どのくらい経ったのだろう。 静かに部屋のドアが開き、入ってきたのは葬儀屋か? 葬儀屋の男も私には全く気づいた様子はない。 私の死体は担架に乗せられて運び出されていった。 妻と娘がその後に続くのを見て、私も慌ててその後を追うしかなかった。 部屋を出るときに、ドアノブに触れてみた。 冷たい金属の感触がしたが、ドアはピクリとも動かなかった。
どうやら私の死体は家に運び込まれるのだろう。 「愛が『パパが一人じゃかわいそう』とダダをこね、私の死体が乗せられた葬儀屋の車に同乗することになったようだ。 妻が家まで車で先導するようだが、こんなところに一人取り残されたのではたまらない。 妻がドアを開けた瞬間を逃さず、私は助手席に滑り込んだ。 シートベルトは・・・・、ベルトに触れることはできたのに、それは全く動かなかった。
やがて車はゆっくりと走り始める。 確かに妻には私は見えてないのは間違いない。 運転しながらも妻の頬には涙がつたっている。 恐る恐るその頬に触れてみる。 それは確かに私がよく知る柔らかい彼女の頬で、冷たい涙の感触だった。 彼女がハンカチでその涙を拭おうとしたので、私は慌てて手を引っ込めた。 しかしその引っ込めた私の指は涙で濡れてはいなかった。
私はますます混乱していたが、意を決して妻に声をかけてみることにした。 「おいっ、千晶、ボクだよ。」。 彼女は全く無反応だった。 やっぱり聞こえてないのか? 今度はもっと大きな声を張り上げてみる。 「おい、千晶、ボクはここにいるぞ。」 私の方を振り向こうともしない。 私は妻に自分がここにいることを知らせる術が全く無いことを認めざるをえなくなった。 いったいこの忌々しい夢はいつまで続くんだ? まさか目覚ましが壊れて寝過ごしたりしてるんじゃないだろうな。
そうしているうちに車は家に着き、私の死体は家に運び込まれた。 開け放たれたドアから、続いて私も家の中に入る。
自分の死体に付き添っていてもしょうがないので、私は一人自分の書斎に向かった。 机の上には私の愛用のパソコンが置いてある。 だが、何度私がその電源キーに触れようと、パソコンは起動することが無かった。 ペン立てにさしてあるペンを手に取ろうとしてみたが、やはりそれは触れた感触こそあるものの、動かすことはできなかった。 八方ふさがりか。 私は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
その内、親類達が徐々に集まり始めた。 布団に寝かせられた私の周りをウロウロしてもみたが、やはり誰も私に気づく者はいないようだった。 けっ、自分へのお悔やみの言葉を聞くなんて縁起でもない。 玄関のドアが開いた瞬間を狙って私は外に飛び出した。
もう師走の夜だってのに不思議と寒さは感じない。 フシギと言えば、私の目に映るのはいつもと寸分の違いもない風景なのだ。 行く宛もなく近所をふらついた私は、小さな公園にやってきた。 誰もいない公園で照明に照らされたベンチに腰を下ろす。 そう言えば朝から何も食べて無いはずなのに、空腹感は全く無い。 おまけにトイレも催さない。 もうこんな縁起の悪い、退屈な夢はゴメンだ。 わかったぞ、きっと葬式の辺りで目が覚めるに違いない。 早回しはできないのか?! 夢ってやつの時間はもっと早く過ぎるもんだろう。 こんなまどろっこしいリアルタイム進行の夢なんてカンベンして欲しいものだ。
「おい、自分が死んで霊魂になったってコトをそろそろ認めたかい?」 気が付けば病室で出会ったあの老人が、いつの間にか私の前に立っていた。 「これはボクが死んで霊魂になる夢だ。」 「へっ。まだそんなことを言ってるのか。まあいいや、夢も霊魂の世界もそんなに変わらないしな。」 老人は苦笑しながら私の横に腰を下ろした。 「なあ爺さん、知ってるんだったら教えてくれ。この夢はいつまで続くんだ。」 「この「夢」には終わりなんてない。霊魂の世界は永遠に続くんだ。」 「冗談はよしてくれよ。夢は終わりがあるから夢っていうんじゃないのか!終わらなかったら夢じゃないだろう。」 