8 ホータンでの一日(春節2日前)) 食堂はホテルの前にある。少し早く起き出して外に出た。でも全て閉まったままである。部屋に戻って昨日の残りのナンと蜜柑を食べた。約束の時間の30分前にチェックアウトし、門の前に腰を下ろして周りの動きを見物したり日記をつけたりした。 ホテルの前は役所である。音楽を鳴らしている。「呼んでいる呼んでいる赤い夕日の故郷が、うらぶれの旅を行く渡り鳥を呼んでいる。」日本の歌だ。小林旭の若い顔が浮かんだ。びっくり懐かしく聞いた。この公共放送は就業時間に先立ってラジオ体操の歌もかけた。職員百数十人が身体を動かした。年老いた乞食が声かけをしているようだが、守衛に断られてすごすごどこかに歩いて行った。 約束時間から30分後にアリババは着いた。私のメールで起きて急ぎやって来たと言う。暢気な商売人だ。初め兄だと言う男の所で日産製の四輪駆動車に乗り換えた。結局一日コースは無理になって、半日300元コースにし、最初にナンを焼く所に行って暫く働き振りを見た。アリババは二つ買って私にも一つ勧めた。 砂漠の中に入って行くことはこの地の人の懸命の努力を窺い知ることでもある。日本のあちこちにもある砂防施設が試みられていた。日本で見たのと違うのは、砂漠の巨大さからはほんの僅かな面積を対象にするしかないことである。
朝の日本の歌をアリババに知らせるためもあって私は鞄の中からハーモニカを取り出し 「呼んでいる呼んでいる」と吹いた。彼は知らないと言った。そのまま「月の砂漠をはるばると」と吹いた。これは歌の雰囲気にまるで合ってないことを自分自身で確かめる格好にもなった。アリババのために、彼が知っている『北国の春』や『時の流れに身を任せ』なども吹いた。 わずか7qの地点で引き返すことにした。帰りにホータン河に直接触れることの出来る場所に車を停めて貰った。水は冷たい。岸の白いものを舐めてみた。矢張りしょっぱい。塩が吹いて出ている。彼は1m下は塩だと言った。新疆のあちこちで塩が吹いて出て来るのを短い旅の間ですら何度も見てきた。折角の畑が塩を吹いて使い物にならなくなって放置されているのも見た。日本の感覚では自然との共存は難しい。 河原の石は崑崙山脈から押し流されてきたものだ。昔の潮干狩りのように大勢の人間が屈みこんでいる。石の中から宝石を捜しているのだ。アリババも拾ったことがあると首にかけていた宝石を見せた。5万元するという。一山当てたい人たちの中では、本格的というか、持込のポンプで水を汲み、それを石の山にかけている。大変な仕事である。 街に戻って博物館に行くことにした。ホテルまで遠いのでアリババはそこで見学している間待ってくれた。 和田(ホータン)地区は昔は于テンとも呼ばれたシルクロード南路の要所であり、遺跡も出ていることを簡明にまとめている。ミイラも2体静かに横たわっていた。係員はロシア人を思わせる人で、私が入場料が20元と聞いて最初高いと言ったのを気にしていた。私が出る時に満足した、と告げると喜びを体で示した。 ホテル近くに送って貰って、そのままぶらぶらしながら一つの食堂に入った。シシカバブーも初めて口にした。
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