでいた方がいい。ちゃんと五時には帰ってくるのよと叫ぶシンシアの声が玄関の方から聞こえた。玄関にいくとシンシアはカシャカシャ音を立てるパックをアネモネに渡した。 「多めに作ろうとしたらたくさん作りすぎてしまったんで。よかったらこれクロードさんと一緒に食べて下さい」 アネモネが彼女から渡されたパックを開けると星や花型のクッキーパックいっぱいに入っていた。おそらく彼女はクロードのことをアンドロイドではなく人間の子供だと思っているのだろう。アンドロイドは食事をすることができない。やはり彼女のようなタイプが一般的だった。 「すいません。イリヤが迷惑をおかけして。あの子本当はいい子なのに」 シンシアに促されクッキー食べているとしシンシアは喋りはじめた。クッキーはやけに口に残るような甘さがあって、それがなんだか懐かしかった。 「イリヤの亡くなった両親は親の反対を押し切って結婚したみたいです。だから彼らが亡くなった時にイリヤもイリヤの両親は親族からいろいろいわれたみたいです。だいぶひどいことも」 窓から差し込む茜色の光が彼女のまっすぐな瞳を光らせた。 「こどもだからなにもわからない、何を言ったっていいなんてふざけていますよ。子どもは一番わかっているんですよ。あっ、ごめんなさい! いつも怒られるんですよ。おしゃべりだって」 シンシアは顔を真っ赤にして慌てた。腕を組んで話を聞いていたアネモネは腕を解いた。 「いや、でもそれは俺もなんとなくわかるよ」 アネモネの言葉にシンシアはきょとんとした後、口角をあげて嬉しそうに微笑んだ。本当に彼女の言葉がよくわかった。子どもは嘘だってつけるし、嘘だって見抜けることができる。 「あのそういえばクロードさんはアネモネさんの娘さんですか?」 「クロードは違います。知人から預かっている子なんです」 「そうですか。大変ですね。よろしければいつでも子どものことなら相談してくださいね。まぁ、でもエリアンには私よりベテランの人なんていっぱいいるんですけど。あの失礼ですが、どうしてアネモネさんは義肢装具士になられたんですか。珍しいですよね」 彼女の突然の質問にアネモネは黙りこんだ。あまり考えたこともなかったし、今みたいに質問されることもそんなになかった。シンシアは丸い瞳で彼の答えを期待している。明言でも言おうと思ったが、さすがにそんな急に出てくるわけなく彼がありのままに言った。 「もともとそういう分野にも気になっていたんですが、それで誰かの役に立てればもっといいなと思って。もしかしたらそれで自信をつけたかったのかもしれないです」 彼女の顔はぱぁっと光が差したように明るくなった。彼女は首降り人形のように激しく頷く。 「なんだかそれ私もわかります。私も子どものためとか言っていますが、最初は自分のためだったんです。誰かに必要とされて自分がやっと存在できるというか」 シンシアは、はにかんで頬を赤らめた。人の中に自分と同じ反射する鏡を見つける。。 たいして彼女の話したこともないのに彼女の考え方がアネモネも共感できた。 「お世話になったお礼にアネモネさんが素晴らしい義肢装具士だということ広めておきますね。エリアンは小さいですからすぐに広まりますよ」 「ありがとうございます。現物が出来たらその時に電話します」 シンシアの言葉はありがたかった。彼女の言葉でアネモネの評判がよくなることではなくずっとここにいる存在意味すら見いだせなかったからである。なにせシティ生まれのアネモネとアンドロイドのクロードだ。いくら魔女を受け入れたエリアンでも彼らを歓迎してくれるのだろうか今でも不安だった。ただこうやって人と共感ができ、人のために何かできればここにいてもいいような気がしてきてアネモネはとても安心する。メルローズを受け入れた寛容なエリアンに同様のものを彼も求めてしまっているような気がする。 