女学生達のまばゆい裸体を眺めながら、私はこれが夢だろうが現実だろうがどうでもよくなり始めている自分を感じていた。 「そうさ、夢だって醒めなけりゃあ現実と変わらないのさ。やっとわかってきたようだな、新入り。」 「この自分が霊魂だと認めた訳じゃないけど、夢にしても現実にしてもそれを否定することが無意味だと悟っただけさ。」 「我思う、故に我有り」 老人は再びデカルトの言葉を繰り返した。 「夢だろうが、現実だろうが、生きてようが死んでようが、人間は所詮自分の観念でしか物事を把握できないんだ。だったらそれを信じてやっていくしかないだろう。」 「まるで哲学者みたいなことを言うんですね。もっともそんな会話をするのにふさわしい場所じゃないけれど。」 「そりゃそうだな。」 老人は周りを見回しながら愉快そうに笑った。 「もう気づいているだろうが、今の俺たちは人間と同じ世界に存在している。ただしこの世界では俺たちは実体を持たない。 しかも感覚は『一方通行』だ。生きている人間達を見て、彼らの話している声は聞ける。奥さんに話しかけても返事は貰えなかっただろう。」 私は素直にうんうんと頷いていた。 「こうして物に触れることはできるが。」 そう言いながら老人は傍らの女学生の乳房にすっと手を伸ばした。 私は思わず「あっ!」と声を上げそうになったが、そもそも自分が女学生達の浴槽に紛れ込んでいるのに誰にも気づかれない存在だということを忘れていた事を自嘲した。 「触った感触はある。だが触られた相手はそれを感じない。いわば私のこの手は彼女にとっては空気と同じ、いや、何もないってことなんだ。しかもだ・・・。」 そう言いながら老人はその女学生の胸を揉むような仕草をした。 私はもう一度叫びそうになるのをすんでの所で堪えた。 「触れるのに揉むことはできない。何とも変な感じさ。まあすぐに慣れるだろうが。」 書斎で触れたパソコンの電源キーや、ペンと同じ。 「そうだ、俺たちはこの世界に有りながら、この世界のものには一切干渉できないんだ。」 「ボクは死んだら、何か違った、別の世界に行くものだと思ってましたよ。」 「あいにく同じ世界だ。そろそろ帰るか。」 そう言いながら老人が私の手を掴んだ。
次の瞬間、私たちは私の家の前に立っていた。 「そろそろ、通夜の準備も整った頃だろう。」 「もう少し話しませんか?さっきの公園ででも。」 「いいよ。だが分かっただろう、自分の死体や残された家族の顔なんか辛くて見てられないことが。」 そう言いながら老人は先に立って夜道を歩き始めていた。 イキナリ女風呂なんかに連れて行かれて面食らったが、私は老人が何故そんな場所へ私を連れだしたかが少しだけ分かった気がした。
「そうだ、例の瞬間移動の術を教えてくださいよ。扉を閉められちゃうと中に入れないんじゃ不便でしょうがない。」 「なぁに、簡単なことさ。目を閉じてその場に自分がいることを念じればいいんだ。」 「つまり観念」 「そうだ。分かってきたじゃねえか。だから見たことがない場所、知らない場所には行けない。」 「じゃあ外国でも行けるんですか。」 「もちろんさ。知らない国でも、飛行機のタダ乗りもし放題だしな。」 「そりゃあ便利だなあ。霊魂も捨てたもんじゃないですね。でも・・・。」 自分が霊魂、すなわち死んでしまったことを受け入れてしまった気分になっている自分に気づいた私は思わず口ごもった。 「風は・・・、世界のどこへ飛んでいっても楽しいと感じるかねえ。」 老人は空を仰いでどこか遠い目をした。 「霊魂には永遠に続く毎日がある。風のようにあっという間に飽きちまうさ。」 気が付くと二人はあの公園まで来ていた。
「座わらねえか。」 老人はそう言いながらベンチに腰を下ろし、私に横を勧めた。 「そうだ、生まれ変わりってあるんですか?」 「ある。」 老人はキッパリと即答した。 「ただし、それがいつなのかは分からねえがな。十年後か、百年後か、千年後か。」 「どうすればいいんです?!」 「死んだばかりで葬式もまだなやつが、もう生まれ変わりたいのか?」 老人は真剣なまなざしで私の顔をじっと見つめている。 「生きていた頃のことを全部忘れちまってからだ。」 「前に『霊魂は忘れっぽい』って言ったじゃないですか。あれはウソですか!」 「忘れないと人間に戻れないからさ。だから忘れるよう努力するんだ。」 千晶のことも愛のこともみんな忘れろって言うのか。 「未練があるだろう?『成仏できない』ってのは、実はあの世に行けない事じゃなく、新しい『入れ物』に入る資格がねえってことさ。」 「入れ物?」 「まだ魂が入ってない人間。」 「それって・・・赤ん坊のことかい?」 老人は黙って頷いた。 「おぎゃあと生まれ出る頃にはまず魂は入っちまっている。産婦人科で待ち伏せしている霊魂も少なくないが、あそこは競争率が高くてなあ。」 「じゃあどうやって?!」 「俺が知るもんか。そもそもお前だってどうやって・・・えっと山本仁志だっけ、あいつに入ったんだ?」 「そんなこと覚えてるわけ無いじゃないですか!!!」 そうだ、これは繰り返しなのだ。 カラッポになってカラッポの人間に入って人生を送り、死と共にそれから抜け出しまたカラッポになって人間に戻っていく。 「そういうことだ。俺たちはずっとそれを繰り返してきたんだ。」
私はまだ千晶を愛のことを忘れたくない! 「すいません、また今度。」 私は私は老人をその場に残して家に向かって駆けだしていた。 走り出してすぐ、私は老人に教わった「瞬間移動」の術を思い出した。 目を閉じ、我が家を思い浮かべる。 次の瞬間、私は目を泣きはらした妻の前に立っていた。 愛は・・・今は冷たくなって動かない私の体を一生懸命揺すっていた。 「パパ、もう起きて。もういっぱいおネンネしたでしょう。会社に遅刻しちゃうよ。」 そんな愛を私は力一杯抱きしめて号泣した。 滴り落ちたはずの私の涙は、決して愛のワンピースを濡らすことは無かったが・・・。
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