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作品名:『玄海を跨ぐ 第三部 彩りの道』 作者:あるが  まま

第22回   22 飛びたい気持
その22<飛びたい気持>

亭亭は夏休みを利用して中国に戻ろうと考えた。元々バイトを多くして必要な旅費は作って来ていた。春節に戻りたいが、その時期日本では休みが取れない。
唯一の身内である母親、郭明に会うことが亭亭の一番の目的だから、河北省張家口に行くのだ。初めての場所だが、母親が住んでいると言うだけで訪問前から故郷に帰る感じだった。

近頃得たバイトは、早朝4時から5時間の仕事である。パンを作るのだが、亭亭は気に入っている。一時帰国したがためにこの仕事がなくなるのは嫌だと思った。だから帰国の時期も期間も店から要請される通りにする。これも生きるに必要なことなのだ。

美玲は釈放され、丹東の刑務所の吉郎の面会に二度辛うじて出かけた。だが、今はそれすら嫌がった。何もしたくない。誰とも会いたくない。美玲は誰に対してもそう振る舞った。伊丹が側にいることも苦痛になっている。伊丹は美玲の心が回復に向かわないのが気がかりだった。

伊丹は美玲の症状が気になりながら、そうであるから、母を心配する吉郎を慰めるために代理の積りで面会に行った。

丹東から戻り、吉郎の意向も伝えながら、嫌がる美玲を病院に連れて行った。
医者は鬱病だと診断した。近頃中国でも段々と増えているのだと言う。伊丹は驚いた。でもそれもあり得る話だと納得し、医者の言う薬を間違いなく飲むように美玲に勧めた。

松野は江蘇省泰州の学校と直接連絡が出来るようになった。成蹊学園の留学生が翻訳した文を併記した手紙を出したのだ。紹介業者からも心配不要との丁寧なメールが届いた。

日中友好協会ニーハオ玄海は、結成一周年記念の総会終了後、松野を責任者とする最後の行事、ギョーザ教室を催した。40人もの参加は画期的だし、中国人留学生5人の参加も松野は嬉しかった。福岡市近郊の「9条の会」企画で中国の若者が日本の印象等について語る場にも松野は喜んで同行した。色々な民間の関わりが今後一層進んでいくことを、松野は自分が今からいなくなるからこそ願った。

これからの中国での仕事を想像し、日本で揃えやすい物も選んだ。日本らしくて費用もかからない学生用の土産は何がいいかも色々な人に尋ねた。それらをダンボールに詰め、航空便でなくおよそ半値の船便で送った。

松野は幾つかの壮行会を設けて貰った。その場での人の反応から、66歳での単身赴任は「年寄りの冷や水」と思う人がいることに松野は気付いた。
大学の寮の同窓会出席のため札幌に行った。癌で余命いくばくもないと宣言されている先輩に会うためでもあった。

北海道まで行くのだから、夕張に隣接する栗山町も訪問したいと思った。富樫利一が書いた栗山炭鉱の跡を瞥見するためだ。中国人強制連行で、3人に1人を死亡させた圧制ヤマ(炭鉱)である。「中国殉難者之墓」は地域の日本人の墓に混じって建てられていた。これを見ることが出来たことで、中国に行ってからの日中友好協会運動をより自覚的に実践する気持を松野は強くした。

それぞれの地域の積極的な掘り起こしで史実は一層明らかになる。松野を案内するために事前に調べた大学時代の友達が「地域理解を深めることになった」と言って松野を喜ばせた。

別れは孫達のを一番気にした。中国に行けば会えなくなる。話も出来なくなるからだ。電話では高過ぎると思っていたら、「スカイプを利用すれば無料で会話が出来る」と教えられた。暫し別れの記念に、マイクとイヤホンを孫達の親に配ることにした。

家族との別れの食事会の前に、松野は孫の一人なぎの名前にちなんだなぎの大木を孫達と一緒に見に行った。800年前にインドから送られて来た苗木らしい。舎利蔵自然林の重要な役割を果たしていた。中国に飛ぶ前に、会えなくなる孫たちとの思い出つくりの一つにしたいとの単純な動機からのなぎの木見物だったが、玄界灘を跨いで来たまた一つの事例を身近な場所で知ることになった。

松野は上海空港に飛び、学校からの迎えの車で江蘇省泰州に行く。到着後関係者への挨拶を済ませ、インタネットや携帯電話の手続き、貯金通帳つくりをする予定だ。先に中国での日本語教員を経験した先輩が書き残している文書から学んだ知恵である。
それから列車の切符を買う。切符を購入するためには並ばなければならないらしい。しかも、並んで買えないこともあると言うから大変だ。それもまた楽しい経験になるのだろう。全てが中国との交わりになると松野は期待した。

切符を買えたらすぐ河北省張家口の亭亭親子に会う。併せて中国の鉱山を見学する予定だ。この小旅行計画も亭亭と相談し地図を見ながら立てることが出来た。

高田陽子からは松野の就職決定報告の連絡に対するメールが返って来た。「安徽省で会える。広州の水族館にも行けたら嬉しい」とあった。

全ての準備が済み、松野は杉山に電話した。三ヶ月振りだった。教え子の一人だ。
三ヶ月前、一年振りに松野に会った杉山はその時、松野の髪を少し切った。いつもモサモサっとしている。だからいつか切ってみたかった。とも言った。

「中国に行く前にもう一度髪を切る。それに髪も染めたい。髪があるのだから、悪くないと思う。」杉山は面白がっていた。

20年の経歴を持つ憲法劇の今年の演目『海のジェノサイド』で、松野は漁師の役を貰った時、パンチパーマをかけようと思った。漁師の友達がパーマをかけていた記憶があり、形だけでもなり切りたかったからだ。しかしその時でも、染髪は考えもしていなかった。

そんな松野だが、杉山の一言で一度として経験のない染髪を試みる気になった。新たな旅立ちに相応しいかも知れない。但し黒髪姿を知人に見られるのは恥ずかしい。だから自分を知らない江蘇省泰州に向け日本を離れる直前に杉山に会うことにしたのだ。

 松野は男性として女性に関心を寄せることはなくなっている。それでも美しいもの可愛いものを見ていることは楽しい。

 杉山の指が髪を切り髪を染める。孫に背中を洗ってもらった時の安らいだ感触と同じだ。中国への旅立ちがなければなかったであろう周りの配慮の一つ一つを松野は有り難く受け止めることが出来た。

 亭亭は松野より先に中国に帰った。日本に戻ってからのアルバイトの確保の見通しもついたのだ。日本での別れになるのだが、河北省で母親の郭明と共に松野を迎えることも約束済みである。明日に続く日々が亭亭の心を弾ませている。

 加藤紅との語らいの中で約束した紡系会の再開は、中国に帰っている間は難しい。日本に戻って落ち着いて意見を記したいと亭亭は思った。不意の事故以後これまでは何であれ書く気持は失ったままだった。今は色々なことに意見を述べたい気持ちなのだ。


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