クロードは空が茜色に染まった頃に帰ってきた。彼女はいつもと同じようにぬいぐるみぶらさげて泥だらけで帰ってきた。エリアンの自然の中で二人はそうとうやんちゃしていきたに違いない。エリアンの壮大な土地は子どもたちの格好の遊び場のようだ。しかし、彼女は熊のぬいぐるみはいかなる時も手放さない。その理由がアネモネには分からなかった。アネモネはきれいな服を渡し自分で着替えさせ、エネルギー切れと見られるクロードを部屋に行かせた。 「エネルギー切れます。充電してください」 彼女の首の後ろのカバーを外し新しいバッテリーに変えた。 わからないことだらけだったがレイが渡してくれたメモに従って、無事バッテリーを替えられた。バッテリーは従来のアンドロイドよりだいぶ持つようだが取り換えが必要だった。 そのあとアネモネは一人で食事を取って、下の仕事場で義眼の製作を進めた。義眼の製作が一段落ついたころには時刻は深夜を回っていた。アネモネはサンプルとして飾ってある義手を取り、滑らかな肌を指先で撫でた。ぬくもりはない冷ややかな温度が指先を通して伝わってくる。疲れた顔だった彼の顔が一瞬にして穏やかな表情になる。アネモネは慎重に義手をもとあった場所に戻した。睡魔には勝てないのでアネモネは螺旋階段を上がり自分の部屋に向かった。すっと細かな作業だったのでひどく目と肩が痛かった。ドアを開けて自分の部屋に入ろうとした時に、クロードの部屋に黄色の灯が点っているのが目に入った。とっくに彼女は寝ているはずの時間である。アネモネは青い戸を押して部屋を覗いてみる。布団の中で丸くなるクロードが見えた。アネモネはベッドスタンドのランプに手を伸ばし点けっぱなしのランプを消そうとした。そこでクロードの目が突然開いた。彼女は人形のような美しい瞳をしていた。クロードは耳を澄まさないと聞こえないか細い声アネモネに言った。 「眠れないの」 そういって寝返りを打った。昨日と同じように今日も熊のぬいぐるみを抱いている。 「今日はあんなに遊んだんだから眠れるはずだよ。ベッドの中にいればそのうち眠くなる。イリヤと一緒に遊びに言って楽しかった?」 「うん。イリヤ以外にもたくさんイリヤの友達が来てみんなで遊んだ」 アネモネはベッドの側に椅子を引っ張り出して腰掛けた。クロードは黙ったまま彼を見つめた。アネモネもクロードもなにも言わず滑らかな沈黙が彼らを包み込む。 「ぬいぐるみ、貸してごらん」 お互い沈黙の戦いの末にクロードは渋々ぬいぐるみを離した。彼はポケットからソーイングセットを取り出した。エリアンについた日にぬいぐるみを見てからいつか直そうと考えていた。オレンジの灯が熊のぬいぐるみのふわふわした輪郭を縁取る。アネモネは裁縫をあまりやるほうではないが、仕事上手先の器用さには自信があった。黄色い灯が届かない場所の家具は漆黒の影に覆われていた。 「ピノキオってなに?」 「ピノキオ?」 クロードが唐突にアネモネに聞いた。突然の彼女の声と思わぬ話題に熊に針を突き刺したままアネモネは止まった。それからまず熊の耳がちゃんとくっついたことを引っ張って確認する。 「イリヤが言っていたの。私がピノキオみたいだって」 アネモネも正直言ってピノキオの話よく覚えていなかった。遠い過去の思い出を起こしていく。小さなころは家にある本を擦り切れるまで自分で繰り返し読んでいた。 「ピノキオは木で作られた人形のことだ。老人の手で一本の木から作られた人形がピノキオ」 クロードが枕に頬を当てたままアネモネを見上げる。窓からはシティではけして見られない大きな宝石ほどの星が輝いている。また部屋の中でも町長の工夫なのか天井に石がはめこまれていてわずかな光で星みたいに光るようになっている。外装だけではなく細かな細工に町長のセンスの良さを感じる。町長は素晴らしい建築家だ。 今度は熊の目を縫いつけながらアネモネはクロードにピノキオの話を語り始める。 