18 「春いまだ」つづき
卒業式の日の3月25日に札幌を発つのだが、その前日、私は小野に聞いていたアパートに行った。北炭社宅の移転に伴い個人業者に払い下げられたままのものらしい。 便所からの臭いが入口前にも漂っていた。 座って時間をつぶしている男達に小野の所在を尋ねた。 「小野?ああ、あいつはもういないよ。入院とか言っていた。しかしそれもどうだか。ホラ吹きの奴のことだ。誰もあいつが喋ることなんか信じちゃいないけどね。」 私は全生連の伊藤の家にも行った。しかし伊藤も小野のことは分からないと言う。これまでも小野がぶらっと伊藤の店に来た時に言葉を交わすだけだったとも付け加えた。 誰をも信じず、誰からも信じてもらえていなかった小野だったのだ。私はなす術なく、翌日の卒業式に出、その夜の列車で札幌を離れることになった。 ガラさんと私も呼び親しんできた先輩の佐々木が久美子をも連れて札幌駅に見送りに来た。佐々木は『地の塩の教師達』と言う本を土産に呉れた。私が「地の塩」の意味をこの後、何度も自らに言い聞かせることになった本である。 久美子は何も言わなかった。それは驚きでも何でもない。わざわざ駅まで来てくれたことで私は満足した。二度と会うこともないか知れない20人程の仲間に手を振る時、少し涙が出た。 故郷福岡への最後の帰省は、いつもの日本海廻りでなく、東京廻りを選んでいた。 東京駅で御茶ノ水駅まで乗り換えた。出版労連事務所に勤める先輩、向山に会い問題の「善隣会館」の場所を尋ねた。文化革命を盲信する4階居住の中国人留学生らが1階の日中友好協会本部事務所を繰り返し襲撃していることに私は義憤を感じていたからだ。 会館の壁には狼藉の跡があった。が何故かその日の攻撃はなく、私は一服し部屋を出た。
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