その13 <商傑の振舞い>
元旦前後、大連で伊丹との暫しの時を共有した美玲である。美玲は、新たな道を歩み始める希望に心膨らませることになった。
今回の丹東に戻るのは、これまでとは異なる。お世話になった羅王や友人に大連行きを美玲は伝えなければならない。何より吉郎にだ。
大連でも大量の花火が打ち鳴らされているのを感じていた。伊丹は花火の多さにただ驚くばかりであった。美玲にはどこでもさして変りはないし慣れている風景だ。更に春節ともなればこの元旦の比でない。しかし、伊丹に言われると日本人から見れば大晦日の夜の花火でさえ異常なんだと言うことを理解した。
この大連から丹東に美玲は戻った。 引越しの作業と言っても荷物は殆どなかった。吉郎に面会し励ます親の役割のために丹東に居着くことにしていただけだったから、家具などは皆無に近い。それでも幾つかの整理は避けられない。羅王の事業上の不利益を少なくすることを考えた。代りの人を見つけなければならない。仕事の引継ぎが出来なければ恩人に対して申し訳ないことだ。美玲は頑張るだけ頑張り家に戻ると、どっと疲れを感じる毎日だった。
薄暗くてよくは見えなかったが、一人の男が美玲の部屋の入口に立った。 美玲は誰であるか分らなかった。「誰ですか。」と問うた。 男はその声を確かめたが何も応えず、そのまま部屋に入って来た。
美玲はその時、気づいた。男は20年振りに顔を合わせる元夫商傑である。
「どうしてここに。」 「列車。」ぼそっと声が返ってきた。 「乗り物の話であるはずがないでしょう。何故ここに来たのかです。」 「離婚はしない。」突っけんどんな言い方が続いた。
美玲は、商傑の嫌がらせがこんな形でも出て来るとは全く想像できなかった。
美玲にとって商傑は不思議な存在であった。詳しい生い立ちは不明だ。しかし結婚前後の話から類推することは出来た。
母親は中国人ではないようだ。日本人でないかと疑っている。
商傑が小学生の時、「百家争鳴」を経た上での反右派闘争が激しくなった。真面目で勉強好きの商傑の父親は農業を辞めて小学校の教員になっていた。理想論をよく喋った。田舎の「百科事典」と噂されていたが、それが一転。右派闘争の過程で「反革命」の烙印を捺された。
母は夫の密かな勧めで、商傑を連れ引越し夫とは別れた。商傑は子どもながらにタブー視された父親を話題にすることもなく、父親の顔をすっかり忘れてしまった。
それから十年、文革は商傑が中学生の時だった。レッテル貼りが徐々に広がろうとしていた。過去の経歴暴きの動きの中で、母親は再度の引越しをした。過去の一切の記憶を捨てよと母は厳命した。
この二度の引越しで、商傑母子の過去を知る者は殆どいなくなった。が、友達もいなくなった。母親同様一層寡黙になった。商傑も親の過去を知る術を失くした。
内蒙古のジンギスカン村は、夫の古くからの唯一の知人の縁で紹介された場所である。
この地で商傑は高校を卒業した。母親と同じようにモノ言うことの少ない青年に成長し材木店に職を得た。生真面目だが店主とも周りの人とも心を閉ざしたままだった。
ある日、学校から職場に連絡が入った。同じ内蒙古だが北辺の地である莫尔道嘎(モウアルダオガ)の林業試験場が求人していると言う。これは党のルートで来た求人でもあるし、商傑を推薦したらどうかと言うのだ。
この林業試験場に就職し、商傑は黙々と仕事だけに励んだ。 思いもかけなかったことだが、うら若くこれまた何かを振り払うように仕事だけしている美玲の存在を知った。 しかもこの美玲の求婚を受けた。結婚した。そして父親にもなった。
だが、仕事に熱心な商傑は奥地での献身的労働を厭わなかった。家に帰ることも少なく、美玲やわが子吉郎との関係も疎遠になるばかりだった。
「何で今になって離婚したいのか。」 「逆でしょう。何で今頃離婚に反対なのですか。私が助けを求めていた時に放っておいて。」 「あんたは好きで別居していた。泣き言を言うな。」 「だったら離婚を認めたらいいでしょう。あなたは仕事が忙しいと言って、子育てすら無視していた癖に。仕事を頑張っていたらいいのよ。」 「もう、俺の仕事はない。なくなった。」
美玲は薄々想像していたことが遂に訪れたのかと思った。
寡黙で人付き合いの悪い商傑だが、仕事に関しては全く手を抜かなかった。労働時間などは全く無関係だった。20年30年後を見越した仕事だった。事実30年近くも自分の納得いくまで何時間でも仕事に没頭し続けていた。
上司は、他の部下が比較されるのを嫌って「労働時間を守らせて下さい」、と言ってきても無視して商傑のやりたいようにさせた。
お陰で、彼らの山はいつも綺麗に整備されていた。所有している山林からの木の切り出しで確実な収入を得ていた国有企業だった。
商傑は植林を重視し、切り出す木の一本一本の順序まで指定していた。しかし大方の幹部が地道な仕事を商傑に押し付けたままであることには変りがなかった。
そのくせ木材が高騰してきたと見るや、商傑が丹精込めて育てている過程の木にも幹部の一部は目をつけた。商傑の抗議にも耳を貸さず、最近では勝手に切り出して横流しする者までも出て来た。
そして売れそうな木を取り尽すと、今度は他からの木材を求めた。 商傑の仕事は僅かになった。やる気も失っていった。
そんな時に美玲の「離婚届」が届いたのだ。
美玲は「離婚届」に署名を求め、返信用封筒も同封していた。家庭のことに面倒がる商傑でも、ポストに投函することぐらいはやってくれるだろうと思っての措置であった。ところが、商傑は署名することもなく、記されていた住所を頼りに、はるばる内蒙古から美玲の元を訪ねて来た。
美玲は、商傑が目の前に登場するなど想像もしていなかった。商傑を目の前にし、次々に商傑とのこと、特に悲しかったことを思い出した。20年間なかったことである。
乳癌で左胸を喪った時が、今に至っても一番情けない思いをしたものだ。万一の場合の吉郎のことを頼む積りで、手術の前に手紙を出していた。商傑は返事を出さなかった。最も必要とした時に無視した男をどうして夫とみなさねばならないのか。
美玲の気持は変るはずがなかった。よりを戻すなど出来ない。
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