42 封印解き 「夜を守る」や 向日葵と
私は幸成の、弟を思う言葉に心打たれた。それで、封じていた思いまで伝える気になった。 「春人さんは、亡くなる前夜、私に初めて具体的な仕事を要求したんです。はい、仕事です」 私は一年前を思い出し、やたら立て続けに喋り始めた。自分自身にだった気もする。 あの夜、「寒い」と春人がつぶやくのが聞こえた。「えっ、寒いのですか。」私は問い返した。「ハイ。」間を置いて、「何故か寒いんです。温めて欲しい。心も。温めてくれませんか。」三度繰り返された。穏やかな顔だが、要求は呑み難い。更に続いた。「いつ死ぬか分らないんです。血管の中の小さな塊でも肺の入り口を塞いだらそれで終りなんです。」「寒くてしようがないんです。」 応えない私に苛立って、「協会には、言っていけなければ決して言わない。気づかれることはありません。」とまで言った。それでも私は、「冗談はいけませんよ」と応じていた。 私はその時プロとしての意識を失っていた。長く意識してなかった女として反応していたことになる。どうしようもない私だ。仕事をする資格などある訳ない。仕事はやはりできない。 僅か一ヶ月の関りだったのだが、尾を引いた。もはやこの仕事をすることはない。10年余私を変身させてきた稀有の日々は消えていく。でも惜しくない。その間に身につけたものは多い。患者を通しての学びもだし、それ以上に残りの若さを実感することもできていた。この十年が、その数年前と同じだったとしたら、と想像するだけでぞっとする程だ。 勿論、人は苦境に立って何かする。何もせず老いて死に逝く選択肢も存在する。私はそうしなかった。それがこの十年間につながっていた。ただそれだけである。また辞めることも自然だろう。もしも次の選択肢が浮上すればそうする。何度も自問自答して一年間を過してきた・・・・。 長かったのだろう。話を終えた時、黙って聞いていた幸成が「フッ」とため息をついた。 互いに何も言わない静けさを破り「ありがとうございます」と、幸成は礼を言い、語り始めた。 「弟は向日葵が好きだったのですが、死を直感し、敵わぬまでも雄々しい花に似た自分を描いていた気もします。あなたの直感は間違ってなかった。緑さんにも末期の自分を見届けて欲しかったのかも知れません。私もギリギリの時、そんな気持になるのかな、と今思いました。」 幸成の意外な言葉に驚いた。そうかも知れない。だとすれば、私の拒否は正しかった。でも、春人が、女を忘れている私に本当に女を感じてくれていたとは矢張り思えない。私は改めて自分の中のプロ意識の欠落を悲しんだ。その上で、もう一度やり直して人生を全うしたい、と幸成とは逆に思った。自分だけに秘めていた胸の内をここで吐露できたことも、予期せぬ契機になった。 北京へ単身赴任するという中性を思わせる幸成に、手作りの袋をあげた。弁当袋は時代遅れだろう。でも何かに使って欲しいのだ。いわば私の分身でもあるのだから。そして私も、北京の幸成に会いつつ、大連を訪ねたくなった。ノスタルジーではない。私の故郷、ルーツ探しである。
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