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作品名:『玄海を跨ぐ 第三部 彩りの道』 作者:あるが  まま

第20回   20 新しい町
その20<新しい町>

 松野は落ち着かなかった。上海に仕事はある積りでいたのだが、ない。
これまで上海以外の学校は連絡を受けても断って来ていた。しかし、このままでは中国で仕事をするためのビザが下りない。計画が完全に崩れる。であれば、まずはビザ取得を目指すべきかも知れない。松野は迷った。

 日中友好協会玄界灘支部で、支部ニュース『ニーハオ玄海』を編集発行する人はまだ定かでない。それも松野がいなくなれば誰かがどうかするだろう。世の中はそんなものだ。松野は今と今後を楽観的に考えようとした。

福津市在住の、いわば「俺たちの市の唯一人の国会議員」仁比聡平が入会して来た。仁比の同僚の北村弁護士が新しい支部長就任を決意した。松野の気がかりの一つ一つがなくなっていく分、松野は中国行きに向って準備を進めることが出来た。
 
 江蘇省の中ほどに、泰州と言う市がある。そこの畜産学校を紹介してくれた人がいた。業者なのだが、松野にとっては救世主でもある。
 「江蘇畜牧獣医職業技術学院」が正式名称だ。学生数は1万人を超えていて。泰州市で有力な位置を占めているらしい。

 松野の一番の条件は、台所のある部屋が提供されているかどうかだから、その条件はクリアしている。部屋があるというのは労働ビザの発給が前提だから在住中の心配はない。それに自炊を考える松野には台所が共用だと不便だし面倒なことも生じ兼ねない。冷蔵庫も含め、個人別であれば小さくても構わない。これが松野が想像する中国生活の計画であった。

給料が4500元なのは多いと言えまいが少なくない。また課外のサークル「日本語コーナー」活動の指導監督を勧められるのは望むところだ。しかし、講義時間が16時間あると言うのは少し辛い。現役の時に近いからだ。退職後のバイト生活は概ね6〜8時間だから倍の時間になる。
 それでも松野は受け入れることを決めた。半期働く間に上海あるいは、より近い都市の学校を探すことにすればいいとも言い聞かせた。

 高田陽子は、松野の学校探しが進んでいないことを気にしていた。高田の友達までが上海の学校に聞いてくれていた。しかし応えは不可だったようだ。上海万博を前に、国も市もビザを出す年齢制限を厳しくしたからだと言う。高田は仕方ないと思った。

 そうこうしている内、高田は松野からの連絡を受けた。少し遠いが江蘇省泰州の学校に決めたとあった。実現すれば、松野と中国で会う楽しみが出来る。高田は少し嬉しくなった。

亭亭は松野から泰州の学校の契約条件を見せてもらった。16時間勤務であることが気になった。元気に見える松野だが、歳は歳だからだ。

松野の66歳の誕生日に贈り物をしたいと考えた。松野の眼鏡紐はくすんでいる。きっと長く使っているのだろう。代りを贈りたいと思った。
亭亭は近頃バイトできる日数が減った。奨学資金を貰えなかったら大変だ。
でも松野の誕生祝は無理してもいいと思った。亭亭は近頃彼氏になった曹旭と買物に行った際に購入した。

亭亭が贈り物を手渡しした時、松野はとても喜び、袋を開けた。そして亭亭の心遣いに感動した。思い返してみれば三年間は同じ紐を使っていたろう。新たな旅立ちの前だ。眼鏡は換えないけどこれを機に、紐を換えるのも乙なものか知れない。松野は余計に有り難く思った。

 郭明は張家口での生活を始めることにした。伊丹はこの間の仕事に対する報酬として1万元を渡した。もっと加えたかったが、郭明が固持したためにその額で折り合ったのだ。

 郭明は一人、大連から北京行きの列車に乗った。ほぼ一日座席に坐っていなければならない。北京から張家口までは4時間である。快速に乗れば1時間弱は短縮できるらしい。でも運賃は高くなる。だから、郭明はどこまで行くにせよ普通以外の列車に乗るなど考えることもない。
 一人旅はこの歳になるまでにわずかに一度の経験があるだけである。

郭明は思い出した。
突然の音信不通になった娘の探索を警察に何度も要請していた郭明だった。それで、亭亭が丹東の病院にいることが分ったと警察から連絡を受けることが出来た。母子二人で住んでいた虎頭での日雇い仕事中だった。聞いてすぐパトカーで虎林駅まで送って貰った。列車に乗ったこともないと言う老いた女が切符を買う際も、警官の一人は横についていた。郭明は文盲だから、案内の文字も読めない。おどおどするだけの郭明が丹東行き列車に乗り込み、誰もが先ず安心した。到着の丹東駅には依頼された当地の警官が迎えに来てくれていた。列車初乗車だったが、全て親切な警官の配慮で何とか遂行することが出来たのだ。

今回、郭明は怯えることもなかった。伊丹と申美姫に大連駅のホームで見送られた。一日近く列車内で揺られ、北京に着くや、駅員に聞きそのまま張家口行きの列車に乗り継いだ。郭明自身は今淡々とやり遂げているのだが、3年前ですら考えられない行動だ。言葉の通じない日本生活が郭明に社会性を身につけさせたのだ。

 張家口駅からはバスである。2時間かかる。バスといっても大きくない。個人がマイクロバスの中古を購入し田舎への運行許可を貰っての開業は、農村のあちこちにある。
いつも誰もが思うことだが、列車の駅ほどでなくても、どこのバス停でも人が多い。日本でも人のごった返す駅は少なくない。しかし中国の人の多さは半端でない。日本に住んだ経験からも、郭明は中国の人の多さを直に感じた。

この小型バスは、時刻表も明確でない。一定の人数が乗ってきて初めて動き出す。誰もがその事情を知っているので文句を言う人もいない。

美姫の夫吉道に教わった通り、バスの運転手に炭鉱の会社の事務所前で下ろしてもらうように乗ってすぐ頼んでいたから安心していた。

「尚議炭鉱だ」と運転手が伝えたので郭明は慌てて降りた。どこの町にもある4階建ての建物が見えた。ここが今から勤めることになる会社なのか、と郭明はたどり着いたこの建物の前で暫し佇んだ。

 事務所での事務処理は簡単だった。文盲の郭明が書くべきことは既に大連からの情報で済んでいた。間もなく、金吉道の従兄弟がニコニコやって来て、郭明の長旅をねぎらいつつ、郭明のために与えられた部屋に連れて行った。


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