43 すっぴんの 交わり熱く 梅雨中も
私は既に67歳になった。私の体はいろいろにガタが来ている。だから体を慣らすのは大変だ。当面の最大の問題は、二胡の弦を正確に押さえることが出来ないことだ。左手の薬指と小指を意識的に鍛える必要が出て来た。二胡の先生の指の動きは見ているだけで気持よくなる。そんな姿に少しでも近づきたいと思う。 そして応援団時代の太鼓打ち練習の左手左指鍛錬の時のことを思い出す。 手が空くと指を鍛えることにした。1,2。1,2。1,2,3,4。指が痛くなり肩も凝る。それでも少しの間をおき何度も繰り返す。二胡に言うことを聞いて貰うためだ。雨の中も、二胡を背に合羽着て先生の下へ自転車を走らせる。昔から似たような自分がいた気もしながらだ。 二胡の練習に時間を多く使うが、今の中国情勢、日本や世界情勢をどう見るかも欠かせない日課だ。『マルクスの弁明』は今も読む。著者の聴濤弘の顔を思い浮かべる。中国の未来についての見解は特に好きだ。そこは何度も読む。若い頃からの本の読み方である。 蘇州大学に勤めている時、中国を旅する聴濤弘にも授業の場で語らって貰ったことがある。恩人である向山征哉の紹介で直接聴濤に会うことが出来たのだ。私の学生時代の憧れの人と言っていい。その人が私の授業の場で、私には出来ない日本事情、世界情勢を語るのである。学生にとっても予期せぬ贈り物であった。私以上に生真面目な聴濤を、多くの学生は真面目日本人の典型のように見ていた。 私は若い頃の夢の実現として、退職後に中国で仕事をしているのだが、少し学生事情が分ってくると余計に中国人学生と日本人との交流を計画したくなるのだ。多様な日本語、多様な日本人に接することは不可欠だと考えるからだ。
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