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作品名:ざわめき 作者:あるが  まま

第13回   13 烏蘇の農村
その13 <烏蘇の農村>

亭亭は日本に行く前に、伊丹から与えられた課題を果たすことになった。

亭亭の知っている中国は僅かである。生まれた黒龍江省七台河の記憶は皆無で、育った虎林、大学生として過したハルビンと大学院進学で赴いた江蘇省蘇州、それに小旅行した徐州や北京等々。九死に一生を得た問題の地、丹東の体験も僅かだが加わる。いわゆる内陸部は知らない。それでも北の黒龍江省はもとより揚子江下流の江蘇省までもの地域を一応体験した訳だから、故郷は勿論大学の友達からも羨ましがられた。

亭亭は、日本人が好むらしい西域をまず考えた。青蔵鉄道で高地チベット自治区のラサに行くことを思わないでもなかった。が、日数もお金の問題もある。結局新疆ウイグル自治区に行く前に陝西省の西安に立ち寄り、シルクロードの出発点の雰囲気を味わった上でウルムチまで足を延ばすことにした。

「自国を知りながら外国を学ぶべき」が持論の伊丹は、亭亭から大方の計画を聞き、往復1万qにも及ぶ列車の旅を喜んだ。

亭亭は、丹東からまず北京に行き、西安行き列車に乗り換えた。

西安は大きな城壁が目に付いた。さすが古の都長安だと亭亭は思った。古代史に出てくる咸陽との地理的関係も初めて実感した。秦の始皇帝の「兵馬俑」も見に行く。少し歩かねばならない。酒を飲んでバスから降りずにいる観光客の一団もいた。

大きな屋根ですっぽり覆われた遺跡の中は不思議な世界だった。等身大の人物像なのだが、それだからこそ小柄な亭亭にしたら尚のこと途方もない大きさを感じた。

蘇州に来て程ない時に友達に連れられ徐州に行って見た漢王朝の一族の兵馬俑とは比べ物にならない。徐州のもその時は感動していた。しかし西安のを見てしまうと、一層ミニチュア人形群の感じだったと亭亭は思い出した。

亭亭が西安からウルムチ行き列車に乗った時、席の前の男が話しかけて来た。声の大きさに辟易したが憎めない感じの人柄だった。大学生だと応えると何を勉強しているのかと聞く。「ほう、日本語ね。どうしてだ。」とうるさい。

これらのやり取りを後ろの席の若い女性が聞きとどめた。

男がトイレに行った時、その女性は亭亭の横に来た。「私も日本語を勉強している。」と言った。名前は呉雲雪。終点まで乗ると言う。

件の男は気のいい男だった。トイレから戻ってそのまま雲雪と席を交換してくれた。
二人は日本語でずっと喋り合った。お互いに日本語の勉強を望んでいた。終点のウルムチに着くまで二人の時間は十分ある、と亭亭は思った。

亭亭は、新疆など内陸部の実情を聞いた。雲雪は日本人や日本の情報を問い続けた。日本に関しては、それぞれが感じている話題で尽きることがなかった。

朝8時、ウルムチ駅に予定時間に15分ほどの遅れで着いた。しかし亭亭は驚いた。外はまだ真っ暗なのだ。

亭亭は、新疆時間のあることを思い出した。北京時間とは2時間遅い。母と二人で必死に生きてきた故郷の黒龍江省虎林とは経度で45度も離れている。カシュガルだと更に15度開く。丹東を出る時に伊丹から聞いたばかりだった。日の出時間から言えば、ウルムチは虎林に比し3時間近くも遅いのだ。

虎林では母は真っ暗な4時過ぎには起き出して一日の仕事を始めていた。自分も5時には起きていた。暗さに慣れているはずだった。でもここは虎林ではない。初めての地ウルムチ駅前の暗闇は怖いのだ。

雲雪は笑いながら、「私の家に来ませんか。」と誘った。亭亭は、世話好きに見える雲雪と偶然一緒になり、日本語と新疆を同時に勉強できたのだが、今度は烏蘇の農村にまで招待して貰える。恵まれていると思った。亭亭は、雲雪の申し入れを受けることにした。長距離バスセンターまでタクシーに乗った。雲雪が払った。

待合室は暗がりの中だというのに、人がいっぱいなのは多くのバスターミナルと変わらない。しかしウイグル族の顔に囲まれた感じが新疆にいることを知らしめた。

朝1番のバスでウルムチを出、4時間、烏蘇駅に着いてすぐ雲雪はタクシーを呼んだ。客にありついた運転手に対し、他のタクシー運転手はやっかみの声を上げた。

雲雪の家は農家である。車中で聞いていた通り、道から少し下がった位置に門があった。電話で知ったのだろう、父親の呉弘光がわざわざ迎えに立っていた。亭亭は頭を下げながら名前を告げた。もう少し自己紹介をした方がいいかと思ったが、父親は、娘共々そのまま部屋に案内した。母親の魏冬梅は、かまどに掛けた鍋からスープを注ぎ、もう一つの鍋の中のマントウを運んで来た。少し早い昼食だった。

亭亭は腹いっぱい食べた。朝がバス待つ間にウイグル特有の硬いパンを頬張っただけだったから余計に美味しく感じた。

トイレに行った。雲雪の家のは前庭を横切った先の道具小屋の横手にレンガで造られていた。同じ農家と言っても、亭亭の家と異なる。亭亭の家は、北の黒龍江省にあることもだが、極貧である。小さなかまどとベッドがあるだけの家であって、庭のような空間は僅かしかない。便所は入り口と反対側に僅かにある空き地に掘った穴に板を二本渡したものだった。冬場は凍りついているが、その後は草むらに流れていく。

弘光は、この地域の殆どの農民と同じく、綿やトーモロコシを中心に作っている。葡萄はあるが米はない。トーモロコシの実が主食だが、残りの茎も葉も全て燃料として使う。トーモロコシも捨てるものが何もない。

亭亭は一人かまどのある部屋で寝た。

朝、物音がして目覚めた。かまどには火がついていた。トーモロコシの焼ける匂いがした。亭亭の好きな匂いだ。母の郭明を強く思い出した。雲雪の父親の弘光が長い棒を高い天井に向けて突き出していた。


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