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作品名:憧れ河 作者:あるが  まま

第44回   44 「すっぴんの」つづき 
44 「すっぴんの」つづき 

最初の赴任地ショウ州師範大学に勤めていた時、日中友好協会福岡支部の会員で北京の大学で短期留学生として中国語を勉強していた人たちが短い休みを利用してアモイまで飛んで来てくれることになり、学校のミニバスで迎えに行くことにした。ショウ州の学生の多くは日本語教員として赴任してきた私たち以外の日本人を見たことがなかった。
一人でも多くの人に日本人と出会って欲しく宣伝ポスターを作ろうとしたところ学校側から一時止められた。日本人を嫌う若者に嫌がらせを受けさせたくないと言う配慮だった。私はそういう嫌がらせしたい人にも、私に会って欲しいと別の紙に自分の部屋の場所や電話番号を記して貼っていた。だから、学校側のその時の心配は無用だと説明した。
岩佐英樹礼子、池田、大薄、三好らがショウ州のこの学校の学生の前で話したのである。
日本人の話の後の質疑応答中に学生の南京虐殺に関する詰問があった。通訳を担当していた中国人教員はその部分を訳さなかった。私は親善訪問の彼らに代り少し中国語の単語も交えて応えた。通訳には正しく通訳して欲しいことも要請した。交流集会を終えバスを仕立てた世界遺産の土楼見学にも、バスの制限人数内でだが学生たちも喜んで同行した。
 次のハルビン師範大学では、知人である向山、佐藤、本多らが学生と関わった。日本語クラブでも小さなグループ毎に語らった。なかなか出来ない生の日本語会話の時間だ。また特に親友村山淳彦が来た時には、何百人もの学生を前に大学の講義をして貰った。
そして蘇州大学で、聴濤らにもお世話になったのである。
今いる泰州の牧院は日本からの便が悪い。上海空港から片道4時間かかる。だが、甥の侑大、姪の良子たちに活躍して貰った。与えられた条件の中で、私らは生きていく。己の得手不得手を承知し、条件を活かした日中友好の交りを私は続ける。多くの人と同じだ。


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