33 「足早な」つづき
私も黙って引き下がる外ない。そして、すぐ思い出した。 私は、自分の父が退院はないことを半ば覚悟した時、父に聞いてみた。「誰か会いたい人はいないの」。私は正直、女人の名前を出すのではないかと恐れていた。もしそうだったら、母のいない時にこっそり会わせる手立てを考えよう、とまで思っての問いかけだった。 父は暫し考えていたのか、間を置いて、しかし、「いない」と応じた。 私は父に好きな人がいると感じている。その人もまた父が好きなのだと思う。 父の最期に女の人は会わないままでもいいのだろうか。 父は、娘である私を気にかけ、妻である母に遠慮したのだ。 会いたい人は異性に限らない。同性であっても、どんなに自分が醜くなっていても、もう一度会って死にたいと思う人もいよう。私にはそういう気持になるはずの友達が一人はいる。 父の病が一層進んでからは全てを母が取り仕切った。母が会わせていい人だけが見舞いに来た。母の気持が生きて、父の思いは切り捨てられていた。「夫婦」である事実の重たさである。 豊と自分の父とを重ねた。玄関先の桜の花びらが風に煽られ肩に乗った。私はバスの中でも人の末期の心情を思った。妻と言う名は後ろめたい。自分の場合どう対処するか等考えていた。
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