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作品名:魚の見る夢 作者:史緒

最終回   2
 超能力だとか、心霊現象だとか、そういった類のものは、全く信じていないけれど、
自分の前世は魚なんではないかと、半ば本気で思っている。

『 魚の見る夢 −魚 』

 もしくはよっぽど魚に恨みをかったとか・・・
 それなら、前世は凄腕の漁師か・・・。

 何故、そんな事を思うかというと、よく魚になる夢を見るから―――なんだけれど、
改めてこう考えると、ほんとバカバカしい。
それでも、見る夢は、色はもとより臭いまで感じられて、
目覚めた後、自分の体が人であるか確かめてしまう程、やたら生々しい。

 魚になる、といっても、成る魚は、大海、または渓流をゆうゆうと鱗を光らせ泳ぐような、そんな大そうなものではなく、なんというか、例えていうなら、
フナと太った金魚を併せたような、そんなへんてこなお世辞にも綺麗とはいえない、見るからに愚鈍な魚で、鈍い銀の鱗とでっぷりとした体で水中を泳ぐ・・・というより、水中に浮かんでいるといった体(てい)で自堕落に沈まない程度に最小限ヒレを動かして濁った水の中に生かされている。

 その水は最初はいささか冷たい。
 思っていたよりも、温かくはなかった風呂の湯にムリに浸かっているような、そんな冷たさで、それが徐々に(まさに風呂が沸いていく様に)温かくなってくる。
 その分、濁りも増すのだけれど、とても気持ちのいい温かさの内ではそれ位はどうでもいい話で、いい気分に任せてちょっと大きくヒレを動かしてのろのろ泳いでみたりする。

―― ああ、温かい
―― ああ、気持ちがいい

 と思っている間(すき)に、段々と湯は熱くなり続け、それに合わせて濁りも酷くなって、息が詰まって・・・

―― あ、これは、まずいぞ

 と気付いた時には、熱さと苦しさに息が出来なくなって、その濁った腐臭を放つ湯の中で、自分は溺れて、沈んでいく。

―― きっと、これから、この汚れと臭いの元になるのだろう・・・・

 その、瞳まで白く澱ませて沈みゆく自分の体を、第三者の目で見届けて、目は覚める。

 もう、慣れたものではあるのだけれど、それでも、起きた時には冷や汗まみれの自分の体を確かめる。

ウロコにヒレに
沁みついた 臭い・・・

 だからきっと、前世(むかし)は魚だったのだ。
 もしくは、漁師。

 いや、現世(いま)の自分も人類全体の一人として考えたら、かなり環境を汚して、大分この夢以上にムゴい死を与え続けているだろうから・・・、そう考えたら、充分恨まれる心当りはあるのだけれど―――・・・。

―― けれど、思うんだ

自分は 魚なのだと
それも、いつか溺れてしまう、魚なのだと・・・

清い空気も土地も、
水も、
何も探すことをせず、
身を怠惰に任せ置きつづけて、
気が付いたら、
ゆだって、おぼれる、魚 なのだと――・・・・・・・

それは、嬉しくはない、
けれど、逆らわない、魚 なのだと――・・・・・・・。






「 そ れ で も い い 」

と、彼女は云った。







そして、その文はこう始まっていた。

―― 生きていくことは、朽ちていくことだ。


 それは、黄昏が今日一日の勤めを終えた机や椅子を照らして労う、誰もいない教室の
教壇の上、白い用紙が光を反射してより一層の輝くように置かれていたレポートの束。
 放課後までに提出と積まれた何人分もの原稿用紙に書かれたテーマは“生きる”ことについて。
 毎晩ともいえる、あの夢に浮かされる自分にはなんとも皮肉なテーマで、筆が進むことは予想通りなく、たぶん最後の提出であろう俺は、その少しただれた気分のまま、どれだけの生徒が本心を記しているのか知れない想いの束をペラペラとめくって――・・・、
 一枚に目が留まった。

 その文は夢の自分と重なってはじまる。




生きていくことは、朽ちていくことだ
と私は思います。

生きるということは素晴らしいとも思うけれど、
同時に美しいだけでは、済まされないとも思います。

私が重ねた諸々の事の分、
私はきっと朽ちています。

朽ちた最後のなれの果てが、私の生の証となるのでしょう。

だからといって私は、“生きる”ことを否定したいとは考えてはいませんし、
やはり思いたくもないのです、

確かに、そのなれの果ては、あまり美しくないかもしれないけれど、
確かに、その刻まれた過程も、自分の諸々を被っているかもしれないけれど、

それでも、自分が望んで進んだ時の証と、思いたい。

私は朽ちていくけれど、
その時は、美しくあったと、美しい生であったと、思いたい。

体は今も時を刻んでいます。
それは哀しくもあるけれど、美しくもあるよう、
後々、老いた自身をかえりみて、できれば誰かと共に、心から微笑むことのできる、

そんな“生”で、ありたい。




 では、怠惰な淀みに身を任せて、溺れていく自分は、どうなんだろう。

 この文によれば、全く、美しくない生になる。

 筆者たる彼女はクラスメイトで今は左隣りの2つ前の席に座っていて・・・・、
そういえば、どちらかといえば顔はいつも伏せがちで・・・、
もしかしたら、きちんと顔すら見たことがないかもしれない、
そんな、ぼんやりとした印象の彼女の内に少し歪で矛盾した、こんな考えがあるとは、正直、驚いた。
“前向き”では決してないのに、“後ろ向き”でもない、考え方。