「ピノキオは人間になりたかった。そんな時青い妖精が現れていったんだ。『いい子にしていれば人間の子どもにしてあげましょう』と」 「青い妖精が・・・」 クロードはアネモネの言葉を反芻した。 おおよそそんな話だったと思う。ピノキオは子どもが憧れるような話ではなく、だいぶ本当は複雑で教訓めいた話だった。彼女はどう感じるのだろうか。イリヤの言うとおりクロードはピノキオだ。人の手によって作られた心を持つ人形である。この話は彼女にとってだいぶ辛いものかもしれない。それでもアネモネは話を続けた。 「けれどピノキオは悪い子どもで、学校にも行かないで家を出て遊びまわった。それを心配した老人はピノキオを探しに行くがサメに飲み込まれてしまう。それを知ったピノキオはおじいさんを助けるんだ。それを見た妖精がご褒美にピノキオを人間に変えてくれる。これでいいだろう」 アネモネはようやく元の姿にだいぶ近くなったぬいぐるみをクロードに返した。まるで体の一部が戻ったかのようにクロードは安心した表情になる。まさかゾーニャが選んだぬいぐるみがこんなにも大事にされているなんてゾーニャすらも想像もしていなかっただろう。 「ありがとう」 舌足らずな感じで彼女はアネモネに言った。それから彼女はゆっくり瞼を閉じる。 「おやすみ」 その間アネモネはクロードの側について彼女が眠りにつくのを見守っていた。クロードは眠りについたのだろうか。軽い寝息が聞こえてくる。彼女に息などないはずなのに。慣れない手つきでアネモネはクロードの髪をなでてやった。思っていた通り彼女の髪はやわらかく、彼の指に絡んだ。椅子に座ったままのアネモネの目の前に黒いフィルターが掛る。瞬きを繰り返してもなかなかそのフィルターが振り払えない。部屋の暗闇で小さな子どもがこちらの様子を窺っている。黒い髪の痩せた小さな男の子。その手には大事そうに動かなくなった子犬を抱えている。犬は腕の中で徐々に固くなる。子犬がもう死んでいるとわかっているのに小さな子どもは手放そうとしない。わかっていることも大人の前では知らないふりをしている。少し動けば光に当たれるのにその砦の中から出られない。いや、出てこようとしないのだ。 アネモネは瞼を閉じてその子どもを消した。
5 シンシアのおかげがそれから少しずつだが依頼者の数が増えた。アネモネはラジオを聴きながら、昨日依頼を受けた義腕の最後の調整をしていた。以前シティ生まれのアネモネには任せられないと出て行った男性が再び注文をしに来てくれた。仮合わせで拒絶反応が今のところ見られないでおそらく平気だろう。帰ったその日に奥さんに強く押され重い腰を上げたそうだ。彼がメルローズで事故にあったのはだいぶ前だったが病院にかかることができなかったそうだ。メルローズできちんとした治療を受けられなかった人が想像を上回る量だった。シティで働いている時よりも人々に必要とされているのを感じる。シティでは医療に関してはバイキングみたい好きなものをいくらでも選べる環境にあるが、エリアンでの彼らの選択肢はわずかにしかない。 彼の目の前にあるラジオの見た目はだいぶ年代物だ。もちろんこれもエリアンに来てからの譲りものだった。人口手の依頼を受けた老人が彼に譲ってくれたものだった。たが時計が一体となっているし、その小ぶりで古臭い感じに愛着がわいていた。電源を切ろうとしたまさにその時だった。たいていはエリアン地方だけのラジオがやっていた。中年の低い声の男がだいぶ懐かしい曲ばかり紹介する。そんななかニュースが挟まれて彼がよく知っている名前が流れた。 アイザワ。 アネモネは空中で手を止めた。一方で雲が窓から差し込む光の量を緩やかにすぼめていく アイザワグループで生産されたパーソナルロボットがシティの病院で暴れたらしい。それで何人か怪我を負ったということだ。