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作品名:アンドロイドは花の夢を見る 作者:風花ユキ

第3回   第一章「甘い罠」3,4,5

「クロード」
アイザワは彼の娘にそっくりの少女をそう呼んだ。
「この子は正真正銘のアンドロイドだ。四年の時間を費やして娘そっくりのアンドロイド作った。会社の中でチームの結果を元に一人極秘にね。それでも製作は難航したよ。」
「どうして娘さんそっくりのアンドロイドを・・・」
「私は娘のトワとそっくりなアンドロイドを作るなんて禁忌なことだとわかっていた。でもしかたなかった。私は娘にどうしても会いたかった。私たちは娘が目覚めるのを六年間も待ったんだ。娘に似せたアンドロイドは想像している以上の出来だった。彼女の髪の色以外はね。全てトワに似せるのは妻が嫌がってね」
男は少女の髪に優しく触れた。確かにトワの髪は真っ黒だったはずだ。
「まるで人間のようだろう?」
アネモネはうつむいて何も言いたくなかった。けれどそれはアイザワの言葉に肯定することになりアイザワは微笑んだ。アイザワはクロードの周りをくるくると歩き出す。クロードはアイザワの方には目もくれずつまらなそうに与えられた玩具をいじっている。
「アンナも彼女を作ることを最初は嫌がったんだ。一部の輩にもいるだろう。ロボットを作ることは、人間をつくった神を冒涜するものだという。いわばフランケンコンプレックスというやつだ」
アイザワは雄弁に語る。
フランケンコンプレックス。人間は神によって作られたから、その神によって作られた人間が人間を作ることはあってはいけないことだと考える人がいる。そんな人たちをそう呼んだ。ロボットが普及した今でもシティで何度がそのことでロボットをシティから廃止すべきだというデモ行進をしているのを見たことがあった。アネモネはアイザワの前で冷静を装っていたが、焦っている己自身にひどく狼狽した。アイザワはアネモネが断れないことをわかっている。どうして気づかれてしまったのだろう。いつ、どこで。きっとクロードは七色の感情を有せず、赤い血が流れない彼女は壊れることがない限り動かなくなることもないのだろう。人間ではなく彼女はアンドロイドなのだ。
「何せ彼女は優秀なアンドロイドだ。だからトワが覚醒したときもうまくやってくれると思った。しかし、どうしたことか。あれは私の娘に怪我をさせたり、家のものを壊したり家庭を崩すような行動をとり始めた。もうこれ以上トワの側に置いていくことはできない。しかしだね、アネモネくん。娘そっくりのこの子を私が壊せると思うかい?いやできない」
アイザワのクロードへの態度は愛人に産ませた子どものようなものだった。彼女が邪魔になりつつも自分の世間体を気にして自分から動くことをしない。アネモネはアイザワが無責任な男の証言だと彼は自分自身にいいきかせる。風がハンモックを大きく揺らした。細い枝はその重みに今にも折れてしまいそうだった。クロードは側に座り込んだまま美しい虚ろな目でアネモネを見上げた。彼女はすぐにでも捨てられそうになっている今の状況をよく理解してないようだ。
「そのアンドロイドをどうするつもりなんですか」
「この子の命をここで奪ってしまうのは忍びない。だから君にぜひクロードを引き取ってほしいんだ。さっきも言ったとおり彼女は賢い子だ。何かの不具合だろう。彼女が壊れた場合の保証もするし、もし君が気に入らなくなったらすぐに引き取りに行こう」
アネモネの頭上の四角い空から雲の端が消えていき真っ青になる。アイザワの言葉は嫌でも彼の記憶を思い起こさせた。あの人が家から出て行った日もこんなにも空は冴え渡っていたような気がする。アイザワが腕を組んでアネモネの答えを待っていた。
「どうだい? 私は無理を言っているかな」
無理ではなかった。もう彼はすでに勝ち誇っていた。それは目に見えて分かっていることだった。クロードを引き取ることはできないと潔く切り捨ててアイザワの屋敷を出ていってすぐにこのアンドロイドのことを忘れればどんなにかいいだろう。けれど、彼にはそれが不可能に近かった。今もこうして彼女から目が離せない。
