45 汗しとど 始まり新た 向う夢
上海は今日も暑い。下駄履きの足でも汗が滲んで来る。それでも嬉しいと気にならない。 上海でのZ(労働)ビザが目の前にある。心配する人も多かっただけに感無量である。 67歳でもZビザ支給を可能にさせた上海外国語大学の権威は偉大である。 一年前、命じられ上海空港に私を出迎えた牧院の若い職員は宗と名乗った。その後も多々世話になった。ビザ取得上の私の苦境を感じ、当局と交渉し続けたのも宗である。 私はここに至るまでの幾重にも縁が重なった道のりをあれこれ思い浮かべてしまった。 五年前の中国行きの時、中国の東北地域を希望してはいた。が、どこでもよかった。行けば都になることは私の生き方から予測出来ていた。事実、未知の都市、福建省ショウ州は私の初めての中国生活を送る場所として実によかった。 翌年は東北での仕事を熱望しハルビンに迎えて貰った。そして好きな場所になった。三年目は上海を避けて蘇州を選んだ。この蘇州生活を経験してから、次は上海で二年間仕事をしたいとなった。万博もある。福岡から最も近い中国で、同じ大学の同じ学生を二年間見届けたい気持ちが募ってきた。ところが上海を実際に求める段になると年齢制限も厳しく駄目になった。この点で堂垣内らの言う「上海は無理」は当たっていた。 それで紹介する人のいた江蘇省泰州市が、私の中国4番目の都市になった。全く知らなかった場所がショウ州同様思い出の地になった。何度か繰り返した貴重な経験である。 それでも、日本、特に福岡から来れる人のことを考えたら、上海が一番いいことに変りない。泰州からは上海浦東空港まで片道4時間以上かかる。蘇州も、当時の私の部屋から浦東空港まで片道3時間近く要した。簡単に送り迎えは出来ない。上海市内だと大抵の場所から空港まで1時間半もあれば済む。この差が私には大きかった。
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