28 「憧れの」つづき
大分県日田市は、私の好きな街だ。下駄を作る工場がある。月隈公園近くの月隈木履だ。新作も含め自分らで殆ど全てを作っている工場は、有名な日田市でもここだけになった。小錦、コロッケ、坂本冬美などが買いに来た時の写真を見せて貰ったこともある。 私が福岡県外で一番訪れた場所は、弟の病気見舞いなどで通った佐世保とこの日田の木履屋だろう。15年間だから何十回にもなる。 店主の伊藤清光は、森の自然を活かす「森の名人100人」の一人に下駄作りで名を連ねる。寡黙な人だが興に乗ると私の知らない日常を語ってくれる。 「肥後の守はいいねえ。研げばスパッと切れる」。 ノミやナタを研いで貰ったこともある。カッターはこの下駄屋には似合わない。 15年前と違って年を取ってきた。姉さん女房の政子と二人一緒に入院したりするから心配。だが孫たちが跡を継ぐ姿勢をはっきり見せ、二人とも元気になって安心だ。二人に代わって孫達の父母の平八郎、万里子夫妻や、孫夫婦が全国で出張販売もする。 二の字二の字が生きる下駄履き姿が日本の普通に戻ること、私たちの共通の願いだ。 清光は、しかし、と私の考えに疑問も呈する。生活が脅かされている事実に対してだ。 「中国製は少し前までは、真似していても粗悪品だった。ところが近頃は真似が巧くなっている。それを少し安く売る。」 私は重ねて言う。「それで下駄人口が増えたらいい。下駄を正当に再評価する人が増え、履く人が増えること。これが一番。その上に中国製では決して真似の出来ない下駄を更に作って欲しい。私はそれも買いたい。伝統的下駄屋がこれ以上なくなるのは国家の損失だ。」 日本の伝統文化だからと言って押し付けはいけない。しかしせめて私の高校時代と同じになればいい。何百年も日本人が親しんでいた下駄だ。排除の思想を打破していきたい。 「下駄を愛する」一人として、中国でも馴染んでいたいと、いつもいつも願っている。
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