「いいえ」
アネモネは唾を飲み込んだ。
アイザワは満足そうにこれまで見た中で一番良い笑顔をする。
「その話、お受けします」
彼は溜息のように彼は細く吐き出した。彼はそうなることをわかっていたようでジャケットのポケットから契約書と万年筆を取り出した。アンドロイドの受け渡しはアイザワが用意した書類に簡単なサインをするだけだった。高級そうな万年筆を彼に返しながらアネモネはこれだけでもうあの子は放棄されたのだと思った。サインたった一つで。
アネモネのサインを確認すると胸ポケットに何事もなかったように紙を戻した。
「感謝するよ、アネモネ君。前日に彼女を取りに来てもらってもいいかね」
「わかりました。その時は連絡させてもらいます」
アネモネは力なく返事した。
そうしてエリアンへの出発の前日にアイザワ邸まで彼女を迎えに行くと約束した。それからのアネモネの二週間はあっというまだった。エリアンへの引越しの手続きに忙しかった。生活に最低限のものと仕事で使うものだけは先にエリアンに送り、それ以外の邪魔になる物は売った。アネモネを雇用してくれたエリアンの町長とも何度か電話で連絡をとった。家具などは使われなくなったものを譲ってくれると言ってくれそのおかげで送るものもだいぶ減った。そここそこ綺麗で景観の良い家を期待しているが、特に家にこだわりがあるわけではない。出発を明日に控えたアネモネの部屋にはなにもなくなり寂寞としていた。部屋の中に置かれているのは手荷物だけだった。この部屋に少しだけ名残惜しさがあった。卒業して装具技師として働くことになり第一区の実家を出て第三区のマンションに一人暮らしをしてからずっと暮らしてきたへ部屋だった。もう何もない空間で彼は床に毛布を引きこどものように寝た。朝起きてみると夜から振り出した雨はまだ降り続けているのがカーテン越しに分かった。彼が寝床から起き上がると一本の電話が鳴る。携帯電話を取り出して名前を確かめる。アイザワからの電話だった。クロードを引き取りに行く約束の時間までまだ十分にあるはずだった。電話に出ると男は唐突に軽く用件を告げた。
「どういうことですか」

 アイザワから電話があった一時間後にアネモネはクロネシティのビル群の下にいた。
シティのコアからだいぶ長いエレベーターでメルローズに降りた。エレベーターから降りたところからまっすぐ薄暗いトンネルを抜ける。メルローズのスラム街が目の前に現れた。コンクリート建ての建物とパイプに囲まれた町は派手なネオンがちらつき、たくさんの看板が雑抜とした印象を受ける。シティの建物は上に伸びすぎていて分かりづらいが、巨大な台の上に乗っていて、その台は柱に支えられて空中に浮かんでいる。だからメルローズにエレベーターを使って降りたが、メルローズは地下にあるのではなく地上にあると言ったほうが正しいのだ。シティの下には巨大な空間が広がっている。エレベーターが付いた場所は二十五階目なのでちょうどメルローズの半分の場所に当たる。彼は闇に吸い込まれるようにひたすら階段を降り続けた。コンクリート建てのロの字型の建物がいくつもくっついた形になっている。このような50階建て建物が後十九号館もある。軒先にかかった赤提灯がすぐそばを掠める。建物と建物を結ぶ階段のような場所で立ち止まった。工事用の足場のようなもので足元から小さな穴を抜け風が上に向かい吹き付ける。
ふと彼が顔をあげるとわずかな屋根の隙間から見えたのは空ではなく建物を乗せた板だった。どうりでシティでは降り続いていた雨がここでは降っていないわけだ。さっきから同じ場所を何度も歩いているような気がした。まるでここは迷路のようだった。
建物の中をくりぬいたような地下道、不安定な階段、朽ちてしまった梯子。道が複雑な上に降り続く雨であたりが霞みあまり視界がはっきりとしないためもあった。あの童話みたいにパン屑でもばらまいとけばどこを通ったのかまだわかったかもしれない。
