20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:『玄海を跨ぐ 第三部 彩りの道』 作者:あるが  まま

第7回   7 繋がっていく過去
その7 <繋がっていく過去>
   
 美玲は、伊丹から、来訪の感謝と共に「心配無要」との電話を受けた。だが、「業務日誌」は送られて来ない。

 美玲は、これまでの伊丹のやり方から推測すると、書いて送らないのではなくて、書く内容がないから書かないし、送れないのだと思った。
 
 美玲は丹東に帰ってから一週間後、再び大連を訪ねた。
 店に着くと、伊丹が迎えた。「あなたにもあなたの職場の人にも悪い。」と恐縮した。

 伊丹は元気よく振舞ったが、まだ本調子には遠い。
 美玲は丹東の自宅で弁当を作って来ていた。昼食に間に合わせて来ることを前日伊丹からの電話の際に伝えていた。

 伊丹には格別の美味しさだった。弁当に期待して、朝食はパン1枚に蜂蜜をつけた軽い食事で済ませていた。美味しさはそれだけではない。自分では出来ない料理でもあった。自分の家で一人でなく二人で食べる食事も初めてのことだ。
伊丹は、中国に来て当然のように炊事も掃除も洗濯も自分一人でしていた。しかし、美玲の目から見ると掃除は出来ていない。

 食事の後片付けは、伊丹がどうしてもすると言った。美玲は店の掃除をした。そこを済ませて二階の住居部分に移った。伊丹は流しの始末をしていた。気が張っているから何とかしているが、動作の緩慢さは否定しようがなかった。

 美玲は少し休んでいるように勧めた。伊丹も今度は素直に従ってベッドに身を横たえた。

 美玲は、トイレを丁寧に洗った。それからバスタブも洗った。部屋中の床も拭いた。
窓を拭くまでには時間がない。また出直すことにしようと美玲は考えた。
帰ると言うのを伊丹は夕食を食べようと誘った。

 伊丹は外食はしない。自分で作る方を好んだ。しかし、今は美玲ともう一度食事をしたかった。
 伊丹は直ぐ近くの朝鮮族の経営する食堂に誘った。

 食べ終って伊丹はバス乗場まで送ると言うのを美玲は断った。早く家に戻って休んで欲しかったからだ。

 美玲は伊丹が名残惜しそうにしていることを察して、「また来ますから。」と言ってそこで別れた。

 伊丹はすっかり元気になった。「業務日誌」も書けるようになった。
 美玲も安心し、これまでと同じ生活に戻った。

 羅王が聞いた。「もう行かなくていいのか。」
 美玲は笑いながら応えた。「ハイ。色々御迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。」

 伊丹の仕事は、人との関係を幅広く作ることだった。焦ることはなかった。当分の収入は全く計算していなかった。生活で不自由しなくて済むお金もある。
 それでも毎日出歩いては人に会った。人材派遣会社の仕事についても語ることはあった。しかし、殆どは、出来るだけ安心安価な日本留学の可能性について語ることになった。
 
 入国管理局で認可されるためのカギ、貯金残高証明書作成をどうするかで、様々な人の意見を聞いて回った。偽の貯金通帳を作るブローカーらの仕事が罷り通っていることを憂える声は少なくなかった。
 既に始まっている所もあるのだが、まだの銀行に対して、留学希望者にローンを組ませる企画があることも訴えた。大連外国語大学の車偉孟も共感し、知人の銀行責任者を紹介した。伊丹は感謝しながらそこにも出向いた。商売になると同時に、中国の若者を励ます積極的役割があることを説明した。


 美玲の生活に何ら変化はなかった。唯一つ、美玲は伊丹が送って来る「業務日誌」を丁寧に読むようになった。大連の仕事場、パソコンやプリンターの机、全てを思い浮かべることが出来る。事務所掃除や台所仕事をしたことも、美玲に伊丹の記す淡々とした日誌を読むだけで内容を膨らませて想像させる役割を果たしていた。

 美玲が息子の吉郎を訪ねた時、「母さん、まさか父さんに会いに行った訳ではないよね。」と笑顔を見せた。
「何を馬鹿なことを。あんたの父さんは、あなたの刑が確定した時、警察の勧めで連絡したのよ。でもね、梨のつぶて。あの人はそんな人よ。会いに行く訳ないでしょう。」

 「いや、勿論分っている。でもね母さん、若返っている気がしたからさ。」

 美玲は思わず話を変えた。「あなた、勉強は進んでいるの。」と問い返した。

 美玲は吉郎に本を読むことを勧め、差入れを続けて来た。
 英語の勉強を一番に求めた。日本語と中国語と母語である朝鮮語に加え、大学時代に履修したとは言え、中高時代には学べなかった英語を習得し直すことを求めたのだ。
初心者用『小学生のための英語読本』から始め、読了を確かめては次々買って渡し続けた。それが今では、何時の日か実現できたら嬉しいのにと、美玲が待ち続けていた「日英両語対照」の本を読むのも可能なまでに吉郎の英語力はついてきていた。

 美玲は、高校生の頃吉川から勧められていたことと同じ学習法を、それと気づかず、刑務所にいる息子の吉郎に要求していたことになる。

 日英両語対照の本などは美玲の周りにない。しかし、一冊だけは吉川の裏切りを恨んでいた時も捨てないで持っていた。

 文化大革命を直接経験した者は勿論、間接に経験した者でも、手持ちの書物等の検閲が厳しかった事実を忘れることは出来なかった。思想の本や外国語の本などは、文革後とは言っても持っていること自体を怖れるのが常である。それでも美玲は廃棄しなかった。密かに大事に保管していた。吉川が送って寄越していた本をである。

 KARL MARX FREDERICK ENGELS『MANIFESTO OF THE COMMUNIST PARTY』と表紙に記してある。19世紀の名著だと吉川は説明した。中国共産党を無条件に支持し、当時共産青年同盟員になれたほどの真面目な美玲だった。だから、そのカール・マルクスやフリードリッヒ・エンゲルスの名前も書名も当然承知していた。それは学生時代に共産党員になっていた吉郎も同じだ。しかし、親子共々中国語版でさえも実際に読んでいない。その『共産党宣言』を獄中の吉郎に読ませるまでになったことが嬉しいのだ。

 初々しい夢とは無縁に生きる他なかったこの間の美玲であった。
 しかし、日々の小さな変化の中を必死に生きていることが、若かった頃の自分を時折思い出させることになった。しかもそれは結果として、吉川との思い出が、恨みではなく彩りを添えていたものに変って来ていたのである。美玲の今は、息子の吉郎だけでなく、吉川こと伊丹の存在が気になり出したと言うことなのだろう。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 213