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作品名:春節前後を行く《旅は遥かなる記憶を蘇らせる》。 作者:あるが  まま

第9回   9 再びタクラマカン砂漠・トルファン 
9 再びタクラマカン砂漠・トルファン 

  除夜
ホータンからの砂漠縦断バスは、考えて考えて北京時間午後4時に決めたのに、これが全くの間違いであった。往きと帰りのバスは、バス代が違っただけでなく、走行時間も全く異なっていた。時間を誰にも正確に知らせないシステムが運転手たちの小遣い稼ぎを試みる余地を残す。途中で何回もの警察の検査を受け、揚句には数百元の罰金を払っていた。外国人にとって不愉快なのはこの知らされないままで予測外の事態に陥ることである。
私の二度目の砂漠訪問も、夕陽を見るという直接の目的は全く果たされなかった。
とは言え、二度目である今回は1番の席を取得していたので、色々な発見もできた。緑の部分は帯状でなく、ある地点ではかなり奥まで緑化を進めている。逆に途切れてしまって裸に戻っている所も残念ながら見えた。
それであっても、私の夢の一つがホンの僅かであれ実現できていることを見れたのだし、更に言えば、夏にまた来て見たいと思わせるだけの魅力ある場所でもあることも確かめることができたのだ。
途中で新疆大学院生のウイグル人と少し話すこともした。日本人は今その大学には数えるほどしかいないと彼は言っていた。

  春節(初1) 
昨日は日本風に言えば大晦日。タクラマカン砂漠の中にいた。今日は正月春節である。
トクスンでホータンからのバスを降りると、すぐ発車のトルファン行きがいた。10元で一時閑弱をノンストップで走った。
トルファンに着くとその運転手の呼びかけに応えて日本語の出来るガイドが登場した。16歳から15年間、この道で生きて来たしたたかな人間である。彼と出会ったのも何かの縁、半日余6時間彼の日本語ガイド付きを650元で契約することになった。ガイドは乗ってから次のお金を出させる話をしてくる場合が多い。今回は夜農村で過ごし翌朝のバスでハミに向えばいい。何なら自分が敦煌の案内も務めていいときた。
私は正直お金が無くなっている。ここで使えるのは全部で1000元しかないことを伝え、今夜の夜行列車で敦煌を目指すことを再度確かめさせた。私のトルファンはそれでよかったのだ。ところが一転、このガイド会社社長は全部で1000元の線でいい、友達だからと言った。最早断ることにはならない。了承した。早速使っているのだろう若者に車を与えて私を案内させた。
丸一日に近い案内料650+350=1000元は高いのか安いのか判らない。でも自分が手持ちの可能なお金をここトルファン記念に出した全額であるから、私には高い買い物にはなるまい。
トルファンのガイドブックに中国三大巨大建造物の一つとあった。万里の長城、京杭運河の次に並べていたのが、「カンアル井」である。私はトルファンでの一番の楽しみにしていた。が、4300qでなく4300mであってみれば「三大」と並べるのはちょっと厚かましい。学生たちに聞いても知らなかったはずである。
それでも実際に行ってみて、京杭運河の大修理が行われた元代に建築されているのを知ると、特別の感慨も湧く。元の統治はわずか100年足らずで終っている。それでも水利事業の技術が優れていたことをここでも悟った。流れる水を掬って飲んでみた。それほど冷たくなかった。今のトルファン人は自分の家に井戸を深く掘っているので、このカンの飲料用としての実用価値もかなりなくなっていることは惜しい。
元高昌国の跡地に住むウイグル族の家庭を覗かせても貰った。薄暗い。5Wくらいの裸電球の下で食事中だった。ここでも、同じく天山山脈から引いてきた水は物を洗うのにだけ使用していた。
ほんの僅かなことにも驚きながら見聞きしているのだが、今の季節が冬だから、一つの典型的な景色である夏の葡萄のたわわな様を想像することは難しい。やはり、誰かと一緒でも一人ででももう一度この新疆の夏を訪れたいと思った。
宿は、トルファン郊外、砂漠のすぐ側の農民宿だった。
砂漠はホータン近くでも少し歩いた。ここでも歩いた。砂がさらさらと流れていく。
その後の夜食は、近くのバザールで摂ると言って5qも離れた所まで車を飛ばした。ウイグル語を写した「白面・バイミエン」を彼らは選んだ。新疆に来てもう何度も食べた奴である。私は嫌いではない。すこしぬるかったが、美味しく食べた。
こうしてまた砂漠の夜が更けて行く。
旅の途中の今、春節と言うことで何人もの短信を貰った。なかなか返信できないでいるが、それぞれに有難く思っている。ショウ州の麗敏やハルビンの泙ので、より心打たれた。
 しかし、イスラム教の人にとって春節は全く関係がない。見た限りのイスラムのテレビにも春節のシュの字も何も出て来ない。何も祝う雰囲気がない。ウルムチ、カシュガルでもホータンでもトルファンでも皆同じだ。正確に言えば、一度だけ一分程度の爆竹が鳴ったことは知っている。ただそれだけの話であると言うことだ。
 これまで知る限りの中国の春節前夜の花火は色とりどりに空をこがしていた。しかし漢族の物語はウイグル族にとっては無価値であることを事実で示している。不思議なことに思えるが、これが民族の文化の違いと言うことになる。この異文化を互いに理解しない限り、先へは進めまいと改めて思った。


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