 クロネシティの高等地区の下にまた巨大な地区があったのだ。その地区の名前はメルローズという。シティの高等地区の住民はほとんどがメルローズの市民をまるでいないもののように無視して暮らしている。どうしてシティは厚い塀に囲まれているのか。それはメルローズの住民を閉じ込めるためだった。メルローズの住民の一部に魔術を使える者たちがいる。うまい洒落や例えではなくそれは真実である。メルローズは魔女たちが使う魔術が根付く都市だった。魔術といえども呪いといった攻撃的な魔術ではなく、薬草療法と言った医療系の魔術を使うことができる。メルローズの全員が魔術を使えるが、人によって力は様々で使えるものとつかないものの差が大きかった。魔術を極められる人はわずかにしかいない。
そんな時代も突然終焉の鐘が鳴った。その転機は科学の発展であった。科学により魔術の力は否定された。魔術を使えない住民は掌を返したように彼らを卑下し始めた。お伽話だとかほら吹きだといって彼らを揶揄した。それが今の経済都市クロネシティに近づく始まりだった。魔術を使えない人々が実権を握り、科学の力でメルローズの魔法を使えなかった住民がシティを築き上げた。シティの建物は成長を続け今もまだ上へ上へと天へと手を伸ばす。シティを築き始めてからわずかな時間しか経っていなかったが成長の早さは尋常ではなかった。
 シティほどの人口の人がメルローズで暮らしている。生涯をすべてメルローズに注ぐ者とシティに差別を受けたことで愛想をつかしシティから離れた地方にあるエリアンに亡命するものがいる。シティの周辺には小さな村コンラッドや文化都市のレマルクがあるがエリアンに亡命するものが多いのはエリアンという小さな街が長い間メルローズの住民を受け入れているからである。外に逃げる者がいる一方でいまだ労働階級のような生活を虐げられても郷里のメルローズで生活するも者もいる。小さな妬みがもとで大きないさかいが生まれた。少し前までは同じように暮らしていた人なのに。
 アネモネには学生時代に一人だけメルローズ地区出身の魔女の同級生がいた。彼の同級生はシティの高等地区の子どもの大半で黙ったままでも上質な教育が用意されるような環境だった。だから彼女の存在は同級生の中で異質だった。不均等な待遇の中であの子は受験戦争も勝ち抜いていった。今思えば並みならぬ努力が必要だったのに違いない。 今のメルローズはシティの下で皮肉なことに工場地区として生活が成り立っている。メルローズがいつも白い靄で薄暗いのは工場から出た煙が空中に漂っているからである。特異な力を持つ魔術師はもともと一部の人間だったそうだが、今ではメルローズの人々は各地に散ってしまい魔術師は一代限りとなり数えるほどしかいなくなったと聞く。彼らが工場から生み出す細かな部品はシティで使われる機械の基礎に使われ、工場の技術者の腕はロボットではその精密さを模倣できないようだ。
その工場の間に集合住宅があって多くの家族がそこで暮らしている。上にそびえたつ板により昼でも光から遮断されたメルローズには色とりどりの提灯と裸電球が工場や商店街のどこでも軒先にぶら下がっている。暗闇の中に色形さまざまな光が浮かびあがる。まるで夢でも見ているかのように体が実態を持たないような気分になる。
 アネモネは地区を歩き回る中で子供から大人までたくさんの人とすれ違った。粗末な格好なものが多いが、彼らの姿はまったくシティのものと変わりはしなかった。時折アネモネの姿を見てシティの者だと気付かれたのか、嫌な顔をする者もいた。彼はべつにメルローズの人に対して腹ただしい気持はなかった。むしろ当然のことのように思えた。彼がそれほどクロネシティを好んでいなくても、シティで生まれた以上は故郷であることは変わりないのだ。それにシティの住民も同等の態度をメルローズの人に対して取ってきたのである。
 突然のアイザワからの電話は屋敷からクロードが勝手に逃げたという連絡だった。
