40 生き死にも 諸行無常 暑さ越え
二人がそれぞれに帰って行った後、春人は上機嫌だった。 「今日はいい日だ。うん、今日はいい日だ」を繰り返した。髭を剃って気分がよくなったことも否定出来まい。それ以上に可愛い人に会えたのが余程嬉しかったのだろう。春人も多くを語るわけでなかった。ただじっと緑の掌に全身を委ねていた。それだけで良かったのかも知れない。 緑にしたら、祈るが如くだったのか、涙も見せないように努めているのも傍から見て分った。 殆ど毎日見舞いする兄とのひげを剃る約束も春人は突然果たした。酸素ボンベからの吸引器をあれ程長く外したのを私は知らない。許容時間が長かった。おとなしくじっとしているのは、まるで子どものようだった。それを可愛い子にじっと見られていた。 ところが、突然の出来事に見舞われたのだ。翌日、朝食後、春人は突然苦しみ出した。恐れていたことだが、小さな血瑠が、遂に肺の入り口を塞いだのだろう。看護士室にすぐ連絡した。 私は医者がばたばたしている間に、春人の妻と兄である幸成に緊急電話をした。仕事を中断し年休を取った幸成が到着した時、もう春人の意識はなかった。午後過ぎて妻も到着した。私は介助料の書いた紙を渡して精算して貰った。仕事が増えていく中でも常に確認してきた手順だから妻も淡々と支払った。そして私は九州大学付属病院を出た。私の仕事は終った。 クラクラッと目まいのする暑さが襲って来た。 建物を出てすぐ、昨夜依頼されたばかりのことを果たした。これは仕事ではない。言うならボランティア活動の積りだ。電話の向こうで緑のすすり泣きは止むことがなかった。私は「切りますよ」と言って切った。区切りをつけないとキリがない。 携帯を切ってすぐ春人の顔がまた現れた。私に過去のあれこれを喋らせた昨日の顔だった。春人はもしかすると今日の日をどこかで予感していたのではないか。そんな気になった。 改めて振り返る。一昨日、実兄に電話をさせ緑を呼び出した。そして昨日は傍にいてくれる喜びを満喫していた。兄の幸成に髭も剃らせた。吸引器を長く外して平気でいた・・・・。 地下鉄に乗ってからも、家に帰り着いてからも、私はずっと引っかかったまま、抜け出ることが出来なかった。私は、栄子にすら何も言いたくなかった。気持の表し方が見つからない。私の心は穏やかでなかった。しかし、全ての関りを封印するしかない、私は心に秘めた。 そして、私はそのまま誰に相談することもなく仕事を辞めた。家政婦協会は「何故だ」と問うた。今度の患者が何かをしたからか、とまで詰問した。「いえ、そんなことはありません。」私はひたすらそういい続けた。仕事を辞めれば一層、簡単な家事以外、家ですることなど殆どなかった。その後も家政婦協会からは何度か仕事復帰の誘いもあった。それでも私は、この仕事はもはや出来なかった。家にじっとしているだけだ。辛うじてパッチワークだけは手持ち無沙汰に続けた。
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