<15> おわりに
私は、教師の端くれとして、あえて今回の体験を試みた。様々な環境の中で重荷を背負っている子どもたち、そして親たち。彼らの人間不信に近い投げやりの生活信条を突きくずすべく努力もしてきた。しかし彼らの胸の内を十分に聞き取るのは難しい。 所詮、あんたは恵まれているから判らないのだとの無言の応答に面食らわされることもしばしばだ。家庭の中に入っていけばいく程そうした思いにぶつからざるをえなくなる面もある。
人間が人間として真っ当に評価される世の中には残念ながらまだなっていない。不幸な社会では、私も含めていびつな価値観を多様に持たされている。例えば、アル中についても単純な判断は出来ないことを今では言えることだが、少し前まではそうではなかった。 本人の責任の部分もあろうが、当時でも、精神病院行きだけは勘弁願うと極度に嫌ったその人の心情もそれとして分かっていた気がする。屈辱感を味わされた者の悲しみも想像はできていたつもりだ。しかし、今はどこか少し違ってきた。「一定の経験をすることで、よりわかるようになる」と、これまでと同じように言うであろう言葉でも、私の中では、その言葉に託す意味の重たさが少し違ってくるのではないかという気もする。とにもかくにも3泊4日は、私にとって様々に学ばせられた大変な異質空間だった。
何も、誰もが今回のような屈辱を経験したらいい、と勧めているわけでは勿論ない。ただ自分は偶々の機会を活用させてもらっただけだし、それがなければ自分が軽い存在になると思っているわけでも無論ない。小田実の「何でも見てやろう」は彼及び彼風の人間にとって有効な生き方でしかない。好奇心旺盛の私もそれにすぎない。 拘置所の体験を望むのなら、自衛隊に体験入隊したらどうかとすすめてくれた人もいた。そのときにも応えたが機会に恵まれたら私はそれをも嫌わないだろう。これまで普通の人がちょっと手を出せなかったことだから、あえて試みようとしてきたところもある。 偉大な人としての業績などはないが、変人と呼ばれても意に介せずしてきたふしもある。それが自分だし、そうした自分流でもって多彩な人々との交流を今後とも続けていきたいと願う。
まだまだ書き加えることになるやもしれないが、出所の記念すべき日の作文はこれで一応締めることにする。 1985・10・11
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