ラジオの内容は企業側の設計ミスかロボットを使ったサイバーテロだと思われると曖昧なものいいだった。またロボット業界の福祉部門で有名なセイレン社が売り上げを伸ばし業績がアイザワグループにも追いつくほどだと言って、また男が古い曲を流し始める。歌詞が今では言わないような古い物だがゆっくりとしたなかなか良い曲だった。 アネモネはラジオの電源を切り彼は玄関に向かう。天気予報以上に雨の濃い匂いを鼻が敏感に感じていた。玄関に座りこんで革靴の紐を結ぶ彼女の後ろに近づいた。靴の紐もそうだがいつのまにかクロードはたくさんのことを習熟している。半端のない成長の早さだった。 「クロード、今日もおでかけかい?」 アネモネが聞くと靴を履いたクロードが振り返った。 「うん。ちーちゃんのとこに遊びに行ってくる」 彼女は仕事が忙しいときは手伝ってもらっているが、ほとんどの場合昼間の間は外に遊びに行っていた。アネモネが知らないうちに彼女はエリアンの中で一番有名な子どもになっていた。もちろん彼女がアンドロイドだからではなく彼女の絵の才能からだった。クロードの絵の才能はもうすでにエリアンで広まっているようだ。彼女の絵の印象はエリアンに来てからだいぶ変わった。色が明るくなり奔放的になった。本当に素晴らしい絵を描く。いつかクロードがお金を持って帰ってきた日があった。彼女の絵を見て一目ぼれした老人が買ったらしい。これからは、売らないようにするか、そうでなければお金ではないものをもらうようにと念じておくと、そうしたら今度は両手いっぱいの果物と菓子持って帰ってきてきた。 「もしかして遊びいっちゃダメ? お仕事大変?」 「依頼も順調だし、ダメってわけじゃないけど」 アネモネは困ったように笑った。空には暗雲が立ち込めていた。 まだ時間は午後の二時を回ったところなのに辺りは暗い。エリアンは元から雨の多い地方のようだ。アネモネの言葉を待っていたかのように小雨が降り出した。風が強い。並木が大きく揺れる。爪をとがらせた手がそちら側に招き寄せようにしているようで気味が悪い。 「今日は無理だ。これからもっと荒れるかもしれない」 アネモネが厳しく言い放つとクロードは口を尖らせた。アネモネはクロードの表情からアンドロイドらしさが消えていくのを感じていた。また舌足らずだった言葉も滑らかになり彼女の中から無機質なものが消えていく。しかし、まだ笑うところをアネモネは見たことがないが。 アネモネがドアを閉めようとしたとき貝殻の家の前の坂を下る老婆の姿が見えた。 「私、あの人知っているよ」 「あぁ。あの人」 クロードが老婆を指差して彼に言った。追い風にてピンクの傘をさして危なげに歩いている。坂道のせいか半ば風に押されるように降りていく。アネモネもあの老婆がマリアの病院に通っているのをよく見かけていた。絵画らの家よりもっと上に何件か家があった。いつもモップそっくりなヨークシャテリアが一緒で、首輪もつけてないのに忠実に彼女の後ろについてきている。彼女の頭上に降り注ぐ雨はより雨脚を強める。 「あれはまずいな。あのおばあさんを隣まで送ってくる」 見ていられなくなってアネモネは傘立てから傘を抜き取り玄関から出て行こうとした。間髪いれずクロードがアネモネのシャツの背中を掴んで雨傘に入った。 「待って。私も行く」 接着剤より強くアネモネは彼の背中をつかんだままのクロードの手を無理に離した。 「クロードは留守番をしていてくれ。すぐ戻るから」 できたら彼女を雨が降っているときは外に出したくはなかった。どれほどの水がクロードの身体に異常をきたすか分からない。レイの話では少しの水なら平気そうだが、アネモネはそんな実験のような賭けはクロードにさせたくはなかった。彼女の不服な顔を無視して傘を開く。老婆に駆け寄りアネモネは老婆を傘の下に入れた。 「大丈夫ですか?すぐ側ですから送ります」 「あら、こんにちは。すまないわねぇ。