彼が目を放した隙に部屋から逃げてしまったらしい。彼の話によると、クロードはこれまで一度もアイザワ邸から外に出たことはないらしい。クロードに搭載されたGPSでメルローズにいるということがわかったが、詳しい位置までは近くにいかないと分からないという。それからアイザワグループの元社員のレイという女性がクロードを探しに今からメルローズに向かうから彼女と合流してほしいと言った。優秀な社員だったそうだが、事情があってアイザワグループを退職したそうだ。アイザワはアネモネに要点だけ述べると早々に電話を切ってしまった。すでに彼はもうクロードに関しての責任を持たないということなのだろう。
 アネモネは広い空き地に出て錆びた鉄柵に肘を突いた。下をのぞくと狭い小路に食堂が立ち並び濃い食べ物の香りが鼻をついた。メルローズのどこを探してもクロードの姿は見つけられなかった。もしかしたらメルローズから上がって今シティの中をさまよっている可能性もある。レイと合流しない限りアネモネの手元には何の手がかりがないので動きようがない。どこからか複数の子どもの笑い声が聞こえる。下を見ると子どもたちが道を縫うように駆けていった。アネモネは柵から体を起こした。彼は視界に人の影を捕えたからだった。アネモネから少し離れた先に女性が立っていた。黒い髪の小柄な女性だった。黒い瞳で彼女はアネモネを遠くから見つめていた。
「あなたが成島玲さんですか?」
女性はアネモネに向かって軽く頭を下げた。短い彼女の黒髪が顎のラインを覆う。
「そうです。はじめまして。アイザワグループの元社員の成島玲です。アイザワさんから話を聞いて、心配で探しにきたんです。なにかわかりました?」
「まだなにも分かりません。とりあえず地下、いや地上まで行ってみようと思うんですが。どこか思い当たるような場所はありますか?」
「いいえ。彼女は外に出たことがありませんから。でも、なるべく早く彼女を見つけないと。この雨です。ある程度防水機能はついていますが、そんなに持つどうかかわかりません」
レイはアネモネの前を足早に歩き始めた。女性はアネモネが思っていたよりだいぶ歩くのが早くさっさと歩いて行ってしまった。早足なだけではなく、クロードが心配なのも理由なのかもしれない。アネモネは自分が名前を名乗っていないことに気づいた。あからさまなアネモネの咳に彼女は驚いて振り返った。その拍子にわずかな段差に足を引っかけて、派手に転んだ。レイの腕を掴もうとしたが、つかみ切れてなかった。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。そそっかしくてごめんなさい」
打って赤くなった手をさすりながら彼女は体を起こした。アネモネが最初に感じた凛とした厳しい印象が消えていった。彼女の様子になんだか調子が崩れてアネモネはこめかみを掻いた
「アイザワさんからもう聞いたかもしれませんが、アネモネ・ハミルトンといいます。シティで義肢装具士として働いていて、今度からエリアンで働く予定です」
「私もエリアンで今暮らしているんですよ。アイザワさんから聞いて驚きました」
「どうしてエリアンに?」
エリアンに進んで暮らしているのが驚きだった。シティから離れたエリアンは自然が多くて良い所らしいが、シティとは離れていてなにもない辺鄙なところだった。それにアイザワグループに勤めている間はシティに住んでいたに違いない。それなのになぜエリアンに住んでいるのだろう。彼女の顔が初めて柔らかくなる。歯を見せて笑うとレイの顔は幼く見えた。
「娘のチアキのためです。産まれたときから呼吸器官が弱くて夫と相談してエリアンに引っ越すことにしたんです。あそこは空気がきれいだから。私も彼も生まれはエリアンなんです。ちょうど今日はクロードに会うためにクロネシティに来ていたんです。あとアネモネさんにもお礼をしておこうと思って」
「お礼ですか? 身に覚えがないんですが」
「あの子を引き取ってくれたことです。本当にありがとうございます」
レイは少女のように笑った。レイに信用されているようだが、けれどクロードに逃走されるとはそうとうアネモネは嫌われているのではないかと思った。クロードの捜索は彼女がアイザワから預けられたGPSがだいぶ役に立った。クロードは二人がいる位置よりメルローズのもっと下のほうにいることがわかった。彼女が近づけばGPSのアラームが鳴って知らせてくれるようになっている。
