その9<日本留学準備>
亭亭の退院が決まった。郭明も伊丹二郎も待ち望んでいた日だ。
美玲は懇意になった病院の看護士に退院の日時を聞いた。
紅は伊丹からの電話で聞いた。
退院後亭亭はどうするのか誰もが気にしていた。が、亭亭は日本に行くことにした。蘇州大学の大学院は中退し、日本の東邦大学への留学を目指すことにした。忌まわしい事実から遠く離れて再出発すると言うことが、自分の気持に最も適う道だと思うようになった。伊丹の勧めに従うことも縁であろう。とは言ってもすぐ日本の大学の院生にはなれない。伊丹はまず研究生として迎えることにした。経済的な課題は伊丹が全責任を負う「経費支弁者」になることで入国管理局の許可を得ることにした。
不思議に思われているが東邦大学に大学院ができたのはそれ程古くはない。五年前である。東邦大学卒業生の殆どが日本社会の第一線で働く道筋が長い間に出来ていた。ところがいつの頃からか大学卒業だけでは有利な就職が困難になり始めた。大学での安定状況に安住していて遅れを取ったのだ。少子化の中だからこそ、今後の安定的な学生確保を考えた時、大学院のないことは致命的だと考えての設置だった。この点での決断の遅さは伊丹自身を反省させ暗くさせるものだった。
当初本学の卒業生中心の院だったが既に今は違ってきている。他大学卒業生がいないと人間関係だけでなく、諸々の面でのマンネリ化も避けられない。余所の血を求めるのは、組織の必然である、と伊丹たちは考えたのだ。
伊丹は、日本人学生だけでなく百を超す中国人学生を留学生として迎えるための仕事をしてきた。しかし、自分が直接個人の保証人になることは厳格に避けてきた。大学の奨学資金の枠を少し増やすことはあった。それでもその対象になれなかった中にも優れた学生は沢山いる。その一々に経済的援助を考えていたらキリがないのだ。
しかし、伊丹は思った。亭亭は別だ。 鴨緑江に投げ込まれた亭亭を偶然見つけたことから関係が始まった。娘というよりも孫に近い気持で亭亭を見ている。経済的には貧しい環境下だが、幸いにも日本語を勉強し、大学院に進む意欲的な生き方にも共鳴できた。
退院後蘇州大学に戻るものと思っていたが、亭亭は就職すると言う。詳しく聞きだすと、お金の問題だった。入院中は、お金は出て行ってもアルバイトなどできるはずもなく収入はゼロである。母の郭明は有り金の総てを娘の医療費に当てていた。郭明にすれば、全てを無くして逆に今娘と共にここにいると言うことになる。
亭亭は応えた。「就職してお金を貯め奨学金も狙って、また大学院に戻ります。」進学を希望する貧しい中国人学生の多くが持っている現実的対処法である。
伊丹はこのさばさばした物言いに感心しながら、不意に日本への留学を提起することになったのだ。これまで一度として考えてもいなかったことだった。
東邦大学に勤め始めた頃、新しい装いに転じた東邦大学全体の発展の一つに中国人留学生を積極的に招くと言うのがあった。この夢と重なるように、一人の特定の中国人女性の日本留学を考えていた。好奇心に満ちた意欲的な人が優れた学問の場で自分に厳しく努力する。そして一層素敵な女性に成長していく姿を想像していた。その人とは結婚することをも考えていた。
しかし、その個人的な夢は、相手が「行先不明」になってしまったまま消えていた。その個人的な夢が消えた分、無我夢中で大学つくりに励んできたのも事実だった。
そして今、ゆとりある生活を送っている伊丹に、仕事人間としてだけでないボランティアの感情が生まれた。仕事外の面でも何か具体的なことで世の中の役に立ちたい、と考えていた。亭亭を発見したのも何かの縁だ。この縁を少し大切にしようと考えた。
亭亭の母親の郭明は、娘の留学費を他人に「無償」で出して貰うことには最後まで反対した。しかし、「借金」として返済することを伊丹に約束する形で、親戚でもない日本人の世話を受け入れることになった。
伊丹は経費支弁者として入国管理局に届けるために、資産状況を明らかにしなければならない。大学や家計簿とは別の伊丹個人の通帳を使うことにした。三つの貯金通帳をまとめた。経費支弁者として認可されるために必要な提出書類の一つ「預金残高証明書」を一つの銀行からのものにしたかったからだ。もう一つ面倒だったのは、亭亭の留学の経費支弁者になるに至った経緯と理由を公的文書として提出することだった。親戚であれば問題はない。だが、伊丹と亭亭は国籍も違うし全くの他人である。
この件で、伊丹は出会いから今日までの詳しい二人の関係を文書にした。併せてこの事情を示す客観的資料として中国でのテレビ出演の事実を文書にし、日本の該当番組をコピーしたのをそれぞれ提出した。こうした些か面倒な作業だがその提出物を揃える仕事自体は楽しかった。
亭亭が大学に依頼して揃えるものに「日本語学習(時間)証明書」「ハルビン師範大学卒業証明書」「単位取得証明書」「卒業記念集合写真」があった。これはハルビン師範大学にいる朴金善の手を煩わせた。金善は、何より亭亭が元気になったことを喜んだ。亭亭のための手助けができることを嬉しく思った。
これら諸々のお蔭で、亭亭の日本入国は入国管理局に認められた。
郭明を中国に残す考えは、亭亭はもとより伊丹にもなかった。親子一緒の来日を当然だとしていた。しかし郭明は仕事も何もしないで人様の世話になることは出来ないと固辞した。人の世話になる親子を郭明自身想像できなかったのだ。しかし、郭明の就労ビザを取るのは簡単ではない。入国管理局は、不法入国者になる可能性の増大を防ぐ使命感で、ほんの僅かな書類上の不足はもとより、記載上の誤字ですら見つけては入国を拒否している。
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