 輪をかけぼんやりとした自分は、その文にいささか反抗心も湧いたけれど、あんなにもはっきりとした夢なのだから、どうせマンネリに朽ちるなら、少しは逃れるようヒレのひとつも動かす努力でもしてみようかと思った。

・・・それと、明日、あの子の顔をみてみよう――かな。


一夜目:
また魚の夢をみた
夢の終盤、
沈みかける頃になって、ヒレを動かそうと考えていたことを
思い出して―― おぼれた。


二夜目:
熱くなったと感じたとき、
はっとして 泳ぎだした。
――が、 間に合わなかった。

失敗だ。
けれど、夢の中でも動かせはするらしい。


三夜目:
温かい水にたゆたっている時に思い出した。
けれど、その春のまどろみの様な気持よさに、ついつい怠けてしまい、
そろそろだろうと体を動かした時にはとっくに手遅れで、――― 沈んでしまった。

起きた時、不甲斐ない自分に少し落ち込んだ。
・・・・。

だから、温かい気持ちのよさにぼんやりとする前に、
思い出せばいいんだと、動き出そうと、決めた。


四夜目:
結局、思い出せなかった。


五夜目:
ちょっと、遅かった。


六・七・八夜目:
やっぱり失敗、前よりはいくらか進んだけれど・・・逃げられない。
どだい無理な話なんだろうか・・・。


九夜目:
今日ダメだったら、正直どうでもいいという気分になってきた。

実際、おぼれるの・・・・慣れたし。

そんな気持ちのまま寝たら、前夜よりも進まず、
諦めて おぼれた。



「 そ れ で も い い 」

と、彼女が云った。

 九夜目の後でもう今日はなにも考えずに眠ろうと考えていた日、偶然にも彼女とチームになった生物の授業で、片付けを一緒にしている時に。

 レポートのあの放課後から、自分の目は何となく彼女を追うようになっていた。
朝や、移動教室の後、教室に戻っては決まり事のように彼女の席を確認する。
 だから、彼女の顔をよく見たことがないと感じた原因が、彼女自身が“あまり人と目をあわさない”からだと知った。
 あわさない のか あわせない のか、そこまでは、分からないのだけれど。

 蛇口がずらりと並ぶ窓辺。水を入れるとやけに透明にキラキラ光るビーカーやらフラスコやらを洗って渡して、その水気を真っ白な布巾で彼女が拭いて。目の前には水のある所まんべんなく緑の藻がはった、目を凝らさないと観察は難しいだろう水槽がひとつ。
 それでも、今は光が射し込んで、藻は明るい緑で、中の魚もそれなりに見えた。
 オレンジ・・・というよりは温州みかん色の体――― いるのは、メダカらしい。

 一匹、動いていないメダカがいた。
餌をついばむこともなく、ただじっと浮いている。
「死んでんのかなコイツ」

その声に、彼女がこっちを、やっぱり視線を投げず振り向いた。
「死んでは いないでしょ。お腹を出して、浮いていないし」

「でも、こんな動かないんじゃ、大差ない気がするけど・・・」

彼女の手が止まる。
蛇口からの水音だけが響く。
彼女の視線が、水槽へと向かって、
―――― じっと水槽を、 ―――ソイツを 見つめた。

サラサラと肩より少し長い髪が流れて光が横顔を照らす。
まずいぞ、と 心が鳴る。

「・・・ちがうよ」

―――。

「死んだ時とは、全然ちがう。 動いていなくても、死んだ瞳とは全然ちがう。
死んだ時は、もっとずっと酷い」

こんなにも、綺麗に静かじゃない。とつけ加えて、彼女は作業を再開した。

「でもさ、こんなに動かなくって怠惰なのもさ、どうかと思わない?
 せっかく生きてるんだし、エサ他の奴にとられて死ぬかもしれないし、きっと長生きしないし」

ちょっと愚痴っぽくこぼした言葉に、彼女はふわりと少し笑った。
やっぱり目線はあわせないけれど。

「それでもいい」

「えっ」

「それでもいい」

「この魚がそうありたいと望んで、そう選択したのなら、その生き方でいいと思う」
・・・なんて、変なこと言ってるなぁ、私・・・。
と照れるように言葉を紡ぐ彼女をしばらく見てしまった。