「メルローズのことはよくご存じなんですか?」
「まぁ・・・そうですね。アイザワグループのロボットのほとんどはシティの自社の工場で作っていますが、一部はメルローズで人の手で作られているんです。だからメルローズにも何度か訪れています。たぶんセイレン社もそうだったと思います」
確かに彼はたくさんの工場の前を通り過ぎてきた。工場が立ち並ぶメルローズだったが。まさかロボットたちの一部もメルローズ作られているなんてアネモネも知らなかった。シティにはロボットがあり得ないほど溢れているが、メルローズでは一体も見たことがなかった。彼は息を深く吐き出した。
「俺はなにか重大なことを隠されているんじゃないでしょうか?」
アネモネはずっと気になっていたことを思い切って彼女に聞いてみた。アイザワが答えてくれなくても彼女ならアネモネに教えてくれるような気がしたからだった。なぜアイザワがあのアンドロイドを彼に託したのかはもう想像がついていたが、それよりもクロードの正体が気になっていた。実に端正に作られ人間に似たアンドロイド以外にもなにかが彼女を見ていると心に引っ掛かるものがあった。それ以上の何かが彼女にはある。
「とても違和感を覚えるんです。見た目が人間そっくりなのも含めて。アイザワさんは俺にあまり詳しいことは話してくれなくて。まるで話すこと自体嫌みたいで」
レイは彼を見上げた。アネモネは初対面なのに一瞬色々と聞きすぎてレイが不快に思ったのかと思った。
「アイザワさんは何もあなたに伝えていないんですね」
彼女の瞳が揺れて言おうかどうかためらっているようだった。
「クロードは人の心を持っています。」
あぁ。とアネモネは口から息を漏らした。レイのその答えに納得できたからだった。心を持ったアンドロイドはどんな感情を持ち、一体どんな夢を見るのだろう。


メルローズに到着してから二時間。それでもアネモネとレイは階段を降り続けていた。どこにいるかもわからないクロードを探してメルローズをさまよっていた。レイはしばらくの間黙ったままでいたが、ついに口を割り始める。
「私はアイザワグループを六年前に退社しました。アイザワさんの娘さんが事故に遭う少し前でした。それまではアイザワグループのチームの中でパーソナルロボットの心の研究をしていました」
「お子さんのことでやめたんですよね?」
「それもありますが・・・私がアイザワグループで働いていた時研究チームにいました。パーソナルロボットの心の取得が私たちのチームの研究内容でした。けれど、研究の途中で研究内容が意味のないことに気付きました。ロボットに対しても、人間に対してもこれはいい結果をもたらしません。私たちのチームはアイザワさんにはあの研究内容は破棄するように頼みました。それからチアキのためにエリアンに戻って何事もなかったように暮らしていたら同僚から電話があったんです。アイザワさんが心のあるロボットを作ったと。アイザワさんは娘さんにそっくりのロボットを作るために研究内容を利用したんです」
レイは眼を伏せて長い睫毛の影ができる。アネモネの脳裏に庭にいたあの子どもが浮かぶ。
「本当に人間のような心が?」
「まだわかりません。まだ実験の段階で確証はなんです。現在のロボットはセンサー情報を入力したものを前もってプログラムされた記述モデルの中にいれるんです。つまり入力に出力をだすだけのものです」
突然の光の反射に目をつぶる。辺りを見わたすがその光の基は見つからなかった。
「けれどクロードは違います。身体的刺激からのフィードバックをコンピューターの経験値としてデータ化し、記録させる事が可能なんです。その蓄積から感情を有することでクロードは人並みの感情を手に入れられると思われています。もちろんそれは予想の段階で、本当に心を持てるのかは未だにわかりません」
アネモネはレイの話にロボットは赤ん坊と似ているのだなと思った。まずは模倣をし、経験をして物事を学んでいく。そうして人間と同じように少しずつ成長を繰り返していく。
「それはおそらくロボット研究者が嫉妬するくらいの大発明だろうね」
アネモネは素っ気無くいった。
