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作品名:ざわめき 作者:あるが  まま

第19回   19 暴力団
その19 <暴力団> 

松野一大は、新聞記事が契機になって教え子たちの今を時折連想する。今もそうだ。

指定暴力団の組長決定をめぐって、福岡近辺の暴力団同士の殺し合いが続いていた。県警の厳しい抑止体制に加え、世論の高まりに逆らえずその抗争を「手打ち」した、と報じている。ひとまず安心した。
柳田はどうしているだろう、覚せい剤を止めているだろうか。
山下はどうか、同じ市のさほど遠くない所に親が今も住んでいることは確かだけど。

松野は新聞を畳み、皮のジャンバーを羽織った。首周りをも覆ってくれる珍しい形が好きで二十年以上も着慣れた奴だ。傷の修理や塗り替えもしてきた。

松野が属して頑張っている所は、日中友好協会福岡支部玄界灘班だ。支部として独立することを目指し様々な企画を重ねていた。

松野はこの班の重鎮古賀独歩の家を訪ねていた。

福津市の東福間駅から程ない一角に古賀の家はある。そこから緩やかな坂道を更に登り切ると県営住宅がある。それを通り過ぎダムの横を経て宗像医師会病院前に抜ける道が続く。

松野の訪問は、玄界灘班例会の参加者についての相談だった。同じ団地に住む中国に関心のある人を一緒に訪ねる計画も考えることだった。
松野は用事を済ませて路地から通りに出、県営住宅の方にバイクを走らせた。黒塗りの大型乗用車が停まっていた。黒服の男がドアを開けると、恰幅のいい男が降りた。

暫くバイクを停めたまま降りたばかりの男を眺めていた。

松野は思い切って「山一・・」と声をかけた。男は「誰じゃ」と言わんばかりに鋭い目を向けた。そして気づいた。

「松野先生よね。」表情が柔らかくなった。

25年も昔のことだが、近くの神郷小学校で「福岡県民間教育研究集会」があった。教員が多数集っている閉会式で、当時水産高校生だった山一は、先生に褒められることの少ない「落ちこぼれ」生徒の気持を大勢の教員たちを前に述べたことがある。堂々とした物言いに松野は人以上に喜んだ。

山一の病弱の母親は繰り返し松野に語っていた。「不良と言われているけど、根は優しい子です。小学校4年生の時からずっと新聞配達をして、店の親父さんには可愛がられています。」

その頃既に十分に年食って見えていた。後輩たちは怖れ且つ慕った。親分的面倒見のよさに惹かれていたのだ。

その後一度松野は同じ県営住宅の前で山一に会っている。暴力団のチンピラ組員になったことを聞いた。「先生、弱いもんをいじめたりせんけ。」と弁解していた。「覚せい剤する奴も止めさせている」とも言っていたことを松野は思い出した。

山一は、松野のバイクを住宅の駐車場に置かせ、自分の車に同乗させ駅前まで下って喫茶店に入った。黒服の運転手は路上に停車したまま待つことになった。

近況を伝え合った後、松野は気にしていた生活保護費の不正受給のことを聞いた。
山一は、思いつくまま次々に喋った。

「ひと頃やけどちょっと賢いやくざの間で流行っていた、でももう今はしてないはずよ。」

「タクシー代だと言って何百万円も儲けた奴もいて真似する者もいたよ。」
「高級車に乗っていて生活保護費の受給はおかしいよねえ、先生。」

山一は聞かれないことに対しても、自分の感想を言い続けた。

「日本に来た中国人で変な奴もいるもんね。この近くにもいるらしい。」
「不正受給というか、書類上離婚して別世帯になって余計に貰っている男や女もいる。」
「新聞記者に追い掛け回されていた奴もいたなあ。」
「俺はね、儲け話は知っていたよ。けど、保護費だけは貰わんようにしてきた。それは俺のポリシー。」と笑った。高校生時代と同じように滑らかな口調だった。

松野は山一の言葉を遮るように口を挟んだ。

「その追い掛け回していたと言われる新聞記者が死んだんよ。」
「病気ね。」と山一は聞き返した。
「いや、殺されたんだと思う。」松野は応えた。
「誰に。」
「分らん。お前何か知らんか。」松野は問い返した。
「知らんよ。知るわけないやろ。でもどいつかなあ。まさか、追い掛け回されて悲鳴上げとう言う奴やなかろうけどね。いや、そいつは俺の身内やないんよ。兄弟分の組の奴だけど。確かにこの頃どこかに行って行方が分らんゆう話だった。でもね、先生。堅気を殺すなんかしても何にもならんとよ。金にはならんし。」

「窮鼠猫を食む、と言うよ。」
「窮鼠って何ね。」

橋本に関する話は終った、と松野は思った。

店を出、車に戻って松野は言った。
「同窓会に出て来たらいいけど、暴力団はちょっとねえ」
「またそれを言う。俺は真面目なやくざやから。」
「お前の言いたいことは分った。また何時か会おう。」
「先生、元気にしときいばい。」

松野は「ありがとう」と言ってバイクに乗り換えた。宗像医師会病院に叔父を見舞い、その足で亭亭親子のアパートを訪ねに行きたいからだ。日本に来て以後の顔を見たいし、お願いもあった。また伊丹が既に用意した以外に、もし何かあった方がよさそうな生活用品を調べたいとも思ってだった。


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