3、 向日葵の 茎の折れいる 青嵐
私は、子どもが好きだった。 高校生の頃からまだ見ぬ自分の子どもの姿を想像していた。木に登ったり、家の木に取り付けたブランコで遊んでいる姿や、赤ちゃんの頃から英語を聞き、また粘土で大きな物を作っている場面もあった。親の責任は環境つくりだとの考えを信じていた。 子育て観は色々変化していくのだが、まだ結婚相手も決まってない内から、友達に子育て場面を吹聴することもあった。それを覚えている人が何かの際に口にすることもある。 出版労連に関わる先輩の向山が、聴濤弘の本が出たと知らせてきた。この『カールマルクスの弁明』の内容に係らず、著者である聴濤の近況に近づきたく本を買うと決めていた。 聴濤弘には二つのことで忘れ難い記憶がある。 私は、大学二年の後期に教養部から中国哲学専修科に学部移行した時、中哲の大先輩である黒坂の近しい人がソ連のルムンバ大学に在籍していることを偶々聞いた。新たに関りを持つことになる中哲研究室に、自分と似た発想をする人の関係者を見つけ嬉しくなった。 私は大学生になってから、子どもが出来たら、一人は北京大学、一人はルムンバ大学で学ばせたいと周りに喋るようになっていた。 共産党統一戦線部長聴濤克巳の二人の子どもが、それぞれ中国、ソ連に別れて留学している事実に倣っての私の子育て観だった。 ところがその一年半後にはまた私の子育て観は変った。中国の文化大革命の結果だ。 世界史的事件が、ニュースにもならない個人の生活にも決定的影響を与える。(続く)
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