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作品名:SPIRITS 作者:亀屋萬年堂

第5回   5
「爺さん、『地獄』があるってことは『天国』もあるのかい?」
「ある。・・・・いや、あるらしいぜ。」
「生まれ変わり」は「ある」とキッパリ答えたくせに、今度はやけに曖昧じゃないか。
「オレはまだ行ったことがねえし、『そこ』に行って来たヤツと出会う機会はホントに稀なんだ。そんなヤツらから聞いた話と、先輩霊魂から聞いた話の寄せ集めで、残りはオレの推測だ。曖昧なのはしょうがねえだろう。」
「『行って来たヤツ』ってことは、『天国』に行った後、またこの世界に戻ってくるのか?」
「新米、オレはお前さんより50年先輩だが、何も全てを知っている訳じゃない。この『地獄』ってのはいわばバスの停留所みたいなもので、死んでから天国行きのバスを待っている霊魂と、天国から帰ってきて新しい『入れ物』を待っている場所なんだそうな。」
「『天国』に行って帰ってくると生まれ変われるんだな。そういうことだろ?!」
私は思わず老人に詰め寄っていた。

「どうやったら『天国』に行けるんだ?!!」
「知らねえよ。第一、おめえさん、さっきは奥さんや娘さんに未練たっぷりで飛び出していったじゃねえか。そんなウチは無理だよ。」
「未練を断ち切って、全部忘れてしまえばいいんだろう!」

「できもしねえくせにあっさり言ってくれるぜ。」
老人は苦笑しながら私の額を指で弾いた。
「単純に『忘れる』ってことでもねえ、『己』を捨てること。いや、『己』を無くしちまうと言った方がいいだろう。もっともそれがわからねえからオレもまだこの世界にいるわけだが。」
老人はボリボリ頭を掻いた。
「『己』?自分の記憶のことかい?」

老人は苦笑しながら頭を横に振った。
「『己』ってのは・・・記憶とその記憶という思い出話に拘っている自我のことさ。」
これは何かの禅問答か?
「そう、頭で考えてわかることじゃねえんだ。自分の意志で『天国』に行けるわけじゃねえ。逆に言えば、自分の意志でこの『地獄』に留まっているわけでもねえってことさ。どうやら『新しい入れ物』に入るべくこの世界に押し出されてくるのも本人の意思じゃないらしいがな。」
「おいおい、自分の意志じゃないって、それは神様とかがいて、そいつが決めるのかい?」
「神様?そんなのがいるとは聞いたことがないなあ。」
「じゃあそもそもいったい『天国』ってのは何なんだ?!」

老人はそんな私の質問には答えず、話を続けた。
「『己』を無くした霊魂は・・・異空間にある一つの大きな『意識』を持った集まりに飲み込まれ包まれていくんだそうな。」
「異空間?霊魂が集まって一つになるっていうのか??」
「半分以上はオレの推測の話だ。」

「『己』が無いから一つなんだ。一つだから言葉もコミュニケーションも必要なく、争い事とも無縁だ。もちろん悩みも無ければ喜びさえない。」
「それって・・・『無』じゃないか。それのどこか『天国』なんだ!」
「そう、『無』だ。ただしカタチは無いが、『それ』は確かに存在する。」

老人の話はとっくに私の理解のレベルを超えていた。
「苦しみ、悲しみ、喜び、笑いがあるのがシアワセなのか、そんなものが一切無いのがシアワセなのか、いや『天国』にはシアワセなんて感情もきっとないわな。」
「そんな夢のない世界、うれしくないよっ!」

老人はそんな私の肩に優しく手をかけ一言一言諭すように言った。
「おいっ、若造、天国だの極楽だのは人間が考えた身勝手な妄想に過ぎないんだ。それは霊魂が永遠に繰り返す一つのリセットの段階のようなもんさ。」
「リセットだって?」

「例えばだ・・・。」
そう言いながら老人が広げた手の平の上には粘土のような小さな球が現れた。
「俺たち霊魂はこの一個の小さな粘土の球みたいなもんだ。そして・・・」
老人がもう片方の手を広げると、その手にももう一個の球が現れた。
やがて球は一つずつ増え始め、やがて数十個になった。
「これがこの世界、つまり『地獄』さ。」
「すごいな、それは手品かい?」
「そうじゃねえ。お前の観念にそう見えるようにオレが働きかけているんだ。そして『天国』というのは・・・」
そう言いながら老人は両手の上の粘土をこねて丸め、大きな球をこしらえた。
「こういうことだ。個々の小さな球のカタチはすでにないが、この大きな球の中にはそれらに含まれていた全てが含まれて混じり合っている。」
「色んな『己』が混じり合って一つになる。」
老人は黙って頷くと、大きな粘土の球を両手で押しつぶし始めた。
やがて球の一部は小さな破片となり球を離れて落下した。
落下しながらそれは小さな球となって地面に落ちた。
老人の手の中の大きな粘土の固まりはフッと消え、彼は地面に落ちた小さな球を指で摘んで拾い上げた。
「これが新しい霊魂の誕生だ。そしてこれが新しい生命の入れ物の中に入る。」
「全くそのまま生まれ変わるんじゃない。色んな人間の『己』が混じり合って新しい『己』ができるのか。」
「いやまだこれは未完成の『己』だ。それが完全になるのは赤ん坊の中に入り込んでからだ。」
「人間の五感によって新しい『己』が再構成されていくのか。」
「飲み込みが早いじゃねえか。」
老人はニヤリと笑った。
「粘土をよくこね混ぜたつもりでも、稀には他の粘土球と混じり合わない偶然ってやつもある。」
「それが時に世間を騒がせる『生まれ変わり』なのか?!」
「そう言うことかもな。」
老人がにっこりと微笑むと、彼の手の中の最後の小さな粘土球はスッと虚空に消えた。


「お前さんの葬式は明日だろう。奥さんや娘さんにはまだ当分いつでも会うことはできるが、お前の入れ物はもう少しで灰になっちまうんだ。見納めしておいた方がいいんじゃないかい?」

老人と別れた別れた私は家に戻り、ぐっすり眠っている娘に口づけしてから棺の置かれた部屋に戻った。
妻と姉は線香を絶やさないようにまだ起きていた。
棺の開けられた窓から自分の顔を覗き込む。

「ボクはやっぱり死んでいる。」
老人のおかげで、死後のことを色々と学んだ私であったが、まだ自分が今ここにいるのに実は死んでいるという現実を完全に受け入れたではない。
もう半日もすれば私の体は灰になってしまう。
複雑な気持ちのまま、私は一日でずいぶんやつれた感じに見える妻の横に腰を下ろした。

一向に眠気を感じない私は明るくなるまで、今日こそはこの長くてややこしい夢が終わってくれと願いながら、さっきまでの公園での老人との会話を思い返していたのだった。


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