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作品名:『父の里の牛のように・「福岡拘置所3泊4日の旅」・丑の年の素敵な研修』 作者:あるが  まま

第13回   13 思うには
<13>
    思うには

 考えてみると、私は好運児である。
 やりたいと思ったことを計画通りに進めることができた。そして普通の人が知ることのできない世界を垣間見てきたのである。失ったものはあまりない。屈辱の非人間的扱いも終わってみればそれはそれで勉強になった。「労役に処す」とかを考えてくれた国家に感謝ものである。

 家族には、いらざる不安を抱かせ迷惑をかけた。いろいろな人のお世話にもなった。とにかく恵まれた存在である。

 45歳氏は私より前に釈放になったはずだが、その"時"を知らない。彼の明日もわからない。わずか5000円の罰金を払えずの入所であった。二人の子どもと妻の待つ家庭は彼をどのように迎えたであろうか。彼にとっての三日間は、何だったのだろう。叱られてばかりとつぶやいた彼は、転房によって何か少しでも得るものがあったろうか。二度とこんな所には入ることはないと決意したとは思う。しかし、屈辱の体験がその決意以外何ら活かされないとしたらあまりに損失は大きい。家庭の中で語らうものがあればと他人事ながら願う。

 それにしても、狭い室に閉じこめられての生活は多くの人にとって苦痛以外の何物でもなかろう。転房以後の一日半余。一歩たりとも釈放になるまで足を踏み出すことのできなかった私たちである。

 私の場合、本があって書くことができればあまり苦にならない。むしろ日常がせわしない分、ゆっくりする時間を有難く思う所もあった。牛がはみきりで切って貰った藁を時間かけて食んでいる姿と重ねたりしていた。昨日の18時以降など全くの静けさの中で横になって物を書いたりしていると、寮の舎監としてひとり布団に横たわっている錯覚さえ覚えてもいた。

 束縛されている自分を辛く思うのは、タバコも吸えず酒も飲めないこと。これとてもなければないですませ得るようになっているから本質的に困りはしない。食事のまずさはひどいが、それもどちらかと言えば「無鈍着」になれるから、少なくともまだ数日は平気だ。


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