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作品名:『玄海を跨ぐ 第三部 彩りの道』 作者:あるが  まま

最終回   23 彩
その23<彩>

暑い夏だ。黒龍江省も異常気象に見舞われていた。

伊丹の友人光英が黒龍江省の警察署長を終え、縁のあった牡丹江市教育委員会に請われ勤めることになったと言う。若い頃から子ども好きな光英である。警察官としてもいい仕事をして来ただろうが、子どものための仕事が相応しい、と伊丹は喜んだ。

その光英が伊丹を講師に誘って来た。

美玲の鬱病は一進一退の情況が続いていた。美玲は人に会いたくないのだ。ただ吉郎の面会だけには行けるようになり、伊丹は喜んで同行していた。吉郎の前では表情が穏やかだ。それまでの密度の濃い母子関係が下地になっていることが誰にも分る。

伊丹は美玲を置いて大連を離れたくなかった。しかし、伊丹の友人の光英は自分の就任最初の仕事の一つに、高校生ら市民と日本人との交流を考えていた。中日友好は、経済的目的ばかりでない。人と人との交流こそ基本だ。そのためにも、中国人と日本人が身近に接する機会の多くなることが望ましい。この考えは伊丹も同感である。

日本人代表に伊丹を選び、周りを説得しての申し出であったことも伊丹は理解した。
伊丹は友人の計らいに応じた。美玲も一緒に連れて行こうと考えた。牡丹江やその後に寧安にも行けば、美玲の気分が少し晴れるかも知れないと期待もした。

折よく松野が中国に赴任して来た。伊丹は光英に松野の同行も相談した。
伊丹に同行を依頼された松野はその話を、張家口で再会した郭明と亭亭に伝えた。

黒々に染髪した松野に驚いていた二人だが、牡丹江行きの話にもはじめは訝った。

宿舎も旅費も牡丹江市が用意していると、松野は説得した。伊丹は自分が受け取る講師代を亭亭母子の列車代として渡すことが出来ると、松野に伝えたからだ。

亭亭は聞き流しかけたが、郭明は思い直して乗ってきた。松野の勧めに応じて自分らも牡丹江に行ってみる気になった。もう一度黒龍江省を見ておきたいと思ったのだ。

伊丹は牡丹江市が用意した宿舎を亭亭母子用にし、自分たちは牡丹江の北方ホテルに予約した。若かりし伊丹と美玲が結ばれ、そして別れることにもなったホテルである。伊丹は松野と久し振りの語らいを期待し同じ部屋にしていた。美玲のための部屋は当然ながら別に取っていた。

美玲は自分の部屋に戻ってからも、松野の黒々の髪をサカナに酒も飲む二人の掛け合いを思い出しては笑みをこぼした。笑っている自分に気づき驚いたりもした。

光英の就任祝いと銘打った牡丹江市の大会議場は、沢山の人で溢れた。日本人との語らいと言うのも好評だ。参加者不足も配慮して牡丹江市朝鮮学校の高校生も夏休み中だが特別に参加要請されていた。その一角を中心に若やいだ雰囲気も漂っていた。

松野は中国人を前にした初めての舞台で上がってしまった。何度も推敲した原稿持参だったが、中国で仕事の出来る喜びだけを辛うじて語った。

高校生集団を目の前にし、伊丹は30年前を思い出していた。彩り鮮やかな中に淡いピンクのワンピースに橙色のバッグを膝に置いた生徒が身を乗り出し自分を凝視しているのにも気づいた。ふっくらとした顔が輝いている。美玲だ、と一瞬思った。

来賓席の端っこで亭亭と郭明は、光英、松野、伊丹らの姿を見ていた。
自分らの席は居心地いいものでなかった。郭明は子ども時分からこの牡丹江で働いてきた。人に蔑まれ無視されてきた郭明にとって、同じ牡丹江にいることが信じられない。時代が変わっているのだ。郭明は、黒龍江省に来れたことを松野に感謝した。

