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作品名:ざわめき 作者:あるが  まま

第3回   3 鑑真の仲立ち
         その3 鑑真の仲立ち 
 
安徽省黄山は美しい山として中国で有名だ。その黄山に高田陽子は家を構えた。60歳を過ぎてからのことである。そこで中国画を学び、レストランを経営した。そして別に江蘇省蘇州から60qほど離れた張家港を拠点にした日中貿易をも継続した。

その張家港で高田は加藤紅と偶然だったのだが初めて出会うことになった。

張家港を紅は訪れた。鑑真に惹かれての訪問だった。

以前、紅はクラス有志の催し物で同じ江蘇省揚州の有名な大明寺に行った時、鑑真の足跡を見た。鑑真像は、紅がこれまで教科書その他で見知っているものだった。しかし、「模造品で本物は日本の奈良県唐招提寺にある」と正直に説明されていた。蘇州の寒山寺で亭亭たちとも一緒に見たのと同じだ。また展示場の一画に日本に行くまでの経路も示されていた。日本到着を実現した最後の旅の出発地が一般に知られている揚州ではなく張家港となっていた。紅の知らないことだった。

紅の卒業論文のテーマを『チャイニーズドリーム』にしていたのだが、近頃は未定の状態に戻っていた。親しくなっていた崔亭亭が研究対象の有力な一人だったのだが、事件の被害者となった。植物人間になり語らうこともできなくなったことが契機だが、もっと色々なものを知ってテーマを決め直そうと思うようになっていた。時間がないのは承知である。書くことには自信があった。

亭亭との出会いもそうだったが、偶然の出会いにむしろ身を任せながら勉強する気持ちを強くしていた。「中国における日本事情」あるいは「日本語と中国語」により興味が移ってきていた、日本を意識したものになりそうだと何となく感じてもいた。

いずれにせよ、高田との張家港での出会いが一層転機を促したことは確かだった。

加藤紅はCCTV局の『鑑真東渡』を見ていた。鑑真が幾度もの失敗にもめげず、遂に日本にたどり着き、日本の仏教の広布に大きな役割を果たしたことがよく分かった。

この番組の最後の協賛団体名には、揚州市ではなく張家港市の政府や張家港市の幾つかの団体名が10近くも出ていた。その理由が紅には分からない内にゴールデンタイムの一週間連続の番組は終わった。温家宝首相の日本訪問の日に合わせた番組放映であることに驚いたものだ。

そしてその時、いつか張家港に行ってみたいと紅は余計に思うようになった。
蘇州からは、揚州に比べたら張家港は随分と近い。22元で行ける距離である。午前中に発って一時間ちょっとで張家港に着いた。それから東渡公園を教えてもらってバスで行った。鑑真公園とは言わず、東渡公園としていて、それがバス停の名前にもなっていた。

紅は、テレビを見て一層張家港に行きたいと思ったのも確かだが、はじめは鑑真の旅の出発地を確かめるだけでよかった。来てみるとそこに鑑真像があった。鑑真像は揚州のと異なっていて少し驚いた。テレビで、鑑真が死ぬ場面の前に弟子の一人が鑑真像を作る中心になり、周りの者が手伝っている様子が映し出されていた。この時の鑑真役を務めた俳優に似せて鑑真像は作られていたのだが、この像がここ張家港の東渡公園に置いてあったのだ。

もっと驚いたのは、遣唐使船の模型が係留されていたことだ。これまたテレビの『鑑真東渡』の撮影で使用されたものだと言う。この分の費用も張家港政府らは出していたのだ。

通りかかった係の人に少し説明を求めていた時、紅が日本人であることが分かったらしい。何か確かめていたが、珍しい見学者だということで館長自らが事務所で説明してくれると言う。自分一人に対してなら恐縮せざるを得ない。公園管理所に入ると、そこには年老いた日本人女性が一人と中国人か日本人か分からない中年の男性がいた。少し気分が和らいだ。紅が後で知ったことだが、この二人は、高田陽子と取引先の担当者だった。

館長は、日本語の出来る説明者に見学者3人を案内させた。

紅は改めて思った。張家港の東渡公園内の小さな川に似せた池に繋がれている実物大の遣唐使船の模型は、船の中まで入って見ることが出来た。テレビの中で、嵐にあって船が激しく揺れていたさまを思い出した。紅は、来てよかったし、日本人の先輩たちと一緒になれたことを一層有難いと思った。

それでも疑問は残っていた。紅は地図を見た。ここから長江までは10qはある。よく訪れている高田は張家港全体を紅以上によく知っているから、その疑問にも同意した。

管理人室に戻って、孫のような日本人の若者が中国語でも熱心に質問している姿を見るのは高田には心地よかった。館長は古い地図のコピーを出してきた。高田はびっくりした。12、300年前頃、張家港は海に面していたというのだ。張家港の場所は揚子江(長江)とも言えるし黄海とも言えそうだとその絵地図を見ながら紅も思った。鑑真一行は揚州を船で出、日本に帰る遣唐使船にここ張家港で乗り換えた、という意味が少しずつ理解できてきた。千数百年の歳月は、長江からの膨大な砂を堆積することで長江のあり様を大きく変えていたのだ。

「あなたも『鑑真東渡』を観ていたのね。」高田は紅に語りかけた。
「はい。高田さんもだったのですね。」紅も嬉しくなって応えた。
「私は何度も張家港に来ながら、鑑真との関係は知らなかったのよ。テレビの中で張家港がなぜ協賛団体になっているのか分からなかった。それで、今回仕事で来たついでに政府の人にお聞きして、この公園まで来てしまったの。来てあなたに会えてよかった。」

高田は陽子に張家港に泊るように勧めた。が、陽子は夜に約束を持っていた。
「黄山にはいつか行きたいと思ってます。」

高田は紅との再会を期待して応えた。「蘇州からは夜行列車がありますよ。ずっと速く黄山に着こうと思ったら、蘇州から一度杭州まで出てそこから黄山行きのバスに乗る方がいいかも知れませんよ。」

紅はこの品のいい老人との再会を楽しみにすることにした。

鑑真を仲立ちにして、まずは張家港で、そして黄山で更に関わりを深くした二人だった。日本に同じ時期に帰国できたら、共通の故郷とも言える福岡の街を一緒に歩くことを約束し合い、それが今実現したのである。


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