―― それでもいいと、確かにそう彼女はいった。
だってひどいじゃないか。
彼女の文においおいと唆されて、それで毎日・・・・

けれど、彼女はいいといった。
別に頑張ろうと頑張らなくとも、溺れようと、溺れなくとも・・・・

生きてさえいれば、いや、選択した生ならばそれで、いいと。

――― だから、どうにか逃げてみせようと 思った。

 これは自分が一人で勝手に決めて、勝手に彼女に挑戦して、勝手にやっていることに、
他ならないが、でも、ちょっとでも、そのもっと酷いらしい死から逃れてみせてやると、
決めた。
 こんなことにひっかかるなんて、ホント、自分でもどうかしてると思うけど。


十夜目:
冷たいうちに動き出した。
その後にまつ温かさよりも、長い生を選んだ。

そして、どうにか酸素のある、たいして温かくは無いだろうけど、
きっと本当は一番生きていくのにいいだろう水源が少し先に見えた。

結局、力尽きて間に合わなかったけれど、起きて初めて悔しいと感じている自分がいた。


十一夜目:
夢と共に動きだした。
もうこの夢の全体は以前とは最初から違っている。

背後の水は温かく気持ちよく、そして徐々に淀んで、背後に迫る。

―― もっともっと、ヒレを精いっぱい動かせっ!
―― もっと早くっ!!

ぜいぜいとエラが動く。
尻ビレをチリチリと迫った水が灼く。
眼前に渓流がせまる。
そう、あそこが生きる場所。

そして、目が覚めた。
渓流に辿りついて、唐突に夢が終わった。

―― 脱出できた。

―― 変えることは・・・可能だったんだ。

朝日の中、はぁはぁと荒い呼吸音が響く。

けれど喜びと同時に、一つの疑問がその時ふいに浮かんだ。

じゃあ、次からの夢は・・・・
また、最初からなんだろうか・・・・

また、逃げて、たどりついて・・・・
たどりつかなかったら、やっぱりおぼれて、
それをこれからもずっとずっとくりかえしくりかえし・・・・・


 と、暫く悩んだけれど、
その日から、あんなにも最近は連日見ていた夢を見なくなった。

 そして、見なくなったと確信してから、彼女に告白とやらをした。
 だいぶ前から分かっていたことだけれど、レポートを読んでから彼女を意識して・・・
たぶん、あんなに夢で足掻いたのだって、きっと彼女が教えてくれたことだったから。
・・・そして、あの理科室で――― 責めずに、笑ってくれたから。

 だから、女々しい(これは差別用語だろうか・・・)けれど、必ず告白が成功するという
ジンクスのある、校舎裏の大きなケヤキの木の下で一世一代の告白を・・・・した。




 カラカラと自転車の車輪の回る音がする。

桜が力尽きた順に花びらを散らす、川沿いの帰り道。
彼女と肩を並べて歩く。
あ、いや―― 彼女が半歩だけ後ろ。 これは、きっと心の距離分・・・。

あの告白に、彼女はしばし驚いた顔をして、こう返してくれた。

「私・・・よく分からないの・・・・。でも、きっと嫌いでもない。
だから、それでもよかったら」

なんだか、中途半端でとてつもなく微妙な返事だったけれど、0(ゼロ)ではないし、それでも本当に嬉しかったので、こうして、今、帰り道を一緒(とも)にしている。

・・・・・ちょっと、複雑だけど

あいかわらず 目線もあわないし ――――。


その時、さぁっと 風が吹いた。
一斉に待ってましたと、花弁が青空に舞って、キラキラと降りそそぐ。

きっと、今ならいつも顔を伏した彼女も、この桜を見ているだろう。
きっと、顔に髪に彼女を花弁が彩っているだろう。

だから、「きれいだね」と同意を求めるように振り向くと、
彼女は一瞬、驚いて、複雑そうな顔をして、
――― でも、目線があっていて、
――― やっぱり、どんな表情もかわいくて、
――― 桜が黒髪を揺らして綺麗で、
――― ・・・見入ってしまって、

そして、彼女が初めてにっこりと笑って、こう言ったのだ。

ああこれは、いとこのおねえちゃんの結婚式でみたそれよりも、
もっとごうかな一面のフラワーシャワー


「 私────、
  
     やっぱり あなたが 好きみたい 」


みたい″・・・って何だよって思ったけれど、とても嬉しくて、
ついつい言ってしまった。

とってもとってもおかしな話だけれど ―――、
実は自分は魚じゃないかと思っていると ―――、
きっとまた、おぼれると――――、
そんな、人間だけれど、本当に、いいのかと ―――――――。

そうしたら、彼女はまた笑って、――・・・実はよく笑うのかもしれない。

「大丈夫、私は幻滅しないことに自信があるし、それに、魚は溺れたりしないものよ」

と、きれいな海のような青空をバックに、しっかりと目を見て言ってくれたのだ。



それから、私もお互い様だから、
と残念ながら少し目を逸らして恥ずかしそうに付け加えた ――――何でだろう?





それから数日後、
また、魚の夢を見た。

スタート地点は結局同じで、“やっぱりな・・・”とゲンナリしていると、
スクっと体が掬われて、上を見れば微笑む彼女がいて、
あの先にあった渓流へと放ってくれました。

〜FIN〜




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