その21<輻輳する過程>
伊丹は、松野が赴任地として上海を諦め江蘇省を選択したことを喜んだ。松野には上海を希望地とする特別の思惑があったはずだ。それでも、中国を訪ね廻り今また中国で仕事を始めた伊丹は、仕事する場所の選択よりも、仕事のできるそのことを人は喜ぶべきだ、と考えるようになっている。
日中の友好の形は、それぞれの人、団体が決めて行動する。相手のあることだから自分の希望や熱意だけではどうにもならないこともある。
既に中国で仕事をしている人の中に、新参の日本人の身勝手な言動が自分らの努力し獲得してきた中国人との良好関係を、一瞬に壊しかねないことを恐れる人もいた。
松野は上海にいる堂垣内にメールをしていた。仕事先を見つけるために援助をお願いしたかったのもある。何より、上海赴任が決まった後には当然出会うことになる人への、前もってするご挨拶代わりの「依頼」メールでもあった。
しかし、この過程で堂垣内と気まずい関係になった。 松野は不愉快を露にした堂垣内のメールを読みながら、中国で働くことに関し、一方で甘く考え、一方で酷く難しいものに考えていた自分の愚かさを痛感した。就労条件を厳しくする中国についてもだが、堂垣内の感情に対しての理解の足りなさを感じた。
堂垣内は言う。「Zビザは少なくとも上海ではもう取れない。ならば、「旅行」ビザで滞在し、バイトで生活費を稼ぐしかない。私も公安のガサ入れに遭わないという保証はできない。しかし一々ガサ入れしていたのでは、上海の大学や塾は人手不足になるのでは?」
松野は堂垣内が就労ビザを持たずに働いている事実に驚いた。
堂垣内は松野に対して、「安全で、楽しい、日中友好運動」だけを求める「ごっこ遊びに付き合いたくない」と言い放った。
「上海に行くと言う個人的欲望のため、知ってる奴を総動員し、その動員結果の中で一番いいのを選び、それ以外は、ああ、あれな、もういいのが決まったから、もういらんわ、あなたの探してくれたやつ、キャンセルしてくれる?、ということで済ませようということなのであろう。」とも付け加えた。
松野は思う。総動員する考えがある訳がない。業者や、友人にお願いする過程で結果として堂垣内にもメールすることになった事情も記した。しかし、堂垣内は信用しなかった。
松野は更に記した。 「ボタンの掛け違いなのだろうと思います。私は堂垣内さんから戴いた情報を有り難く受け取っています。しかし誰に対してもですが、何とかしろ!などとは思ってもいません。」
正直な気持、その時々、自分が今後一層関わりを深めたいと思う人に対してお世話になろうとし、お願いする。それが松野の長年のやり方だった。それだけである。
「ともあれ今後とも私の至らぬことへの批判も大事にしていく積りです。」と締め括った。
知人の知人である堂垣内と松野は一度会ったことがあるだけだ。堂垣内は知人を恩人と思っているから、その恩人の縁でメールしてきた松野の期待に応えたいと心を燃やした。その率直さを松野は好んでいたし、有り難いと思っていた。
挨拶メールを出した側の松野だが、堂垣内が知らせて来た細かな情報は、その時点での松野にはすぐ役立つものでなかったのも事実だ。しかし、上海の一面を理解するには貴重な具体的情報であった。
一途で律儀でもある堂垣内だ。自分の思惑と異なる言動の松野を許せなくなっていた。
二人の関係は、会って顔を見ながら話すことでしか修復出来まい。松野は思った。双方の気持を率直に披瀝し合う場をいずれ作りたいと松野は考え、堂垣内にも伝えた。 直後、堂垣内はskypeで話そうとメールを返し、語らいが実現した。互いに不信を募らせた不本意な数日間のやり取りが全く嘘みたいだった。双方が望む当然の関係に戻ったのだ。
中国と関わると言うことでも、その人の過去が下地になり、また新たに経験する過程で身につけた教訓が次の判断を導く。松野は、堂垣内とのやり取りでも、互いに何かを求めているから生まれる齟齬であり、また飛躍の端緒である気がするのだった。
色々な事情が起きている中でも事態は進む。
松野が契約を決意したものの、肝腎の泰州の学校からの応答がない。紹介業者からの連絡も途絶えていた。堂垣内とのやり取りの後、気になり業者に尋ねた。
すると今度は返信があった。「行っていい」のだとの確定連絡である。松野はひとまずほっとした。65歳の年齢制限を超えても仕事の可能な学校が上海以外の地にはまだ現実にあることを松野は実感した。求人だけを考えれば当然だろうが、松野は自分に希望の道が与えられ少し落ち着いたのだ。
「江蘇省泰州市海陵区梅蘭路」これから度々書かねばならなくなるだろう地名を何度か口にした。往年の京劇役者の名前を冠した地名であるかも知れないとその中で気づいた。だとすれば、どんな関係があるのだろうかと、余得の興味も湧いてきた。
加藤紅は長期休暇になると日本に戻って来る。アルバイトして中国での留学資金を稼ぐためである。既に5年間続けたやり方だ。
今回日本に戻って松野の中国行きがいよいよ間近になっていることを知った。 松野の仕事先は上海でなく江蘇省の泰州になっていた。蘇州からでも3,4時間はかかるのが泰州である。蘇州と同じ省であっても、蘇州から言えば上海よりも遠い。この距離を紅は複雑な思いで聞いた。
福岡の人が泰州の松野に会いに行くのは簡単でない。しかし余り近い所に松野がいるよりは少し遠い方が紅にとっては落ち着く気がする。誰にも頼らず、また気兼ねすることもなく自分だけで生活を切り開いている時、過去の性格を知る身内など近しい人の存在は、気持を重くするのも確かなのだ。
紅は思う。松野との関係はどちらにせよ悪くもならないだろう。だから限られた時間に会いたい気持は薄い。しかし亭亭との今後は気になる。
春節休みの時は、亭亭が大学院入試準備で忙しかろうと思うこともあって、紅は亭亭に連絡することを躊躇った。
6月末の定期試験を終えるやすぐ日本に戻って、今度は亭亭に会うことにした。 亭亭は前回、悲しい記憶を打ち消すためにも、ハルビンや蘇州で縁のあった人との関わりを断ち切るのだとの意志を紅にも伝えていた。だからと言って、ここで会わなければ次に会う機会は永久に訪れないかも知れないのだ。紅は自分を励ました。
亭亭は紅の誘いを今度は断らなかった。日本での大学院生活を迎えることが出来、蘇州大学大学院を初めて懐かしく思い出すことも出来た。別々のスピーチコンテストだが、紅も自分も互いに励まし合って入賞したものだ。寒山寺で父親の名前=文賢に祖父が託した願いに気づいた時、紅が側にいた事実も亭亭は鮮明に思い出した。
紡系(ファンシー)会はどうなっているのだろう。紅らと一緒に立ち上げていた交流の場が久し振りに蘇ってきた。中国日本間の話題の交換を通して、今日的課題を見出し共有する役割があったはずだ。前向きに人と関わろうとする亭亭が復活した。
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