21 < 高下駄や 羽織袴と 春の逝く>
「世のため人のため」の言い回しは偽善だ、とする説は今も昔もある。 だから若い頃もだし、中年になってもなかなか使えなかった。 代りに使っていたのが「人を励まし、人に励まされる」と言う言い方だ。応援団の存在自体がそれを実体化していると思っていた。 私は大学入学直後から予科の頃からの流れを受け継ぐ北大応援団に入団していた。教養部時代の一年半を、羽織袴、朴歯の高下駄、長髪(蓬髪)姿で私は通した。トレードマークのようになっていたから授業時も同じである。だが、その頃は世間の風潮に押されてか建物内の高下駄は禁止されていた。だから教科書の類と一緒に下駄をぶら下げて廊下を歩いた。 朴歯の下駄は、札幌の盛り場すすき野の少し先の小さな店にあった。私は倹約するために寮から3q余を歩いて買いに行った。一度買えば、朴歯が減ると歯だけを替えて貰うのである。 いつも決まった前掛けをした小父さんがいた。黙って私の磨り減った下駄を受け取るや膝に乗せコンコンと敲いて歯を外した。歯が抜け窪みになった部分に小さな刷毛で水をつける。少し軟らかくなったところで新品の朴歯を思い切り敲き込むのだ。差し込む歯の削り方が多過ぎれば途中で抜ける。少な過ぎると下駄本体にひびが出来る。その微妙な加減を目見当でやる。その小気味いい仕草は何度見ても飽きなかった。 私は自分に技術がない分、職人の技に憧れていた。それは今も変わらない。
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