その17<犯行>
商傑の怒りの気持は伊丹が何か言えば言うほど大きくなっていた。美玲が日本人の会社で仕事をするなど認められない。
商傑の母は政治的動きが出て来ると「日本人だ」と難癖をつけられ続けた。そして気が触れた。高校生の息子を残し自ら命を絶った。商傑は母の自殺で一層蔑まされ続けた。
自殺した人は多かったはずだが、その全ての反感が自分に来ているように思われた。
商傑は周りの人間を全て嫌った。特に日本人を憎んで生きてきた。
結婚する頃、美玲も日本人を憎んでいたはずだ。共通した気持が結婚を決断させる役割を果たしていたはずだ。
そんな美玲が今に至って日本人を助けるのか。ましてや日本人の世話になるのか。承服できないことだ。
商傑の矛先は伊丹に向って来た。 「美玲を惑わしているお前が憎い。お前は日本に帰れ。」 「中国人を苦しめた日本人が中国に来て金儲けをするのは許されない。」と声が段々大きくなって来た。
伊丹は商傑の振る舞いを見て、可哀相になった。哀れな犠牲者を正視出来なくなった。日本人は酷いことを過去にしただけではない。今も日本人の中に、過去の行為を免罪し、居直る者もいる。日本人の責任は今なお大きい。伊丹は悲しい現実を思った。 漢民族がチベットに出て行ってチベット人を酷使していることが話題になっている。民族差別として喧伝されている。
日本人が中国で会社を作り、中国人を雇用する。日本人より人件費が安くて済むからだ。事情を知る中国人には、中国人が酷使されているように映る。これは搾取でないのか。中国人差別でないのか、と。
他国や他民族の経済進出に備え、自国や地域の経済活動の能力を高める必要がある。行政が支援することも不可欠になっている。資金貸与だけでなく、例えば経営法の習得も指導する必要があるはずだ。
伊丹は、民族差別だ等と不必要な対立を煽る報道の仕方に不満を抱いていた。
伊丹のそうした考えが反映しているのだろう。したり顔で黙って自分を哀れんでいる伊丹の態度に、商傑は一層腹が立った。
「あんたに美玲をやる訳にはいかない。連れて帰る。」商傑は美玲の手を引っ張った。美玲は「イヤ」と強く拒否した。しかし商傑は美玲の姿勢を無視して引きずった。
美玲はベッドにしがみついた。商傑はベッドごと引きずった。サイドボードの本が崩れて床に落ちた。 「止めなさい。」伊丹は商傑の手から美玲を引き離そうとした。
商傑は伊丹を突き放した。その際、勢い余って入口のマットに乗せていた足を滑らせた。トイレのドアの取っ手に顔をぶつけた。頬が切れて血が滲んだ。
形相を変えた商傑は美玲ではなく伊丹に向った。 伊丹の胸倉を掴み押し倒そうとした。体力のない伊丹だが、流しの端を背に弓なりになりながら商傑の顔を引っ掻いた。殴ろうとする右手を押し返した。
商傑の目の前のまな板に先刻まで伊丹が使っていた日本製の包丁があった。 包丁に左手を伸ばした。伊丹は気配を感じ今度はその手を押さえようとした。 包丁を手にした左手がそのまま伊丹の頬を掠めた。伊丹は必死だった。
美玲は商傑が包丁を手にし、伊丹に切りつけるのを見るや、商傑の腕にすがりついた。 「包丁を渡しなさい。」
商傑は美玲に不意を衝かれた。 商傑は伊丹の体から一旦手を離し、その手で美玲を突き放した。美玲は転びながらも両手で握った商傑の左手を離さなかった。
美玲は背中からもろに床に落ちた。その時、商傑は美玲の体に圧し掛かる格好になった。商傑の呻き声が聞こえた。商傑の胸から流れてきた血が美玲の胸を失くした胸をも濡らした。
救急車が来た時、商傑の意識はあった。しかし病院に着いて程なく息を引き取った。出血多量によるショック死だった。
美玲は殺人容疑で逮捕された。
伊丹は、参考人として事件に至るまで見聞きしていたことを詳しく述べた。 不可抗力で無罪だと主張した。
しかし、紛れもなく一人の人間が亡くなったのだ。ただで済む訳もない。
伊丹は留置された美玲が心配だったが、美玲は留置されていることを素直に受け入れているらしい。警察側からの情報である。
折も折、伊丹は松野の報告を悲しく受け取った。
趙剛才が中国に戻ってしまったことは流石にショックだった。どうしてなのか理解する気にもならなかった。自分が仕事をするのはそういう中国の若者を相手にすることなのだと気持を引き締めた。幸先が悪いと言うことだが、最初に経験した事実を今後色々考える際に役立たせることも出来ると思った。
それまでの正直な気持に即して言えば、立て替えたお金が戻って来ないなどは考えていなかった。本人が返すと言った時も疑わしいことはなかった。でも決意したようにならないことがあり得るのだ。松野も言っていたように、現在の段階では、どんなに人物的に魅力があっても、お金の保証がなければ留学させることは出来ない。銀行の留学プランを使えればそれはそれでいいことにもなる。しかし、立て替えは二度としてはいけない。それを自分に言い聞かせた。
松野の報告でもう一つ驚いたことがある。郭明が中国に戻る気持になっていることだ。大学時代も親子は別々に暮らしていた。だから娘の亭亭と異なる場所で生活しても不思議ではない。しかし、今回はこれまでと事情が異なるように思えた。
日本人中国人それぞれが玄界灘を跨ぎ、中国だったり日本だったりで元気に生活できる状態を伊丹は望んで生きてきた。それぞれの生活に彩りを添えるだけでなく、日中友好を豊かにしているはずだ。伊丹自身もその一人である。それが、伊丹が直接関わった剛才だけでなく、郭明もまた日本生活を辞めて中国に戻ると言うことらしい。親子関係が破綻しているのではない。松野もそれを強調している。
言葉の壁は、文化の違いをより露に感じさせる。年齢が若ければ柔軟に対応することでも、年を取ると難しくなるのだろう。伊丹は評論家然としているわけにはいかない。伊丹は郭明に直接会って事情を聞きたいと思った。
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