まさかこんなに荒れるとは思わなくて」 老婆は丁寧にアネモネに向かって挨拶をした。アネモネはあまりの笑顔の穏やかさに老婆はそれほど危険を感じていないように思えた。天に雷鳴が鳴り響き地面が大きく揺れた。普通なら三分もかからない道をアネモネと老婆は恐ろしいほどの時間をかけて隣の病院に着いた。 病院のベルを鳴らしても誰も出てこなかった。この雷鳴と雨音でベルの音が届かなかったのかもしれない。しかたがないので勝手に病院の中に上がらせてもらい以前通された居間に向かった。アネモネはゆっくりと老婆を安楽椅子に座らせた。 「寒くはないですか?マリアを呼んできますね」 1階の部屋を覗いたがマリアどころか1階には誰の姿もなかった。二階から物音が聞こえた。居間にアネモネが戻ると老婆は安楽椅子に腰かけて眠っていた。肘掛に乗った彼女の皺だらけの手はまるで老木のようだった。 窓の外は時計軸をいじったのではないかと思うほどの暗さだったのでランプを探してアネモネは居間の中を回った。壁についたランプを一つ、机上のランプを一つ点すと、部屋が淡い光にともされた。アネモネは椅子に腰掛ける。たヨークシャテリアは小さな冒険に出たままなかなか戻ってこなかった。マリアはきっと出かけているか、二階にいるかのどちらかだろう。 「ダメでしょ、ダイアン。好き嫌いしちゃ。」 外を眺めていたアネモネは驚いて椅子から飛び上がった。老婆は誰かに言ったのではなく。彼女の独り言だ。いや寝言だった。老婆は確かに眠っている。とても幸せそうな寝顔をしていた。アネモネは彼女を起こさないように静かに老婆の近くに寄った。 「今度みんなでキャンプなんてどうかしら・・・こんな時間。愛しているわ・・・ポール」 そういうと彼女は黙り込んだ。雨音だけが聞こえる沈黙の中で彼女の確かな寝息を確認する。きっと幸せな夢を見ているのだろう。安心したアネモネは部屋から出て二階に向かった。 エドワードから二階は病室があると聞いていた。1階以外にマリアがいるとしたらおそらく二階の病室だろう。階段から近い一番の手前の病室のドアが開いていた。部屋の中に入ってみたがあいにく誰もいなかった。きちんと整えられたベッドと三つの引き出しがついた戸棚と洋ダンスが置かれている。この部屋も病室のようだが、人が使っているような跡はなかった。ここは誰もつかっていないようだ。無数の雨粒が窓を叩いている。 壁に掛けられた小さな絵を見ていたアネモネは物音を聞き入り口のほうに振り返った。何か白い物体が3つ彼めがけて突進してくる。踊るように白い物体はアネモネの周りで円陣を組んだ。白い正体はシーツで黒い穴が二つ開けられている。開けた場所から小さな子どもの目が見えた。亡霊たちは彼の周りに立ち止まり六つぶんの目が彼を見上げた。 「違う。マリアじゃないよ」 「オレ知ってる。あいつのお父さんだ。絵がうまいやつの」 三人の子どもの声をした幽霊がシーツを脱いだ。アネモネは三人の子供に見覚えがあった。一人はチアキにもう一人は以前病院であった置物かと思った男の子だった。そして三人目にアネモネが作った義眼をつけたイリヤがいた。 「おじさん、これはマリアには秘密ね」 チアキは右手の人差し指を口にあて難しそうな顔で言う。彼はチアキにおじさんと言われたのは少しショックだったが、このくらいこの子どもにとってはアネモネほどの年の男はおじさんなのだろう。アネモネも同様に自分が幼いころは今の自分くらいの年の人はみな落ち着いた大人だと思っていたが、いざなってみるとそうでもないことに気づく。今もまだ子どもだった。 「きみたちはなにをしているの?」 「マリアを驚かそうとしたんだ。いつもは無理だけど、マリアは雷の日は変わっちゃうんだ。雷の日にはいつもみたいに怖くなくて、逆に怖がりになるんだ」 茶色の髪の子が胸を這って誇らしげに言った。血も虫も平気なマリアにも唯一駄目なものがあった。