松野は、泰州から張家口に向う時に時刻表を買い、帰りの列車も調べていた。ハルビン始発「泰州」行き列車で一日かけ帰ることにしていた。亭亭は、三年前に乗った徐州行き列車と別だが、似たコースを松野が辿るのを面白がった。朝が早い列車だから夜までにハルビンに行き、駅近くの休憩所で待つことを、亭亭は松野に勧めた。

亭亭は蘇州大学大学院に合格したことを契機に、郭明の依頼で父普賢ゆかりの徐州や寒山寺などを尋ねていた時の緊張した気分を蘇らせていた。

郭明が虎林にも七台宝にも行く気を無くし、早く張家口に戻って仕事をしたいと言うので、自分ら親子も松野と同じ列車で夕方までに北京に戻ることにした。切符を買うこともだが、休憩所の確保などで少しでも松野の役に立ちたいとも思った。

亭亭は、母親も感謝する松野に対して少しお返しが出来ることだけで、牡丹江に来てよかったと思った。母郭明の吉郎の母美玲に対する気持の変化を承知していたが、亭亭としては美玲に会いたくないことを松野に伝えていた。が、今となったらその美玲と顔合せをしてもいいかなとさえ亭亭も思えるようになった。

伊丹と松野が会議場に行った後も、美玲は部屋を出なかった。が、気分はよかった。

伊丹からデジカメを部屋に忘れたままにしているから持って来て欲しいとメールが届いた。既にフロントに保管されていたカメラを受け取りチェックアウトした。

光英らとの食事会を済ませた後、伊丹は美玲と牡丹江公園で会うことにしている。

美玲は公園に行った。牡丹江がゆっくり流れている。両岸の建物群は全く異なっているが、川の流れも泳いでいる人がいるのも子どもの頃に見たままだ。

木陰は気持がよかった。癒されていく。

指定された時間が来た。「女性八人革命戦士」の像の前に美玲は行った。伊丹の姿を探せて安心した。傍らに松野と並んだ親子らしい女性の姿も眼に入った。
伊丹にカメラを渡した。伊丹は美玲の表情に安堵し、近くの松野ら三人を招いた。

美玲は、若い女性を初めての人だと思ったが、同年配の女性にはどこかで会っている気がした。伊丹が郭明だと紹介した。美玲はあっと驚いた。瞬間的に身体が弾けた。

「申し訳ありません」と言いながら地に伏せた。

郭明は一度亭亭を見やりながら、穏やかに応じた。「お母さん顔を上げて下さい。」
丹東での病院では、目を合わせることも許さず無視する親子だった。その二人が今手を差し伸べている。美玲の脳中に当時の惨めな自分と今の情況とが交錯した。

決して許して貰えないはずが、何か変化している。美玲の心の奥深くで、幸せになる資格などない、と言い聞かせていた悔いと詫びの気持が少し溶け始めた。

三人を長距離バス停で送り、伊丹と美玲は寧安駅に行った。
黄色い外壁、駅舎内の青い壁、青い椅子。喜びと悲しみの両極端の思い出の場所だ。再会した丹東で見た台風前夜の鸭緑江、その対岸の新儀州、そして朝鮮半島の先の玄界灘も頭をよぎった。

吉郎は、刑期を終えたら日本に渡って頑張りたい、と語るまでになっている。

美玲は自分を思いやる伊丹の手に触れた。伊丹も優しく握り返した。老境に入った二人だが、新たな自分らの自分ららしい生活の始まりを二人それぞれに予感した。
それぞれの目に鮮やかな海の色が眩しく広がっていた。(完)


<『蒼の揺曳』『ざわめき』に続く『彩りの道』も今回を以て完了。これで『玄海を跨ぐ三部作』が完結したことになる。読んでいただいた方には感謝。この後、カテゴリー「ノンフィクション」に『3泊4日の旅 云々』を投稿予定。そしていずれまた「純文学」にも投稿できるように努めたい。>


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