37 「しとど汗」つづき
春人の命に対する執着は強い。孫たちの行く末を見るのが次の楽しみだと言う。にもかかわらず、今誕生した初孫は自分の生まれ変り、分身に違いない、とか思い込んだりもする。 春人は淡々と述べた。「定期検査は怠っていなかったはず。なのに、いつの間にか膨れ上がった肝臓のがん細胞の塊が弾けて腹腔内に飛び散ったんですよ。」 「どこにでも転移していくから、もう終り、私の一期が見えたのだ、と分ってもいますよ。」 私の反応を春人は見ていたが、いつものこと、私は何も応えることが出来ないで黙っていた。 「だけど、私は奇跡を信じているんですよ。ほら、中国から取り寄せたこの薬、私は期待しています。」引き出しから液体を詰め込んだ小瓶を出して見せた。 「武漢にいる知人が調達して送ってくれているんです。」春人は遠くを見ながら続けた。 その時、母娘らしい二人連れが突然入って来た。汗拭き拭きの姿に必死さが読み取れた。熊本県の菊水インターと福岡インター間を高速バスに乗り、そこからタクシーで来たのだと言う。 「先生は数学の先生。でも私には道徳の先生。」初め娘の方が患者との関係を私に紹介した。 「お世話になった先生です。夜遊びも止め、普通の娘でいるのは、春人先生のお陰です。」 「卒業式後の別れで沢山の生徒が、先生の胸にすがって泣きました。女子は化粧をしているので、先生のダブルの黒服が白く汚れてしまったそうですよ。早く元気になって、これからも高校生を鍛え直して欲しいです。」母親が、娘への指導を有難くあれこれ思い出しながら繰り返した。
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