<17> あとがき その2
そしてこの体験記が陽の目を見るに至ったのは、冗句的話からだった。 「校長旅費問題分析」後の飲み会での語らいの過程で、コピー代一部未払いは「詐欺罪」に当たるかも知れない等の「予測」の話から、拘置所の話になった。 その時、私の体験『旅日記』があるのなら読んでみたいと言い、読める形にプリントアウトすることを促してくれたのはO弁護士である。「感謝」ものだ。彼の発言がなければ、この『旅日記』を今の時期に投稿し人に読んで貰えるようにはならなかったろう。
かつて、個人的には一所懸命書いた『旅日記』にもかかわらず、それまでちらりと見た人には概ね無視されていた。私の小さく書いたくせ字を何十枚も読むことは、殆どの人にとって出来なかったことかも知れない。 そう言う事情もあって、いつの日かのために卒業生のワープロ専門学校での訓練用教材に使って貰うことをひょいと思いついたりしていた。 私の手書き文を人が読みやすいようにして貰うと言うわけである。やってみたいと言ってくれたO高校卒業生のKさんの大変だったろうご苦労には、今なお深く「感謝」である。
それでもこのワープロ打ちの時点では、まだ陽の目を見ることはなかった。見せる相手もチャンス等もなかった。私だけが読んで、私のくせ字を誤読する共通性を発見して感心したりしていた。 それは当然にも自分の『旅日記』の内容を自分自身で読み返すことであったし、正直楽しいことだった。書いたはずと「記憶」しているのにその部分がなく、それ以上に、12年前のこととは言え自分の文章なのに、読んで発見することも少なくなかった。
そして今、印刷して貰えるようになった。今後は、読むことの出来る人が、何かを見つけたり、読んで楽しんだりして戴けたら、喜びである。
今年は、この不思議な『旅』の体験をして12年目になる。考えてみれば、丑年がまた巡ってきたことになる。子ども時分に惹きつけられていた父の里の牛を思い、牛に似た気分になれていた短い日々の思い出が、甦ってくる。あわせて、当時、「不謹慎」な冒険を黙認してくれていた家族には、重ねての「感謝」であることは言うまでもない。 とまれ、1985年に続く、1997年。牛に関わる懐かし嬉しの因縁を感じているところである。 1997.7.21
丑年(2009年)から寅年に移ってこの「牛」物語の投稿は終った。四半世紀前の出来事を今思い返しながら、次は、"今の事実"を投稿したく思っている。 2010.1.17
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