16「しんしんの」つづき
8月8日にソ連軍が大挙して侵入して来た時、残っていた軍人の多くは抵抗する間もなく殺されるか捕まった。居留開拓団の男達の多くはシベリヤに強制移送された。 この時、小野の命を救ったのが朴の仲間である。この年寄り達は自分の息子に接するごとくに身体を張ってソ連兵からかばった。突発的な敗戦の中、朴の仲間らに助けられもし、開拓団民と共に逃げ惑った。 多くがハルビンを目指した逃避行だった。しかし行き着かず方正などで年を越した。 小野はその先の木蘭まで逃げた。そこで朴と再会したのだ。朴は村の有力者だった。 熱い白湯が冷え切った喉を通り腹に沁みた。足を浸す洗面器の湯も小野に希望を与えた。 小野は、日本に帰ることは断念し、朴の子ども同然に木蘭で生きることにした。 ソ連兵が引き上げ、代って解放軍がその地を統治した。国民党軍との内戦の最中にも建国に向けた幾つもの取り組みがあった。人材が求められ、小野は爆弾処理技術を提供した。 程なく「抗米援朝」の募集が田舎の木蘭にも下りて来た。長い戦争が終わりやっと家族が安らぎを迎えたところである。小野には朴を除き何らの係累もいない。村の責任者を務める朴のためにも役に立ちたいと思った。 ハルビンに行き、そこから列車で遼寧省の安東と言う所まで行くことになった。
小野の話はいつ終わるとも分らなかった。植物園が閉まる時、私は続きを聞きたいと思った。私が札幌を離れることを知った小野も話を続けたがった。 三日後の朝10時、クラーク会館に入ってすぐの場所で会うことにした。 私は次の小野の話を期待しながら寮に戻った。月が見えた。凍る月の下の文化大革命を思った。小野を助けたこの朴はどうしているだろう。私は遠い異国の事情に思いを馳せた。
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