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作品名:『玄海を跨ぐ 第三部 彩りの道』 作者:あるが  まま

第15回   15 齟齬
その15<齟齬>

 美玲は語るべき言葉を失っていた。同じ部屋にいることも嫌だ。早く出て行って欲しいと思った。
だが商傑は動こうともしない。

 美玲はこの冷え冷えした無言の状態が気になったままだ。引越し準備どころではない。商傑の昔の性格が変っていないなら、このままここに居つきかねない。

 美玲は早い晩御飯を作った。美玲自身は食べずに外出の用意をした。

「好きなだけ食べて、帰って欲しい。」
美玲は商傑の顔を見ずに言い放って外に出ようとした。

 「待て」商傑が口を開いた。「どこに行く。」
「どこでもいいでしょう。あなたには関係ない。」

 美玲はそのまま外に出た。仕事場を目指した。しかし商傑が後を追って来て羅王や職場の人を心配させるのが気になった。方向を転じてバス停に向かった。

 美玲はバス停に着くとほっとした。商傑は追い駆けて来ていないようだ。待合室の椅子に腰を下ろした。目の前の10数列並ぶ改札口の上部には赤い電気文字でバスの行き先と時刻が示されていた。振り返ると反対の壁一面には、バスの行程地図と共に、行き先と距離、旅費の一覧表が見えた。

大連でもどこでも思ったが、美玲はこの地図などを見るのが好きだ。見ているだけで1時間は過ごすことが出来る。

遼寧省内は細かく書かれている。吉林省内も多いが、さすがに黒竜江省は少ない。ハルビン、牡丹江程度だ。美玲は牡丹江の南の寧安での生活を思い出した。それから目を下辺に移す。大連が目に付く。

美玲は、大連に行こうと突然思った。自分が住むことになる部屋を見て、台所や部屋の様子を承知しておきたくなった。丹東で買い物をしてわざわざ大連に運ぶ積りはない。だから前回伊丹に勧められたが、事前に見るなどの必要性を感じてなかった。しかし今は商傑の目を逃れるために行くことにしたのだ。

伊丹が美玲のために用意した部屋は、伊丹の事務所から3分の距離にあった。個人の家の一部屋である。子どもが韓国に留学し戻って来ないのだと言う。それで自分の家の外壁に貼り紙をした。伊丹がそれを運良く見つけたのだ。近所の世話好きの食堂のおばさんに尋ねていた。その日の内に大家になる人を連れて来、話はまとまった。

 トイレとバスは大家夫婦とは別にある。子どもが使っていたベッドでよかったらと言うことでもあった。台所は家族と共有だが、建物全体は新しく綺麗さを保っていた。

 大家夫婦は人が好かった。日本人である伊丹のことも気に入ったみたいだ。おまけに部屋に住むのは同じ朝鮮族の年配の女性だと分って一層喜んだ。それで伊丹は借りることにしたのだ。

 美玲は自分が使うことになる部屋に初めて案内された。ベッドには既に布団が置かれていた。伊丹が用意したものだ。全てが綺麗だと言うことだけで美玲は満足した。

 伊丹の事務所に戻った。二階の伊丹の部屋で熱いお茶をすすった。

 突然の訪問に驚いていた伊丹に、美玲は元の夫が訪ねて来たことを詳しく伝えた。
 伊丹は商傑の理不尽な振る舞いに怒りを覚えた。

 しかし二人とも、今どうすべきか分らなかった。

その夜、美玲は自分の部屋で眠ることになった。気持のいい部屋だ。豪華でなくどこにでも売っている廉価な布団である。それでも真新しい。突然降って湧いた感じの商傑のことは嫌なことだし心配の種である。それでもこれからの新しい生活を迎える華やいだ気持は隠せない。美玲はいつしか眠りに就いていた。

伊丹の家の鍵は掛けていなかった。伊丹が朝ごはんの準備をしていると、階下に物音がした。美玲が戻って来たのだろう。

昨夜遅く部屋に送った時、「ゆっくり休んだらいい。昼ごはんと朝ごはん兼用のものを作るから。」言って別れていた。

足音が二階に上って来た。伊丹は扉を開けた。

見知らぬ男が目の前に立っている。
「おはよう。どなたですか。」伊丹は問うた。

男は何も言わず、じろじろ部屋の中を物色する感じだ。
「美玲はどこか。」男が口を開いた。

この男が商傑かと理解した。
「ここにはいません。」
「嘘を言うな。どこだ。」と、ずかずか部屋の中に入ってきた。

「ちょっと。勝手に入らないで下さい。」

商傑は靴を脱ぐこともなく、トイレの扉を開け、ベッドの下をも覗き込んだ。
この部屋にいないことが分っても、商傑は動こうとはしなかった。

何かぶつぶつ呟いているが伊丹には全く分らない。

伊丹は玉子焼き、野菜サラダに味噌汁を用意していた。が火を消し、商傑と向かい合うことにした。

伊丹は中国語で仕事の話をすることは出来る。しかし、訛りがあり、早口なのに小声で話す商傑の喋る内容は殆ど理解できないでいた。

長い沈黙が続いた。同席しているのが辛い。伊丹は昨夜の美玲の説明の意味が分った。とにかく座を外すために、美玲は大連にまで出て来たのだ。

と言って自分はこの部屋を出る訳にはいかない。美玲がここに来るのを待つしかないのだが、来たら来たで顔合わせ後のやり取りが心配だ。

沈黙が続いた。

程なく足音が近づいて来た。美玲だ。伊丹も商傑も共に理解した

美玲は明るく扉を開けた。瞬間、凍りついた。

「どうして、ここに。商傑。」
この場所を商傑が探し当てたのか、信じられなかった。

腹が立ったが、商傑の執念を恐れる方が先だった。

美玲が商傑を置いて自分の部屋を出て行った後、商傑は初めのろのろと外に出た。そして突然走り出した。走っては道行く人に美玲のことを尋ねた。何人にも何人にも尋ねた。そして羅王の店にたどり着いた。羅王は商傑の顔を見て恐ろしくなった。
商傑は美玲が大連の日本人の会社の仕事をすることになったことを知った。それですぐ 大連行きのバスに乗った。当てなどなかったのだが。

暗くなっている大連駅前の通りを行きつ戻りつ、日本人の会社を知らないか、と聞き回った。人通りが絶えると駅の前で寝た。
そして早朝人が動き出すとまた聞いて回った。日本人の会社は何軒もあった。それでも伊丹の事務所にたどり着いたのだ。


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