それが雷だった。雷だけがてんでだめだったのだ。彼女を驚かそうと真剣な顔の子供たちについアネモネは吹き出してしまった。マリアもこれは大変だ。 「クロードも一緒に来ているの?」 アネモネが首を振ると彼女は愕然とした顔になる。今や親子そろってクロードにぞっこんだった。レイはいろいろと世話を焼いてくれるだけじゃなくて今や彼女のためにチアキとおそろいの服まで作ってくれる。クロードはエリアンに来てからもシティで着ていた男女兼用の実にシンプルな服を着ていたが、彼女のおかげで女の子らしい服を着るようになった。彼女が手作りの洋服を気に入っているのは言わなくてもわかった。チアキとクロード同じ服をきているとまるで本物の姉妹のようだった。 「俺もマリアに用があるんだ。困ったな。見つけたら知らせてくれるかい?」 「了解。おじさんもマリアさんを見つけたら教えてね」 三人の幽霊は頷くと、また白いシーツを被り慌ただしく部屋の外に駆けていく。 部屋の中にアネモネだけになると徐にアネモネの背後の洋風ダンスが開いた。隙間から目が見えた後、その中から小柄な女性が出てくる。長い髪が青白い顔にかかっている。マリアはいつもの殺人的に尖ったブーツは履いておらずなぜか裸足だった。背の低い彼女は慎重に床に降りた。 「あのガキども、調子に乗りやがって」 マリアのいつもの透明な肌が今は死人のようだった。邪魔そうに顔にかかる髪をはらった。彼らから逃げていたのかいつも結っているはずの髪が乱れほつれまくっている。 「マリアそこにいたのか。子どもたちに知らせなくちゃ」 「おい。ふざけんな」 「それよりお客さんだよ。白い犬を連れたおばあさん」 「あぁ、サニーばあさんか。忘れてた」 窓の外明るくなり、大きな雷鳴が轟く。マリアは石造のように固まった。そのあと腰が抜けたようにベッドに座り込む。アネモネは彼女のすぐ隣に座り込んだ。 「まだ雷が怖いんだ。過去にトラウマになるようなことでもあった?」 「どうでもいいだろう。近寄るな。ボケ。」 そういいつつもマリアはアネモネの指の骨を潰す勢いで手を握ってくるので離れることができなかった。彼女の握力の強さには納得したが、思っていたよりも彼女の手はだいぶ小さかったことに驚く。小刻みに彼女の手の震えが彼に伝わってくる。 「こういう時は誰かが一緒にいてくれたほうが安心だろ。それにマリアがエドワードを好きなのはわかっています」 「あんたの好きなアンドロイドは一人ぼっちにしておいていいのかよ」 「家で待ってもらっている。彼女にはそのほうがいいんだよ」 マリアはそれ以上文句を言わず黙り込んだこので、それを彼女が承諾したことだと受け止めた。アネモネとマリアが互いの手を握っている。 こんな場面はエドワードには見られたくはないなと彼は思った。エドワードが二人の姿を見て誤解されてもきっとアネモネには彼女の関係が彼にはうまく説明できないからだ。エドワードにはマリアは友人と言ったが、アネモネとマリアの二人の関係はお世辞だけの生易しい友達でもない。そしてこれから恋人になることも絶対にないだろう。お互い優しい言葉はかけない。お互い無意味な力を使って傷つきたくない。だからってけして嫌いなわけでもない。その曖昧な距離と不確かな関係が昔も今もアネモネにはちょうどよかった。おそらく彼女も同じなのだろう。だから関係を保っていることができる。 「大丈夫。オレがマリアを好きになるわけがないんだから。わかるだろ」 「あんたがゲイだから?ロリコンだから?」 彼女はきっとアネモネのことを分かっているはずだがあえて尖った口で茶々を入れる。けれど、本当にそれなら多少常識からそれた歪んだ愛情でも、男でも子どもでも人を愛す事が出てきている証拠ではないだろうか。アネモネは彼らよりさらに道を外している。 雷が落ちる度に彼女はびくっと両肩を上げた。