ロボット業界とは一切関係ないアネモネだが、だいたいその結果がどれほどの効果をもたらすのかは想像できた。ロボットが普及した今はロボットが社会の中にいることは当たり前で、さらなる性能の飛躍をだれもが願っている。さらに便利で高性能のものを求める。新しいものを求めてはさらに新しいものを求めるずっとその繰り返しだった。欲望の輪廻が断ち切れない。
「そうですね。だからアイザワさんは私にクロードを託すことを拒んだんです。もし心のあるロボットの研究内容が外に洩れてしまったら元社員の私はすぐに疑われますから」
「ひどい男だ」
「それは私にもいえることです。あの研究内容をちゃんと破棄していればこんなことには」
今にも消え入りそうな声でレイは呟いた。彼女は石の階段の手すりをその整った手で撫でる。アネモネは彼女の泣きそうな声が聞こえなかったふりをした。彼女に何といえばいいか分からなかった。それでもアネモネとレイは石段を下り続ける。足元はこれまでの味気ないつくりとは明らかに異なり始めた。白い大理石で階段は作られていた。また壁際に花の形を模した同じような街灯が備え付けられていた。大理石になってから多くの草花が植えられた花壇が見受けられた。色鮮やかな植物が下に行けば行くほど増えていく。アネモネも知らない花がたくさんあった。花壇の植物は誰かの手によって丁寧に揃えられているようだ。この場所はたぶんメルローズの人によって大事にされ、管轄されているのだろう。けれど、なんのためなのかもわからなかった。それに人気がなくなりレイの表情もこころなしか不安げに見えた。彼女の気を紛らわすためにアネモネは口を開いた。
「娘さんがいたのは驚きました。まだ若いのに」
アネモネの言葉に彼女は困ったような笑い顔をした。社交辞令ではなく真実だった。
「あなたよりだいぶ年上のはずよ。私正直にいうとね・・・アネモネさんの名前を聞いたとき最初女の人かと思った。綺麗な名前ですね」
「俺の母が好きだったんですよ、アネモネが。男でも女でも構わなかったみたいです。ただ子どもがほしかったみたいですし」
やっと階段が終りレイとアネモネの前に今度はトンネルが現れた。やけに白くてトンネルの先になにがあるのかわからない。アネモネはレイの前に立って先を歩いた。
「・・・それじゃあ、アイザワさんはあなたに所有権を譲ったんですね。意外だわ」
「所有者?」
彼女がふいに呟いた所有者について何のことなのかアネモネは彼女に聞こうとしたが、トンネルを抜けGPSが突然鳴り広い空間に反響した。トンネルの先にはやけに広い空間があった。入り組んだメルローズにこんなホールのような空間があるとは信じられなかった。ホールの中央に小さな白い神殿があり、その周りに掘が囲んであり水が流れている。水の上には連が浮かびゆらゆらと揺れる。水槽に張られた水が青く光りアネモネは眉をしかめた。照明用の器具はどこにも見当たらず、とても信じがいたが水自体が発光しているとしか思えなかった。もしかしたら水ではないのかもしれない。真ん中にたつ神殿へとわたる橋のようなものは見つからなかった。
「すごい。これが本当だったなんて信じられない」
「これは一体なんなんですか?」
「詳しくは私も分からないんですが。メルローズの人々にとって神聖な場所だと聞いたことがあります。だからこんなにも美しく保たれているんでしょう」
大理石で造られた豪華な神殿だ。たびたび天井をくすぐる光は反射した水面だったようだ。波が揺れ蓮の花が折り重なる。蔦が絡む神殿の中に人影があった。
「クロード!」
クロードの向かいに何か黒い物が見えた。アネモネが瞬きをするとその姿は消えていた。ずっと暗い場所にいたせいで見間違えたのかと思った。クロードのいる場所に行くにはこの水の中を渡っていく方法しかなさそうだった。アネモネは周りの堀がいったいどのくらいの深さまであるのかは検討がつかなかった。レイが堀の近くに近寄ったが、メルローズにとって神聖な場所ということで躊躇しているのがわかった。エリアン出身のこの女性はきっとメルローズのこともよく知っているのだろう。
「濡れますから、俺が行きます。レイさんはここで待っていて下さい」
