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作品名:ざわめき 作者:あるが  まま

第5回   5  所縁の場所
その5  <所縁の場所> 

高田陽子は、三人での夕食が済むと加藤紅や松野と別れホテルに戻って行った。別れ際に、「御供所はどう変わっているでしょうかね」と紅に問うた。

御供所は昔の博多駅からすぐの場所で、今は祇園町や奥の堂辺にあたる。紅は松野から教えてもらった。聖福寺の周りでもあると聞き、紅は位置をはっきり理解した。太平洋戦争に負け中国からの沢山の引揚者が博多港に降りた後、行き場のない者に宿を提供してやった偉大なお寺として紅はよく知っていた。小学生の頃、歳の離れた姉に教わっていたのだが、高校生の時、友達と聖福寺を訪ねに行ったことがあったから判っているのだ。

「明日、その辺を歩きましょう。」紅は応えた。

高田は翌日の予定がはっきりしてきて嬉しくなったついでに、その御供所や博多駅からはずっと東に位置する香椎のお宮や街や海岸も見たいと伝えた。

紅は福岡での案内役を全て務める積りではあった。が、歴史的変化の説明役は自分より松野に頼む方がいいと感じていた。高田は松野に興味を持っているようだ。中国に行ったことのない松野だが、中国への関心は人一倍である。だから、何か中国事情を伝える役割を果たしたいと高田が感じているのも分かった。

「明日、高田さんに付き合ってくれない?」紅は単刀直入だった。

松野は、敬愛している友人の花村が日中友好協会玄界灘支部を作るというのを手伝っていた。その時の事務所にする予定の家を整備する一環として業者と午前中に会う約束があった。その後、博多に出てアジア映画祭の中の中国映画『私は踊る』を観る予定にしていた。しかし、高田と香椎あたりを歩くのも悪くないと松野は思い直した。

「いいよ。お前はどうするのか。」と紅に問い返した。
「朝、ホテルに高田さんを迎えて御供所を歩き、その後JR香椎駅まで案内するよ。松野は香椎駅に来てくれたらいい。」

それなら映画を観られないだけで、午前中の約束は果たせる。松野は楽しみが増えたと思った。

翌日松野は車で出かけた。日頃は列車やバスを使っているから久し振りの運転である。2人とはJR香椎駅の跨線橋を渡った裏側で落ち合った。お昼は香椎高校の学生食堂で摂ることにした。香椎宮に行く途中でもあり、便利な場所だ。紅も学生食堂を懐かしがった。高田にとっては初めての経験になる。車を香椎高校に停めた。

昼休みの少し前で生徒たちはいなかった。見知っている従業員もいなかった。食堂入口で松野は定食券を3枚買ってきた。食べている内に生徒がどっと入って来た。三人は賑やかな高校生たちに囲まれ確保していた場所に小さくなって食べた。でもそれぞれが若さを貰っていた。

食事を済ませて再び校舎内を抜け反対側の正門に出た。江戸時代の武家屋敷で使われていたと言ういかめしい門を改めてしげしげと眺めることになった。東京からわざわざ運んで来た当時の門の復元だと言う。だが松野もまた歴史の偽造をその門にも感じていた一人である。名誉欲や利権が絡む話が教育の場でも横行する事実を怒り悲しんでいた。

車を香椎宮の駐車場に停めた。香椎宮は高田をほっとさせた。半世紀前の様子が社殿を中心に残っているからだ。

綾杉の一枝を手にした。先っぽが二つに分かれている。いかにも神功皇后以来の神の地である。何度見てもその杉の葉の不思議な形が神宿りを思わせる。高田は昔この境内で親戚の従姉妹たちと遊んだ記憶をも蘇らせた。

香椎宮前から大楠が並ぶ参道をゆっくり走った。暑さが並木で和らげられていた。途中から香椎川に沿って進むことを高田は願った。川は松野が香椎高校に勤務していた20年前頃に比べてきれいになってはいる。だが、高田にしてみたら、汚い川になっていることが悲しかった。

駅前通りに出た。右方面に先ほど落ち会ったJR香椎駅の正面が見えた。そこを逆に左折した。それからすぐの西鉄の香椎駅前に高田は降り立った。小さな駅舎である。昔はもっと大きかった気がする。松野には珍しくもない風景だが、高田には特別の感慨があった。子どもの頃の思い出と共に松本清張の小説を思い出した。『点と線』である。

『点と線』の頃と違って香椎浜は既に埋立てが進んでいる。清張の描写の面影はない。
大きな通りを走った。橋があって、人工島に一続きになっている。人工島は博多湾の中に造られた島である。島の東側を迂回するように走った。家もある。だが塀に囲まれた空き地も続く。その場から海を隔てた向うに香椎花園の観覧車が見えた。松野が説明したが、高田はこの大きく映る香椎花園は知らなかった。香椎海岸で遊んでいた頃はまだ何もなかったからだ。

その先の和白浜に潮干狩りに行ったことも高田は思い出していた。アサリ、ハマグリなどを掘り出して持ち帰り、塩水につけて砂を吐き出させた後貝汁にして食べたものだ。今はそうした潮干狩りはなくなっていることを松野に聞いた。高田の故郷はここでも遠くなっていた。

大通りに出て人工島をそのまま北方向に進んだ。大橋を渡れば志賀島に続く海ノ中道に繋がっている。そこを確かめた後Uターンして島の中に戻った。

人工島は、それ自体が政治がらみで、利権を貪る材料になった典型なのだが、今またこの人工島を利用する形で国際空港を作る計画が浮上している。松野の憂いを紅も聞きながら政治のあるべき姿を想像しようとした。高田は、中国のあちこちで見てきた開発事情もよく似ていると思った。特権をほしいままにする幹部たちがいた。一つの開発が貧富の一層の拡大を作り出している。高田は疲れを覚えた。

松野は高田のホテルに車を走らせながらラジオのスイッチを入れた。
ニュースが、午前中に発見されていた裸の水死体の男の身元は朝毎新聞社の橋本郁夫記者であることを伝えていた。


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