4 農村のイスラム寺院・ウルムチのホテル (春節6日前)
太陽と共に働き始め、沈んで暗闇になれば眠る。自然の営みを感じさせるのが農村の強みだ。一年前の春節に訪れることのできた黒龍江省木蘭市長村も同じだった。一年後のこの冬休み,新疆の農村、西大溝鎮蘇里更村で過ごすことの出来る幸せを、今年も味わうことができた。 朝は父親のかまどの火をつけることから始まる。トーモロコシの葉にマッチで火をつけ、トーモロコシの芯が燃えるようにする。懐かしい木々が煙る匂いを嗅いだ。私のための寝床は、このかまどのある部屋にあった。 父親が長い棒を天井に向けた。屋根に一箇所ガラスで覆う所がある。明り取りだけではなかった。ガラスを少し脇に寄せた。煙を抜くためなのだ。天気がいいと、煙が部屋にとどまることなく煙突から一気に流れ出す。悪いと空気の層の圧力が変わり、煙突が煙を吸い込み切れず、外に出し切れなくなるらしい。微妙な気圧の関係で部屋の中の煙のある無しが決まるそうだ。 朝食は、いつもの通りらしいが、トーモロコシ粥だった。丼でいっぱい食べた。
食事が済んだら帰るだけになってしまった。短かかったが、思いの深い滞在だった。 烏蘇行きバスが来るまでの時間を利用し、すぐ近くの回族の教堂を訪れた。信徒でなければ外を見るだけだと聞かされていた。それでもよかった。教堂の前を通って住居に招かれた。お菓子とともに甘いお茶も出て来た。お祭の時と特別の客とに出すものだと説明を受けた。ありがたい。お菓子は二種類を食べた。教堂は東京にもあると言う。しかし私は見たことがないと応えた。愉快そうに笑って中に入れてくれた。 靴を脱いだ。阿ホンとは教長のことである。若々しい阿ホンは知的な人だった。なんでも質問するようにとも言う。 中国のイスラム教の90%はスンニ派で、シーア派は僅かである。イスラム教は偶像崇拝をしない。事実この小さな村の教堂も、正面には「アラー」の文字だけ、その両隣もコーランの中の幾つかの言葉が示されているだけ。実に簡素であった。 私はこの阿ホン夫妻、家族に感謝の気持ちを伝えた。
バスが着いたとの連絡が来た。重ねて礼を述べてその教堂を辞した。 日本の阿蘇、雲仙や霧島で見た霧氷のことを、ここでは樹掛と言い、霧ソンとも言う。清冽な氷の結晶を杖で触った。寒い日だけの短く、しかも今のような気候では何度でも生じる現象にも愛着が湧く。でも別れるほかない。 バスは烏蘇を目指した。一人7元、定員になると途中でバスは止まらない。寒気の道端にたたずんでいた人たちは、更にいつ来るかも分らない次のバスが来るのを待ち続けなければならない。 烏蘇の街は、雲燕が高校時代に通った烏蘇第一中学のある街だ。今の学校は正門と裏門が当時と逆になっている。雲燕は言う、「理由は指導者しか分らない」と。 烏蘇で初めてナンを食べた。カリカリした歯ごたえも、味も美味しい。その後で、麺も食べ、バスセンターに行った。乗り込む前に、せめてものの感謝の印でそこに売っていた雑誌を求め、雲燕に父親に渡してもらうようにお願いした。渡すものによれば逆に失礼になることを承知で何かしないではいられない気持を伝えたかったからに他ならない。 思えば、僅か二日前に見知った雲燕、そして彼女の家族、彼女の村、彼女の学校、彼女の育つ過程での全てが私にとっても掛け替えないものになってしまった。 天山山脈は今日も見えなかった。 ウルムチ駅に着き、既に予約してもらっていた華峰西部大酒店を探した。フロントですぐに地図の有無を聞いた。あった。 今日もまた、嬉しい気分で夜を送れる。全てに感謝。
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