32 「凍る道」つづき
10年も中国で仕事をして来た堂垣内である。彼の目には質の悪い中国人が映っているようだ。「金儲けばかり考えている、自分の都合ばかり考え日本人を利用しようとしている」、と堂垣内は非難する。こうした中国人に出喰わして被害に遭い、結果的に周りに迷惑をかけるドジな日本人は迷惑、日本に帰るべきだ、と言うことらしい。彼の目からは、「無知」でドジな年寄りが中国で生活していることなど許されないのだろう。 しかし私は「あるがまま」、今の自分のまま、日本に帰らずにいる。帰りたくないのだ。 中国人学生にも好まざる人間は確かにいた。他の学生ももしかしたらそう言う一面を持っているかも知れない。では日本の学生はどうか。そうした一面もなしとはすまい。そしてまた、日中どちらにあっても普通の人間も、いい人間も沢山いるものだ。 私の周りの中国人についての実感と対照的な堂垣内の激しい非難を思い出す度、彼の恩着せがましい態度を加味して考えると、彼の周りでも類が類を呼んでいることを感じる。私は、堂垣内の世話にだけはなりたくない旨も伝えた。 堂垣内は最後にこう述べる。「うすうす感ずいていたことが確信に変った。それはあなたが精神的におかしいということである。病人に対して文句はいえぬ。犬に咬まれたと思ってあきらめるほかない。一刻も早く帰国され、通院されることをお勧めする」と。 「見事」な結びである。 私は、見聞録を公表しながら、中国を訪問する日本の友人知人を待っている。一方、時間とお金があれば、中国のあちこちを旅する。下駄が民間親善使節の役を果すのも毎度のことだ。偶に知人と一緒だが殆どが一人旅。その間に、百を越す中国人と交わってきた。待合室、列車の中、食堂、買物の店、果ては歩いている途中ででも声がかかる。 話は下駄についての驚きから始まるのが常だ。「韓国人か日本人か」「下駄は幾らか」の問いも多い。「侵略問題をどう考えるか」の質問に発展する場合でも、私は喜んで答える。 所詮一日本人のささやかな言動。それしか出来ないから、それだけを続ける。
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