35 還暦や 初夏の北の地 下駄弾む
一生の中の大きな区切りだと私が考えていたのは、月並みだが、二十歳と還暦である。 二十歳、「はたち」の響きに惹かれていた。成人「=人に成る」と言う二十歳に、その後の不安を、私は感じることがなかった訳ではない。しかしそれと比較にならない何倍もの無限の可能性、豊かさを思い描いていた。若さあればこそ、未知の世界に踏み込んでいくことが出来る。私には、事実、応援団と中国研究と学生運動ら今まで知らなかった世界に関わりを始めた記念の歳となった。 それから40年の月日が流れた。二十歳の記憶と繋がりながらの40年であった。 60歳。「暦を還す」意味でも、年寄りとしての新たな始まりである。私の過去を殆ど知ることもない孫も存在する年齢になった。宮崎駿の作品の中で教えられた「ゼロになる身体」の意味とは異なる。しかし文字通り暦を還して新たな歩みを始めるしかないのだ。 私は現職の身である。しかし二十歳を迎えた札幌で、還暦の誕生日も迎えたいと考えた。 年休を取って北海道に行くことにした。学校は定期試験中だから授業はない。試験監督の分担分も事前に多くした。 一人でもいいのだが、一人では勿体無いとの気持ちも強く出て来た。それで孫たちも一緒に行く方法を考えた。 航空業界が新たな客層確保で、誕生日サービスをしているという。国内線ならどこまで乗っても1便1万円、しかも4人まで可能であった。姪の陽子(10歳)、良子(9歳)、それに孫の元気(4歳)の3人に、2歳「未満」の大紀を膝に抱いて出かけることになった。 5人全員が日田市の月隈木履の底にゴムを貼った下駄を履いた。「下駄履き禁止」等の不当な差別は、航空業界でも既になくなっていたのも幸いした。
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