その12 <犯人像>
その後も、警察には橋本郁夫についての情報が集まって来ていた。
殺されたと思われている新聞記者橋本を恨む人間はいない。いい人だと言うのが大多数の意見である。正義感に溢れた人物だったようだ。取材記者であることを忘れたのか、弱者への悪意に対し本気で怒ったりすることもあったと言う。
松野は新聞を読んだりテレビを見たりしながら、帽子を被った橋本の姿を頭に浮かべた。殺人事件であることは確かだろう。橋本の衣服はその帽子とともにまだ見つかってない。
事件が起きた場所は別の所であると言うのが大方の見方である。車の跡は幾つかあるだろう。その中の二番目に新しいのが橋本を殺害現場から運んできた車であるはずだ。
ところが車の轍の跡は複雑であった。普通の車以外の跡でかなりグチャグチャになっていた。畑の横の高まり分から土を取るために前日と翌早朝もユンボが仕事をしていたと言うのが判った。 発見者夫婦が車を進入させて来た朝の9時過ぎには既にユンボはいなかった。ユンボが土を詰めた白い袋が10袋ほど取り残されたのか草の覆う小道の片側に残っていたことを、発見者夫婦は問われて思い出したと言う。
ユンボを動かしていた作業員は「不審な車は見ていない」、と警察の問いに応えた。近くの住人も「知らない」だった。
松野一大は佐々木艶子からの電話を受けた。佐々木とは親戚の親戚という関係にはなるが、そのことで会う機会はなかった。日中友好協会福岡支部総会などの集まりに出た際、会話を交わす仲ではあった。 これまでにも中国帰国者問題に関して佐々木から何度か連絡を受けていた。だが、退職後も何かと予定があって中国帰国者支援の会合には出ていなかった。
一度博多駅前での署名活動に参加して顔を合わせていたに過ぎない。だから新聞記者の橋本が支援集会に参加し熱心に取材していたのもよく知らず、顔も覚えていなかった。同じ理由で、署名活動の場にいたはずの帰国者の世話人を務めている安田の顔も知らなかった。
しかし今は違う。橋本が殺されたことは、日中友好協会事務所で話題になることがあった。その橋本が殺された日に、橋本と安田の姿を松野本人が目撃していたのだから余計に気になるのだ。
中国帰国者自身の頑張りはもとより支援活動が広範な広がりを見せてきた時、遂に政府が形だけだと受け止める人もいるが、帰国者の前で頭を下げた。制限の多い生活保護費支給を改め、特別法で救済することが決まった。 人間性回復裁判の判決は一進一退と言うより、太平洋戦争前後の国家の犯罪を認めまいとしてきた歴代政府の意向が働いて、正義を求める人たちを口惜しがらせる結果になることが多かった。それだけに、今回の、特別法を制定するとしての和解案は、多くの人を驚かせた。
この後、条文化された中に政府責任や詫びの文言は含まれなかった。C型肝炎救済問題と決定的に異なるところだ。しかし、これを受けて中国帰国者の人間性回復裁判は全国各地で終結すると共に、条文の適用をいかに誠実に実行させるかの運動に変わっていった。これらは、安田らが漏らす「苦渋の選択」であることを、松野たちも理解できた。
この過程で、帰国者の中の諸問題が改めて問われることにもなった。橋本は、帰国者の置かれた酷い実情を訴える記事を機会あるごとに書いてきていたのだが、一方で、帰国者の中の問題点も指摘していた。大多数が生活保護を受け苦しい生活を余儀なくされている時、日本で保護費を貰いながら生活の場を中国に置き、他に比して贅沢な生活をしている者がいるとの情報を得、その内実を確かめる取材も続けていたのだ。
生活と健康を守る会を中心とした生活保護運動においても、暴力団員などが保護費を不当に受領している事実が生活保護行政のあり方にマイナスの役割を果たしていることを憂慮していた時期があった。暴力団を取材していれば容易に分る事情だと橋本は機会あるごとに記事にした。
法を犯すこの種の行為自体も許されない。併せて、この不法な事実が生活保護運動全体を抑える口実にされかねないことを見逃してはいけない、と橋本は繰り返していたらしい。 かつて部落解放運動の内部でも利権を貪る者たちの存在を不問に伏すことで、革新運動を歪めさせ分裂させた過去もあった。しかもその問題では、装いを変えながらも依然解消していない地域を残しているほどだ。
橋本はまだ若かった。それでも入社後もよく勉強してきた。市民運動などで「ひいきの引き倒し」になる可能性について警鐘を鳴らすことも記者の仕事だと承知していた。 佐々木のこれらの一連の説明は分り易い、と松野は思った。
更に佐々木は言う。橋本は、年収200万円以下で「ワーキングプア」として一千万人以上があえぐ非正規雇用増大から生じた貧困問題の解決でなく、生活保護費を下げる方向で低賃金労働者らの不満の解消を図ろうとする政府を厳しく批判していたらしい。
松野は思った。橋本は恨みを買う人ではない。しかし単なるお人好しでは全くないようだ。批判されている者からは酷く嫌われてきただろう、と想像できた。犯人が通り魔の可能性はある。しかし橋本の記者魂を嫌った者の中に犯人はいるのではないか。松野はこの単純な推理を佐々木に伝えた。佐々木は少し微笑んで「そうかも知れない。」と頷いた。
松野が家に戻ると、高田陽子のメールが届いていた。夏の礼状以来である。 大連からの帰りに、福岡に寄りたいのだと言う。今は加藤紅は福岡にいない。だから松野にもう一度案内役を務めて欲しい、と言うことだった。
高田は中国に行っているのか、と松野は驚きながら感心した。しかし、願ってもないことだ。西日本新聞の閲覧と東邦大学構内の散歩とを指定していた。松野にとっても興味のある内容だった。 高田自身の結婚を報じたと言う新聞記事探しだろうが、東邦大学を選んだ理由は定かでない。伊丹二郎に面会を求めるのだろうか。いずれであれ、松野は全て要望に応える積りだ。
すぐ返信した。何日の何便であるかが分れば、空港に迎えに行きたいと、書き添えた。
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