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作品名:夜を守る 作者:あるが  まま

第39回   39  褒美やも 「いい夏」訪れ 青々に
39  褒美やも 「いい夏」訪れ 青々に
  
今回の仕事は、夜だけでなく一日中になった。昼食介助の後、私は春人に促され、ついつい昔のこと、引揚者であった親のことまでも喋ってしまった。考えてみるまでもなく、中国大陸を経験していた親の関係だけで言えば、多少は中国と縁のあるはずの私である。だが、上海ツアーに参加した程度には中国を嫌っていない訳だし、かと言って特別の感情を持つこともない。
春人は吸引器をつけたまま重ねて聞いてきた。けど「中国へのノスタルジー」など些かもない。
その時、一人の女性が部屋に入って来た。私が連絡するやも知れなかった女性、緑だと思った。吸引器を瞬時ずらした春人の顔を見、すぐ、私に目礼したその眼差しで直感したのだ。
前日、春人は見舞いに毎日のように来る兄幸成に頼んでいた。「この電話番号に連絡して欲しい」と。そして兄が帰って行った後、「もし明日見舞い客がなかったら、あなたから連絡して欲しい」、と同じことを私にも頼んだのだ。春人の兄、幸成は弟が好きでしようがない風に見えた。小一時間の所に住むといっても毎日見舞いに来るのは余程の思いがなければ出来ないこと。それは、私の経験上からも分る。それでも、春人が依頼した相手が女性であってみれば、兄として受諾するのもまた心を揺らすのではないか。頼まれ相手とは言え、幸成の考えは私には分らない。
それで春人は、もしやのことを考え、幸成に依頼していることを聞いて知っている私にも、万一の頼みをしていたのだ。私は父親や、これまでの患者の中に、妻には言い辛いが、それでも会いたい人がいることを理解している。幸成ができなければ、依頼された以上自分が買って出るのはプロとして当然と言う気持にもなっていた。春人には逆らい難い魅力もあった。
春人と緑という女性との関係はどう言うものだろう。教え子であるようだが、それとて定かではない。はっきりしていることは、互いに信頼し合っていることだ。しかし私はそれ以上詮索する気持もない。患者が喜ぶことは出来るだけする、これが仕事人の心意気の積りだ。
夕食の時間になって少しの間、緑は部屋を出て行った。春人はこのところ余り食べなくなっていた。すぐ酸素ボンベから送られて来るのを吸い続けた。
緑は戻って来て、また静かに腕や胸をさすっていた。春人は安心し、気持ちよくしていた。
そこへ春人の兄、幸成がいつもの仕事帰りに立ち寄った。
緑は、幸成にすぐお礼を言った。そしてまた何も無かったかのように、胸をさすり続けた。
幸成は、かばんの中から道具を取り出し、「いいか」と春人に問うた。昨日約束の髭剃りが始まるのだ。「うん」と言って吸引器を外した。緑はびっくりして「いいの」、と目で問いかけた。
「うん」春人は同じような口調で応えた。承知していた私も驚く。親子ではない。互いに寄り添う感じの兄弟の羨ましい姿だ。私は緑と一緒に、吸引器を外したままの春人の柔かい顔をずっと見続けた。少し青々とする感じに仕上がった。「ありがとう」春人は鏡と緑の笑顔を何度も見た。


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