しまいには「何でこんなものが怖いんだよ」とマリアは自分自身に悪態づく始末であった。 「クロードがアンドロイドだとみんな知っているのか?」 マリアのほうを見ると怒られるので、彼女と反対方向を見ながらアネモネは彼女に聞いた。 「クロードはあんたの連れ子だと思われているよ。あんたは若い妻を事故で亡くした可愛そうな男。そして病で髪が白くなったあんたの娘クロード。エリアンの奴らはそう思っている」 「どうしてそうなるんだ? 思い込みってすごいもんだね」 アネモネは鼻で笑った。とりあえず悪印象はもたれていないようだ。シティ出身の奴だからと信用できないとみんなが思っていたら、彼がここに来た意味がない。しかしアネモネに妻がいて、クロードは実の娘なんてある意味すごい話である。 「正しく伝わらないにもほどがある。あの子がアンドロイドだと知っているのはおそらく成島夫妻にエドと私だ。でも、いつかはエリアンの奴らに気づかれるぞ。あの子は食べることも寝ることも出来ないんだろ。気づかれないことの方がおかしい」 アネモネは思わずえっと声を上げる。マリアは訝しげに彼のほうに振り返る。アンドロイドだということ気づいた人にイリヤがいたことではなく、彼女が言ったクロードは眠れないという事実にアネモネは驚いた。アネモネの前で彼女はずっと寝ているふりをしていたのだ。 「なんでもない。話を続けてくれ。いつからレイからクロードのことを聞いていた?俺がエリアンに義肢装具士として来るのを町長から聞いていなかったのか」 「前々からレイがアンドロイドの子どもを気にかけていたのは聞いていたよ。それを引き取ったシティの男があんただとは思わなかったけど。それに、まさかシティからエリアンに来る義肢装具士だったというのも。それにしたってあんたが子どもを引き取るなんて意外だ」 マリアの言葉にアネモネは肩をすくめた。世話をしているかと聞かれたら微妙だった。彼女を心配することはあったが、彼女は自分で多くのものを学び成長している。世話をしているよというよりも共に暮らしていると言ったほうがあっているような気がする。 「人間の子供だったら俺も預からなかったよ。クロードがアンドロイドから引き取った」 窓の外がまた明るく光る。彼女の握った手が一段と強くなる。 「それに俺はアイザワという男に頼まれたからだよ。あの人も俺も同類だ。親に大した愛情もかけられず、生きている者を愛せない。そんな死体愛好家(ネクロフィリア)な奴が。驚いたかい?」 轟きが鳴り止むと部屋の中は重すぎるほどの沈黙が鎮座した。 彼女は足を組みかえ長い間黙っていた。 「それは死んだ者しか愛せないっていう意味か」 ネクロフィリアによくある死んだ者に性的なものを求めることはアネモネにはなかったが、死んでしまったものや作られた義肢装具は彼の心を落ち着かせる精神安定剤になった。幼いころは死んでいた猫を家に持って帰ったことがあった。それを見ていると幼いアネモネは母親に抱かれているような不思議と安心した感じがした。けれどその分彼の中の異常さを認めなくてはいけずそれに耐えられなくて隠れて吐いていた。 けれど厳しい目線をした父親と一緒にいるときの気が遠くなるようなあの感覚よりまだましだった。死んだ物はアネモネの本当の母親みたいに彼の元を去らないし、彼のことを嫌いになったりなんかしない。自分の異常な感情に気づいてから、それから一度も本気で人間を愛したことがない。ゾーニャの時は特別一緒にいるのが楽しく、死んだ者への執着が捨てられるかと思ったが恐ろしくて自ら彼女との間に大きな境界線を引いていた。誰かを愛してしまったら殺してでもその人だけを独占してしまいそうな自分が恐ろしかった。アイザワ邸でクロードにもひかれたのも彼女が人間そっくりなアンドロイドだったからだ。それにあの時はまだ彼女に心はないと思っていた。だから、彼女なら側にいてもいいかと思った。