「おい、新入り、いいことを教えてやろうか?夢ってのは人間が死んだ時に霊魂になる時のための予行演習なんだぜ。」 「夢を見ている時は幽体離脱してるってのかい?」 「そうじゃねえよ、昔偉い学者さんの残した言葉があるだろう。『我思う。故に我有り。』って。」 「・・・・・今度はデカルトか。」 私は呆れて大きな溜息をついた。 そんな私には構わず、老人は話を続けた。 「アンタ、夢で出会った人の顔を鮮明に覚えているかい?」 「そりゃあ、もちろんだ。知りあいなら顔のしわまで覚えているさ。」 「違うな。そいつはアンタが出会った人間を『その人だ』と決めつけてるからさ。夢の中の顔を覚えてるんじゃない。アンタの記憶がくっきりと見えたように錯覚させているだけだ。」 私は老人が何を言いたがっているのかがわからなかった。 「さっきオレのことを爺さんとよんだろう。それはアンタがオレのことを勝手に爺さんだと思っているだけだ。確かオレが死んだのは二十歳だぜ。」 「アンタが死んだのは何年前なんだ。それから何年も経っていればやっぱりアンタは爺さんだ。」 「霊魂には時間の観念がないから正確なことは覚えてないが、オレは太平洋戦争の時に死んだんだ。」 何やら面白い話になってきたじゃないか。 私は思わず膝を乗り出していた。 「どうせ何もすることが無くてヒマなんだ。もっとその時の話をしてくれないか?」 「あいにく霊魂は忘れっぽいんだ。それに霊魂は人間と違って寿命がない。いちいち全部覚えてられるかってんだ。そうだ、どうせアンタもヒマなんだろう?ちょいとつき合えや。」 そう言いながら立ち上がった彼は私の腕を取った。 次の瞬間、私たちは隣町のスーパー銭湯の前に立っていた。 「スゴイ、どうやったんだ!」 「その内、ぼちぼち教えてやるさ。ついてきな。」そう言うと彼は中へ入っていく。 「おい、そっちは女湯だぞ。」 「なあにどうせ誰にも見えてないんだ、構わねえさ。けっ、今夜はババアばっかりじゃないか。」 なるほど脱衣所には若い女性の姿などほとんど無く、中年以上の女性ばかりだった。 「えっ、ここは混浴だったのか?!ウソだろう。」 そう女性客に混じって何人かの男性客の姿があった。 「アイツらはみんな俺たちのお仲間さ。熟女好きだなんぞ物好きだねえ。」 「霊魂だってのか?」 「女性客には見えてないけどな。他へ行こうぜ。」 彼が再び私の腕を取り、気が付いた時は町中のホテルの前だった。 「ここは・・・京都か?」「九州の田舎高校の生徒さんが修学旅行に来ているはずだ。」 「おいっ、まさか女学生の入浴を覗こうってのか?」 「何だい、もっと若いのが好みかい?」 「ボクには娘がいるんだ。」 「過去形だろ。」彼はフフンと鼻で笑うとズンズンと中へ入っていき、フロントを横切って大浴場へ向かう。
「極楽だろ。」 それから10分もしないウチにピチピチした肌の生まれたままの姿の女学生達に囲まれて二人は湯船に浸かっていた。 「良心の呵責を感じるなあ。」 「キレイゴトはよしな。男ってやつの霊魂は、しばらくは家族の周りを彷徨いているんだが、それに飽きると真っ先にやってくるのが女風呂だって話だぜ。噂で聞いた話だが、高校生で自殺したある霊魂は、片思いの彼女の家の風呂場に彼女が結婚するまで毎日通い詰めたんだとよ。」 「何だか少し失望したなあ。霊魂っていうのは残された家族の周りだとか、病院の中だとか、事故現場だとか、お墓の辺りを漂っているモノだと思ってたのに。それがまさか女風呂にたむろしていたなんて。」 ボクは大きな溜息をついた。 「ほぉ、霊魂の存在を信じていたのかい?」 「もし存在していたならという仮定の話だよ。」 「そういう所に居着いてる連中も一部にはいるが、墓場は陰気くさくていけねえ!あそこに出かけるのは墓参りシーズンだけだ。いちいち親族の家を回らなくて済むからなあ。」 「そりゃそうだ。」
女学生達はまさかそんな所で男の霊魂が二人も腹を抱えて笑っているとは夢にも思わなかっただろう。
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