33 我二十歳 花見の後の 目覚めなり
私は5月生まれだから、多くの同級生より早く誕生日が来る。大学は一浪しての合格だったから、入学してすぐ20歳の日を迎えた。この「二十歳の誕生日」を私は高校時代から特別に意識していた。 この日、私の住む教養部生が入る恵迪寮の「中国研究会」でではなく、福岡の津屋崎中学、宗像高校を卒業し、一緒に一浪して同じ大学に入学できた三人で集まった。 恵迪寮は5人部屋だった。だから、寮外生が来てくつろぐ等はちょっとし辛い。洋ちゃんと呼んでいる上妻洋司の下宿部屋に、天ケンと呼んでいた天野憲典と行った。 札幌に来てからの私らの集まりには、ビールはおろか酒も焼酎もなかった。アルコールはいらなかった。三人で会う時はいつも、ローマ字ビスケットと黒砂糖まぶしの花林糖を買った。どちらも安い。花林糖は甘いのがよかった。 どうしても故郷の話になる。しかし、この時ばかりは、前日参加したデモと集会の話を私はいっぱいした。19歳の最後の日、20歳を迎える私への贈り物の気がしていたからだ。 私は他の二人とは違ってこの寮に入れたお陰で、政治の現実を垣間見ることが出来た。一口に「反体制」と言っても、セクトがあるらしい。革マル、マル学、社学同、社青同、民青などの名前もいつしか知ることが出来た。 集会デモ参加の前に、5月の連休は応援団の合宿に参加していた。腕立て、腹筋など基礎体力をつけることと共に、大声を出す訓練があった。三日もしないで声が枯れ日常の会話は出来なくなる。それでいて声出し訓練に入ると、不思議に声が出る。
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