その6<発見された死体>
昼のローカルニュースで水死体が発見されたことは報じられていた。
発見場所は、福岡市博多区側から来る場合、東区の和白交差点から志賀島に向かう道に左折、西鉄宮地岳線の線路を過ぎてまた左折すると、海ノ中道の西戸崎駅を終点とするJR香椎線の線路がある。跨ぐと海に面した市の水道施設がすぐだ。その入り口横には江戸時代にこの地を埋立てし農地を広げた事跡を記す碑も立っている。
その傍らに水路がある。海に続く水路横の草の生い茂った小道は、柵で囲われた新しい地肌の一画の手前から左に90度曲がって畑と岸壁の間を抜けている。都市の近郷農家が野菜を作っている地域でもあるのだが、通りと反対側のこの草むらの小道を通る人は稀だ。マムシにでも噛まれたら笑い話にもならないと地元の多くの人が思っている。
志賀島の金印公園に行く途中の老人夫婦が、埋立ての碑を確かめるついでに人工島を和白側から見ようとしていた。車を草むらの小道に進ませ白い地肌の見える箇所の入り口で停めた。そこは、護岸工事で新たに出来た地所である。
潮が満ちて来ていて水路を海水が逆流していた。「お父さん、川が逆に流れているよ。」妻の方が不思議そうに見ていた。そして何かを見つけた。
「お父さん。何かいる。」「んっ?」
揺れている藻の間に土色の物が見えていた。
「あっ、本当だ。」「人間だ。うつ伏せになった裸の人間だ。」
暑い日差しの中、二人は急いで車の向きを変え通りまで戻った。近くの派出所の位置を聞いて届けた。
この死体発見は身元が判らないまま昼のニュースで報じられた。 そして午後4時のニュースは管轄の東福岡署の記者会見の様子を報じた。
署は、朝毎新聞記者の橋本郁夫であることを明らかにした。事故死の考えを持ちつつも、事件の可能性が大きいとしている。橋本の行動については、福岡空港に中国帰りの人物を迎え、その時に一緒だったテレビ局の知人と地下鉄博多駅で別れたとの証言があった。しかしその後の予定は当該新聞社でも明確でなく、当惑していることが分かった。家族は前夜戻らなかったと警察に届けていた。これが身元確認を容易にしたのだった。橋本の家族は発見された死者が本人であることを確かめたと言う。
松野は車の運転を一時止めたくなるほどの衝撃を受けた。紅と高田に、この橋本が飛行場にいたこと、そして博多駅で再び出会っていたことを告げた。二人ともこの事件が、遠い所ではなく自分たちの昨日来の行動日程と重なる部分のあることを理解した。 「白髪の変な老人が怪しいんよね。」紅はすぐ反応した。高田も同じだったが、「その老人は日本人だったのだろうか。」と続けた。高田は中国に居るときは、何かあるとそれが日本人でないかと気にし、日本に居るときは中国人の犯罪かどうかを心配する癖がついていた。
「はっきり見てないけど、日本人であることは間違いないでしょう。でもどこか何か違うものも感じたんですよね。変、と言うのは何も悪い人だとの意味はないのだけど。」松野は応えた。
警察にこの事実を早く知らせる必要があると、三人の意見は一致し、ホテルでなく警察署に車を向けた。
その直後のニュースの続報は、今入った情報だとして、「水死体で発見された橋本さんは、昨夜博多駅構内を白髪の男と二人連れで歩いていたことが目撃されていた。」と伝えた。
松野は、取りあえず東福岡署行きはしなくて済むと思った。そのまま博多駅近くのホテルに高田を送り届けた。
翌朝の新聞は、橋本記者と同行していた白髪の男性の言葉を載せていた。その男は白岩海と言う。日本名は安田岩海だ。安田はあえて中国に居た時の名前を使うことが多かった。中国帰国者問題の広がり難さを気にし、一人でも多くの人がこの問題に注目して欲しいと考えてだった。
安田は、橋本とは博多駅で別れ、箱崎の自宅に帰ったと言う。「中国帰国者人間性回復運動」に関わっての話をしたと内情も告白した。安田としては、その日和白に行く必要性もないし行ってもいないことを主張している。事実、夜の9時頃安田の家を訪問し語らっていた近所の人の証言も載せていた。安田は、「残留孤児」とか「中国帰国者」と呼ばれている人たちの地域の世話人だったのだ。
安田は、橋本が帰国者問題で積極的に記事を書いてきたことを認めている。日本の多くの読者に少しでも事実を知って欲しいと願って記事にしていることに感謝していた。 翌朝松野は、日中友好協会事務所に行く前に、高田陽子を博多駅で見送った。高田は、東京の娘の所に向かう。ここに至って松野には少し悔やむところがあった。
福岡市博物館の『鑑真展』案内ができなかったことである。奈良の唐招提寺の改装中に鑑真像も含めた国宝が福岡でも展示されていた。東京での展示会は済んでいるから今がいい機会だと松野は勧めたかった。紅と高田を結びつけたのも鑑真だと言うことだった。中国での鑑真展と日本での鑑真展の違いを知るのは三人それぞれに意味があるはずだと松野は考えていたのだ。三人で行動するのもこれ以後はありそうにないと思っての博物館行き計画でもあった。
高田は松野の好意に感謝しながら、いつか改装なった唐招提寺で会いたいと述べた。
KRBテレビの結城たちが約束の三日後、東邦大学を訪れた。
伊丹二郎は、「中国人女学生の死を防いだその後」についてのインタビューを受けた。
冒頭、亡くなった橋本の不幸な事件から始まった。伊丹は語る。「橋本さんは、言葉は不適切かもしれないけど、珍しい人でした。取材に来られた時、学生さんのように無邪気な感じの目線で、問うて来る姿勢が印象的でした。先日福岡空港で再会した時の印象も同じでしたね。こんな人を殺す人がいるとすれば、道を外れた自分の行動を厳しく指摘された人でないか。」と予測した。
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