11 「旧家なり」つづき
「この子のお父さんの里にはまだ連れて行ったことがありません」、と雪乃は続けた。 重度の障碍を持った孫を自分の孫として認めてないのだ。 「お義母さん、つまりこの子のおばあちゃんは何度かこのマンションに来てくれました。来ても、不憫だ不憫だと言うのが口癖です。」 あっけらかんの雪乃ではなくなっていた。 祖父にあたる重一は80歳を迎えたのだと言う。77歳の喜寿の時は「そんな祝いはせんでいい」と言い張っていた。ところが今度の傘寿の祝いは求めた。一族で宮参りしお神酒をいただくのだが、全員揃うことを要求したらしい。 死期を無意識に感じてだろうと多くの者は推測した。ならば尚、この期に及んで未だに孫の障碍児の事実を認めようとしない祖父の神経が私には理解できなかった。 美代の母親は勿論二度ほど会った父親にも私は旧家意識を感じていなかった。しかし祖父は違うようだ。祖母のシゲの意識も祖父と同じらしい。が、そこは母親経験者である。生まれた子の存在を無視できないのだ。それとて雪乃の気持を慰めるには至るはずもない。障碍児が生れるのはどこか家柄の卑しい家だからと思い込む祖父母達に私は腹が立った。
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