「でも・・・」
アネモネは片足を水の中に突っ込んだ。両足まで突っ込むと彼の腰までの深さまであった。思っていたよりだいぶ深さがあった。クロードのような小さな子どもの背丈でここを渡るのは並大抵のことではない。水が彼の服を重くするだけではなく、いくつもの睡蓮の花は彼が進むのを邪魔した。アネモネはようやく屋根が付いた神殿にたどり着き、水からあがった。クロードはアネモネのほうに顔も向けす膝を抱いたままじっとしていた。水を吸ったアネモネのジーンズから雫が床に滴り落ちる。彼女は靴を履いておらず裸足だった。隙を見て逃げるようにアイザワの家から飛び出たに違いない。今まで外に出たこともないクロードのシティの知識は皆無だったはずだ。無謀な挑戦だ。アネモネは小さなクロードを見下ろした。長身のアネモネにはどうしても彼女を見下ろす格好になってしまう。
「どうして勝手に出て行ったんだ?アイザワさんもレイさんも心配したんだよ」
けだるそうにクロードはアネモネを見上げた。白い濡れた髪が顔に張り付いている。ひどく青白い顔をしていた。覇気のない目と青白い肌はまるで死人のようだった。
「心配をかければ、アイザワさんが迎えに来てくれるかとでも思ったのか?」
彼は重く息を吐く。
「それならずっとここで待っていればいい。あの人が君を迎えに来ることはない」
クロードはそわそわと落ち着きがなくなり、頭を左右に振り始めた。その様子を見てアネモネは自分の言いようがだいぶきつかったことに気づく。同時にアネモネはクロードの怯える姿を見て落ち着かなくなっていた。まるで彼女を見ていると幼い頃の自分を見ているような気がしたからだった。絶望の中で僅かでも希望を掴もうともがいている小さな子どもだ。
「君はもうあの家には帰れないんだよ」
クロードから視線をはずしてアネモネは言った。
アネモネは強く握っていた拳を開いた。細長い指が連なる掌を見る。だいぶ頼りない指だが、両手はあのころよりだいぶ大きくなったはずだ。アネモネは彼女の前にしゃがみこんでクロードの視線にあわせた。クロードもアネモネもはじめてお互いの眼を見た。水面に浮かんだ水連がたがいに重なりあってゆらゆらと揺れる。
「クロード。うちへおいで。俺は明日からエリアンで義肢装具士として働く。エリアンで仕事を手伝ってくれれば後はなにをしたってかまわない。レイにだって好きな時に会う事ができる。あとは好きに遊んでいたってかまわない。君を閉じ込めることはしない。君は自由だ」
「本当に?」
アネモネが初めて聞く少女の声だった。彼女の声は普通の子どもとなんら変わりはしなかった。
「本当。約束するよ」
アネモネはクロードに向かって腕を広げた。クロードは少し躊躇したが、腕の中にきつくしがみついてきた。アネモネは彼女を抱きかかえ立ち上がると彼女のあまりの軽さに驚いた。それに彼女の背中にまわした自分の手がやけに大きく見えるのが不思議だった。
アネモネはクロードを抱きかかえレイのところまで戻っていく。水連が邪魔をするし、水を吸った服が重くなってアネモネすら歩くのが大変なのによくクロードはよく渡れたものだ。アネモネは水槽のすぐ縁に立ったレイの腕にクロードを預け、水槽から上がった。彼女はハンカチを出してクロードの顔を急いでぬぐう。腕の関節や首の後ろを彼女はてきぱきとした動作で異常はないか確認する。一連の確認が終わると彼女は溜息をついた。クロードに向かって震える声で彼女は怒鳴った。
「クロード、お願いだからこんな心配をかけさせないで」
「ごめんなさい」
レイの今にも泣きそうな声にクロードは申し訳なさそうに彼女の腕の中頷いた。
水の輝きが白い大理石を淡く輝かせ、水泡を抱いた睡蓮の花弁が美しく輝き始める。
「もう大丈夫なのよ。あなたを一人にしない。愛しているわ、クロード」
子守唄のように彼女はクロードにささやきかけた。クロードはレイの細い首に強く抱きついた。
アネモネの場所からクロードの頬に雫が流れたのが見えた。しかし、それは髪から滴った雨粒だった。


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