15 しんしんの 思い彼方に 凍え月 私は大学卒業後、北海道には残らず福岡に帰って仕事することが決まっていた。 真昼の風呂屋で偶然出会った小野に、卒業前にどうしても私は会いたいと思っていた。だから風呂屋には昼間に行くようにしていた。そして再び小野に会うことが出来た。 小野が少し痩せているように私には思えた。が、口には出さなかった。 「兄ちゃんに、ワシも会いたかった。」小野の返答を聞き、探していてよかったと思った。 昼間の風呂屋には数こそ少ないが誰彼となく入って来る。小野は出ようと私を誘った。 近くの北大植物園に行った。私は黒々の楡の木が見下ろす小さなベンチの雪をタオルで払い除けた。ゆっくり腰を下ろした小野の話は、次々に私を驚かせた。 1943年黒龍江省の最東スイヘン河の南に位置する東寧に小野の属する部隊は移動していた。ソ連軍と対峙するために岩盤を掘り巨大な要塞を作っている場所だ。 何年もかけて掘り続けている東寧の岩の要塞は、初め手近の中国人を酷使して大体の形を成した。仕事が一段落すると秘密漏洩を防ぐためだとして労役をさせていた中国人を殺して来た。小野は日本軍の冷酷さを怖れた。が、何も出来なかった。 作業員が必要になると遠くの中国人でも連れて来、また酷使した。ハルビン近くの木蘭から狩り出されたのが朴である。同じ理由で殺されかけた朴とその仲間数人を小野はその瞬間の気紛れとしか言いようがないが、同じ部隊の兵士の隙を見て逃がしていた。 小野の属する部隊を含む関東軍の大半は現地の開拓団には何も告げずに突然軍人関係者たちだけで長春や大連に再移動した。残った数少ない兵士の一人が小野だった。
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