クロードは生きていいない。だからアネモネが一緒にいるために彼女を殺すこともない。 「なんとなく」 マリアが呟いた。 「違和感はあった。学生時代だって恋人はいたのに幸せそうなのは上辺だけの感じがしていた。うまくそのアイザワという男に利用されたものだね」 「そうだね。断る理由が俺にはないから」 アネモネは感情をこめずに言った。 学生時代は女性と付き合えばどうにか変えられるかと思ったがどうにもならなかった。学生時代の恋人は好きになって殺すこともなく、ただ彼女とは会わない日々が続いて自然消滅した。マリアは慈しむようにアネモネの手を優しく握りしめた。そして彼の手を離してベッドから立ち上がった。弱くなった雨音が耳になじんでいく。ベッドの下から入院患者が使うスリッパを取り出し履いた。だいぶ彼女の小さな足には大きかったようでパタパタ音を立てる。 「ひとつ聞いていい?マリアはどうしてエリアンで働くことになったんだ?」 「ここにはメルローズから逃げてきた魔術師が多い。けれど、だいぶ年よりも多いし、今の病気も魔法では太刀打ちできないものも多い。私はこれでも魔女だ。そのために医療が足りてないからここに来たんだ。サニーばあさんも元はメルローズの魔女だった」 「あの人も魔女なのか。知らなかった」 「そうだ。サニーばあさんの魔力は弱っているが、彼女は正真正銘の魔女だ。それなのにシティのお前を信用しているんだからすごいよな。あのばあさんの時代は一番差別がひどかった時代。未だメルローズの中にはシティへの復讐を提唱している輩もいるそうだ。隙を見たらシティの奴らを皆殺しにしようとか考えているんだ。まぁ、それはいい。着替えていくからそのことを伝えておいてくれ」 「わかった。伝えておく。もしかしたらまだ寝ているかも」 アネモネは彼女に首肯して、部屋から出た。彼女の手を握っていたアネモネの手にはまだ彼女のぬくもりが残っていた。マリアの話を聞いて彼女の見方がだいぶ変わってしまった。彼女に失礼な態度をとれば彼女もシティ生まれはこれだからと掌を返して罵ってくるだろうか。彼は小さな踊り場で足を止めた。彼の目の前にクロードが立っていた。しっかり雨合羽を着て片方の手に傘を持っている。教えたつもりはないがどこかで見て覚えたのだろう。彼女の姿は素晴らしい完全防備だ。 「クロード。あれほど家で待っていろって言ったのに」 「ごめんなさい」 アネモネは彼女に怒るつもりなどまったくなく軽く言ったつもりだったが、クロードはひどく恐縮した。冗談と本気の違いが分からないクロードには本当にアネモネが腹を立てているように見えたのだろう。それを見かねてアネモネは軽くクロードの頭を雨合羽の上から何回か軽く叩いた。俯いていた彼女はなにごとかと驚いて顔を上げる。そのままアネモネは雨合羽の上から彼女の頭を優しく撫でた。 「本当は俺をここまで迎えに来てくれたんだろ。マリアも上にいたからもうすぐ出来てくれるよ。ありがとう、クロード」 クロードは一瞬ぽかんとしたあとに、彼女は笑った。彼が初めて見る彼女の子どものような無邪気な笑いだった。 アネモネは彼女の頭の上に手を置いたまま動けなかった。病室からヨークシャテリアが出てきてアネモネの横を通り過ぎる。それに気付いてクロードは楽しそうに犬を追って階段を降りて行った。彼の言葉に彼女は嬉しそうに鼻歌も歌っていた。踊り場の窓から光の柱が床を照らす。僅かながらも確かな雨の中の切れ間だった。確実にそれでいてゆっくりとアネモネの世界は光を増していく。アネモネが好きだったのは彼女の人形のような無機質な顔だったのに、彼女の笑顔に痛いほどの思いが胸の奥で芽吹いていく。信じられなかった。ずっと錯覚だと信じ利かせていたが、もう気づかないふりはできなかった。
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