41 一周忌 縁者の訪れ 蝉時雨 一年が過ぎた。仕事もせず外にも出なかった。面白くもない日々を送っていたことになる。 突然、手紙が舞い込んで来た。品川幸成。すぐには誰であるのか思い出せなかった。文面には電話番号が記してあって、掛けて欲しいとある。家政婦協会に出向き住所を聞いたのだろう。 私の携帯電話は仕事中心だった。だから、春人の仕事を終えてすぐ捨てている。今は持たない。だから、誰の電話番号も知らない。こちらから掛ける相手等いない。掛けたい人は家に掛ければいい。これで一年間過していたことになる。春人の兄であることを思い出した。ほおっておこうともした。でも「どうしても会いたい」と記した幸成の顔が春人の顔と重なって現れるのである。 私は気乗りしないままに受話器を上げ、指定の番号にコールした。結局、出不精の私は幸成の訪問を許した。一周忌の記念を渡したいとの熱意に負けたのだ。 患者の「四十九日」にさえ関心を寄せることはない。一周忌に以前の患者の身内が訪ねて来るなど、例がある訳ない。 亡くなってすぐなら、予期せぬ形の対面をした患者の縁者もいた。しかし一年近くも過ぎてからはあり得ない。亡くなった病院で何度も顔を合せていた幸成だから顔は忘れるはずもない。私は、件の男の申し出を受けることになった。来たければご勝手にどうぞの気分だった。 庭の蝉をぼんやり見ていた2時、約束通りきっかりに、幸成は私の家のベルを押した。 一周忌にわざわざお礼を言いに来たと言う。ほんとに魂胆はないのだろうか。 「弟は下駄が好きだったんです。私も嫌いではありません。」「弟はあなたに格別の感謝の気持を抱いていたようです。」幸成は記念だと言う下駄を差し出した。焼き杉の台に鮮やかな赤い鼻緒。一目で気に入った。私に思い出すことがあった。亡くなる前日訪れていた緑もワンピースだったが下駄を履いていた気がする。真っ赤でなく鈍い小豆色の鼻緒姿が目に浮んだ。 春人と幸成の思いに、私の気持は揺さぶられた。幸成は言葉を続けた。 取り留めなく見えたが、幸成は末期の弟とのことを矢張り喋った。 「中国に行って奇跡を望んでいたのです。でも適いませんでした。あの緑と言う人が色々調べてくれていたことも聞いていました。航空会社は介助者と当人の酸素ボンベを持ち込めば、病人の搭乗の許可もあり得る、とまで言ってくれてました。髭剃りの時、吸引器をどれだけの時間外せるかも、正直計っていたのですよ。でも実現できなかった。あいつに運はなかったのです。」 確かに私も聞いていた。「出来たら近い内に、中国に行って奇跡を実現したい気もしています。」中国に行って、漢方による一発逆転を狙うか否か。春人が考えていた。忠実な患者から、別の所に居場所を移すことで新たな可能性が開けるかも知れないと思っていたのだろう。このままここにいて命の終焉を無為に待つのを耐え難く思ったとしても当然だ。しかし私は、春人の中国行きは、幾ら何でも、夢物語としてしか聞いていなかった。何と応答したかも覚えていない。
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