13 < 煌びやか 涙と汗を 凌駕して>
私は妙可のことは考えないことにした。手紙を出して終わりだ。これまでにも色々な条件が重なって別れたままの者が何人かいる。悲しいことだが拘っていては先に進めない。 学校が新学期を迎え、新しい教え子との対面が始まった。 この「牧院」と親しまれている学校とは半年の勤務を契約した。学生との関わりも短く終わる。だから余計に急いで彼等が自立して運営する日本語クラブの基礎を確立していなければならない。それがビザを発行した学校が私に与えた課題でもある。 殆どの組織で言えることだが、責任者を決め、運営の中身選定と実施までの過程が重要である。毎週実施せず最初は月に1度などと言っていたら責任者が経験を積めないままやがてつぶれる。現にこの牧院でも3回の連続開催は出来ても、国慶節休みで次の2回は出来てない。試験や行事が入りその都度延期になるのもよくある話だ。
私は、牧院の日本語クラブを二年生60人と始めることにした。彼等との初の出会いは9月7日だった。ゆっくり話せば分るとの事前説明とは異なっていた。挨拶以外は難しい。それでも私が担当するクラスと隣のクラス60人と共に、学校側期待の課外活動は進んだ。 一ヵ月後、団体訓練を済ませた新入生も国慶節休暇明けの第4回目から参加した。 2割の学生が応じたクラブ責任者会で役割や手順を決め、毎週1回毎の責任者やテーマ等を決め、いつも一ケ月先までの具体化に努めた。 「日本映画観賞」が中心になっているが、時に「日本の歌」や「日本の駅弁」等もテーマになった。どこの学校にもやる気ある学生はいる。私について言えば、日本はもとより、以前のショウ州、ハルビン、蘇州での経験がここでも活きている。
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