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作品名:ざわめき 作者:あるが  まま

第7回   7 それぞれのテレビ
    その7 <それぞれのテレビ> 

中国では秋の第17回中国共産党大会に関係した報道が多くなっていた。少し前の全国人民代表会議のスローガンの場合は「和諧」だったし、それに関わることが繰り返し報道された。中国共産党大会では「経済発展策の暗部の修正」が中心テーマの一つになる見通しだと、関係者の予測もあった。

しかし、テレビの中での政治的キャンペーンとは無関係に、自分の気分に合う番組だけを多くの人は興味の対象としていた。

亭亭の母親の郭明は、瀕死の娘を病院に訪れて以後一度も自分らの家がある黒龍江省虎林に戻らなかった。家の中にこれと言う家財道具など何も持っていないのが強みになっている。慣れ親しんだ品々がないわけではない。それでも家には失って困るものもなかった。黒龍江省に戻る列車の費用も時間も郭明にはもったいなかった。

毎日娘のベッドの横の狭い床に寝ていた。家に帰りそうにないのを見かねた看護士の一人が探してきたベッド一つの安アパートで寝起きし、すっかり丹東の人になってしまった。

娘の命を奪おうとした犯人、商吉郎の母親である李美玲とも、郭明は会った。美玲が頭を床に擦り付けて詫びる姿にも特別の感情は湧かなかった。郭明にとっては、娘の北京行きを教えた自分だけが悪いのである。自分が娘の居場所を教えなければ娘が被害者になることはなかったはずだ。もともと他人の言動のあれこれに関してまで好悪や是非の判断をする習慣は郭明に全くなかった。

環境の変化も大して気にしていないように周りには映っていた。時間を見つけては掃除など雑用を手伝うこともあった。あちこちに転がっているペットボトルを集めては、どこで聞いてきたのか、しかるべき人の元に届けて口をしのいでいた。事実食べていけているのだから、どこに住んでいようと同じようである。

ある時点から日に日に回復していく娘の体調に接しておられるのが母親としての喜びだった。

そして、亭亭は病院の先生と共にテレビの取材を受けるらしい。意識すらなかったのが取材を受けるまでに人間らしく回復していっている。この娘の症状を有難く思いながら、カメラの来る日に自分がその場に居ることを本能的に避けた。

テレビ撮影の時間が来る時、「仕事」だと言って病院から自分が借りている部屋に戻った。戻る時、いつものコースだが道端に置かれている7箇所のゴミ箱を覗いて回る。同じことをしている人もいる。タイミングが問題だ。と言うより運の良し悪しと言える。ペットボトルを21個見つけた。いい日ではなかったがそれ程悪くもないと言うところか。郭明は大袋に入れた。いっぱいになると親方の所に運ぶのだ。

ペットボトルを置いて帰ろうとすると止められた。明日からのごみ収集の仕事を勧められたのだ。掃除夫の一人が自動車にはねられ仕事が出来なくなったらしい。人の悲劇の結果なのだが、郭明には願ってもない仕事の話である。運がいいと言うことだろうが、それとて小躍りすることでもなかった。

美玲は何時の頃からか日本に関する番組は、自分が事前に知ることが出来れば殆どを観ようとして来た。

有名なアナウンサー白岩松が日本を紹介した『看日本』も夜遅い再放送時間にほとんど観た。日本は中国と異なっているといつでも思う。だから余計に興味深くなる。この番組で日本料理として紹介されていたうどんを食べたいと思った。昔一時的だが惹かれていた吉川が「うどんが好き」と言っていたのを不意に思い出したりした。吉川が歌って聞かせてくれた谷村新司の『昴』も、この番組の中で懐かしく聞いた。中国語では「七姉妹星団」と呼ぶことを吉川に教えたものだ。『昴』は日本を代表する歌の一つなのだろうと改めて美玲は思った。

『鑑真東渡』は少しだけ観た。仕事で戻れない時も多かった。美玲の仕事は食堂の掃除である。朝6時には出、夜8時半に戻れるはずだが、客の状態で1時間くらい遅くなる。その時は当てにしていたテレビ番組も観ることができなくなる。仕方ないことだから慣れてしまっている。

最終回の場面で、鑑真が日本の都奈良に着いた時、生まれ故郷の揚州はどの方角かを弟子に尋ねていた。教えられた通りに振り返り、見えない目で遠くを見、頭を垂れた。苦難の末の大願成就を自分を送り出した中国に感謝していることが理解できた。

美玲は昼間の2時から4時まで体が空く。一ヶ月に一度刑務所で息子の吉郎を面会した。殺人者にならずに済んだが、凶悪犯罪者であることに変わりはない。自分の犯行を反省していることは親である自分が一番理解している積りだ。刑期を終えて戻れる日はずっと先だが、出所のその日、迎えに行くのは親である自分の役割だと信じていた。

そして月に二度、息子の代理のつもりで亭亭の病院にも様子を見に行く。これが美玲の一ヶ月の大方の生活だった。

初めて亭亭の母親の郭明に会って詫びた時も全く無視された。それから何度か会っても同じだ。何も言われない。怒鳴って欲しいと思うこともあった。無視されても美玲は自分に課した月に二度の見舞いを絶やすことはなかった。ある時から急速に回復していることを知らされた。嬉しかった。

そんな時、『犯罪を軽くした日本人の役割』が放映されると美玲は知った。この「日本人」こそ息子の犯罪を見つけた男だ。一度は憎む気持もあったが今は有難いと思っている。でもテレビに出てくるとなれば平常心で観ることが出来るか自信はなかった。

無常と言うべきか、仕事が急に入った。それで番組終了近くを少ししか観ることが出来なかった。それでも「伊丹さん(yidan xiansheng)」と呼ばれている男の横顔を観た。真面目そうな雰囲気を漂わせていた。これまで病院で美玲は顔を合わせることはなかったのだが、中国に来た折、伊丹は亭亭を時々見舞っているらしいことを知った。当然知らない名前だが、いつか会えたらいいと思った。


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