17 <春未だ 卒業式も 慌し>
翌日午前10時の約束前に私はクラーク会館で小野を待っていた。 10時を少し回ったところに足を引きずりながら小野は階段を登って来た。 「いやあ、兄ちゃん。大学は広いねえ。広くてどこがどこか分らなかった。少し遅れたね。ごめん。」小野は言った。「私も今来たところです。」私は応えた。
小野の話は安東から朝鮮の戦線に出て行ったところから始まった。だが、戦争そのものの話はなかった。小野が何度も安東と言う時、私は鴨緑江で朝鮮の新義州と対面する町のことを思い浮かべることも出来るようになった。 どこをどう進み退いているのか分からなかった小野達であった。反撃を受け周りで何人もの兵士が死んだ。小野は右足を撃たれた。応急処置は受けたが、治療には程遠い状態だった。戦線を離脱する羽目になった。小野は逆に命が助かったと思った。日本に帰りたいと思った。 鴨緑紅に架かる大橋を渡っての朝鮮行きだったが、負傷して戻る時はその大橋が破壊されていて小さな舟での安東帰還だった。当時の「安東」は今「丹東」に名前を替えている。 「兄ちゃん、今までの話は兄ちゃんだけに聞いて貰えばよかった。自慢になる話じゃないからね。ワシの話なんか誰も聞きゃしない。」 「兄ちゃんは、真面目だねえ。」小野は私の顔をじっと見ながらこうも付け加えた。
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